風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

信州ゆったり歴史めぐり 2-2

2017-01-19 | 中部(甲信越)
その1からの続きです。

● 妻女山と茶臼山

小布施を離れて、今度は南方面へと向かいます。
車での移動中、ミュウに「あれが妻女山」「あれが茶臼山」と教えてもらいました。



東側に謙信が陣を構えた妻女山(画像上)、西側に信玄が陣を構えた茶臼山(標高710m)。
戦国時代からずっと今まであるんですね。あたりまえですが、歴史が今までつながっているって、不思議。



ああ、でも、周りにたくさん山があって、どれがどれやらわからなくなってしまいました!
ミュウちゃん、あなたどうしてわかるの?
みんな同じ、緑の山なのに。



● 故郷の山

そもそも長野の人たちは、どの方角を見てもあるようなたくさんの山々を、どこまで識別できているのでしょうか?
私は、地元の丹沢山地だってよくわからないのに。
そういえば、長野でも出身地方によって「故郷の山」が違うと、ミサちゃんが教えてくれました。
私は、故郷の山といったら富士山、と言うレベル。
山を見て暮らしている人は、違うようです。やっぱりもっとずっと、山が身近なんですね。

● 森将軍塚古墳

次に訪れたのは、千曲市にある科野の里歴史公園 森将軍塚古墳。



名前を聞くと「森将軍」のお墓だと思います。京都には将軍の人形を埋めた将軍塚がありますし。
でも「森」とは人ではなく、地区の名前だとのこと。
「将軍」は、ざっくりと"偉い人"という意味で、役職ではないそうです。
ここは信濃国の前身である科野(しなの)の首長の墳墓と言われています。
つまり、森将軍塚古墳は科野首長塚古墳、というわけですね。

「あそこだよー」と指さされた方角を見ると、山の中腹にそれらしいものが見えてきました。
「あんな小高い場所に前方後円墳があるの?」びっくりします。

かなり急な山の斜面の上にある古墳。
敷地内には自家用車では入れず、車を降りて徒歩か直行バスで向かうことになります。
暑いので、県立歴史館から出ているマイクロバスの直行便に乗ることにしました。
先ほどの七曲がりもびっくりのすごい傾斜。でもおもしろいです。

到着し、降りる時にバスのドライバーに帰りの時間を聞かれました。
「1時間後に」というと、「じゃあその時にまた来ます」とのこと。
私たちのほかに乗っていた2人連れも、同じ帰りの便にしました。
ほとんど相乗りタクシー。古墳には私たちしかいないので、そういうことになりますね。



「わあ、すてき」と、声を上げます。
近くで見ると、しっかりと再現された立派な古墳。
古墳の上に上れるということで、一気にテンションが上がります。



ここは麓から100mほど上がった場所にあり、眼下に盆地が見えます。



古墳といえば、以前訪れたことのあるさきたま古墳(埼玉)のイメージが強いですが、あそこにもこんな風に土器を置いていた古墳があったなあ。



ここは古墳時代前期(4世紀末)に造られたもの。
発掘調査ののちに復原作業を行った際の説明パネルもありました。
「復元」ではなく「復原」なんですね。




山石もしっかりとはまっています。
当時の高度な石積み技術がわかります。



● 善光寺平野

古墳の上に上りました。
考えてみたら、人様のお墓ですよね。いいんでしょうか。いいんですよね。



わあ、すばらしい眺望が待っているようですよ。



眼下に広がる善光寺平野に、新幹線の線路や千曲川が見える、いい見晴らしです。
「茶臼山が見えるよ」
えっ、どこに?
延々と連なる緑の山々の中で、せめて一つはわかりたいもの。
「長野新幹線と、上信越道の先の辺りの山だよ」



わかりました。下の画像左側に濃く見える山です。
手前の薄茶色の建物は古墳館、その右横のビニールハウスのようなところはあんずの里アグリパーク、山に向かって伸びているのは上信越自動車道。



山の緑に隠れていますが、麓にはマイクロバスの始発点の県立歴史館があります。
畑は見事に碁盤の目をしています。



ちなみにこの古墳があるのは、有明山だそうです。

● 古墳の上で

土器のようにみえるものは、埴輪です。
円筒埴輪と朝顔型埴輪が等間隔に並べられています。
嵐の時など、倒れてしまわないのかしら。


雨の時には、埴輪にたまる雨の滴がメロディを奏でそう。
夜になると、埴輪たちがここで跳ね回り、朝になるとまた元通りになっているのかな、なんて考えます。
こちら前方部では、祭祀が行われていたそうです。



もう一組の人たちも、古墳を満喫しています。
遠景に収めました。古墳の大きさがわかるでしょうか。



古墳の上で、イエーイ!
後方部には、首長の棺と副葬品が収められた石室があったのだそう。
それにしても美しい石積みですね。



全長100mの、長野県最大の大きさ。
前方後円墳ですが、山の傾斜地を使って建てられているため、土地の形に合わせて少し歪んでいます。
でも、その場に立っている限りでは、形の歪みはわかりません。



副葬品として、鏡や剣、勾玉などが見つかっています。
鏡は、大和王権と関係が深かった者のみが持つ三角縁神獣鏡。
森将軍、いえ科野の首長は、相当な有力者だったんでしょうね。

古代ロマンをかき立てられる場所です。
こんな場所があるとは知りませんでした。ガイドブックでも見なかったような気がします。
結構周りに古墳好きが多いので、ニーズがありそう。
もっと宣伝してもいいのに~。



● 竪穴式住居

時間になり、バスが迎えに来てくれたので、古墳にいた4人で一緒に下山します。
バスを降りて、敷地内の「科野のムラ」へ。そこには復元された竪穴式住居や高床式倉庫などがありました。
かなりリアルに再現しています。



中に入れたので、縄文人気分になってテンションが上がります。
静岡の登呂遺跡を思い出すなあ。

● 高床式倉庫

高床式倉庫もありました。
ちゃんとねずみがえしもついています。



高い倉庫の脚。ここだけ見ると、東南アジアの国のようですね。



はしごを伝って、中に入ってみます。



採光のとれた明るい内部。



ひと冬越せそうなほど、たくさんの薪が保管されています。



敷地内に竪穴式住居はいくつもあり、高床式倉庫の脚を取ったような住居もありました。
これが一番暮らしやすそうだけれど、なんていうのかしら?
単に平屋住居でいいのかな?



● あんずの里

向かいにあるのはあんずの里。
ここ旧・更埴市は、アンズの生産量が日本一だったことから、あんずの里と呼ばれています。
薄桃色のあんずの花が咲く4月には、それはそれはきれいな光景が辺りに広がるそうです。
その後になるあんずの実は、一般でも収穫できますが、ちょうど時期が終わったばかりでした。
花も実も終わってしまって残念。また次回にぜひ!

その3に続きます。

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