林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

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九州バースデイきっぷの旅 15.

2014-07-15 | 鉄道・旅行
 15.3つの九州新幹線未取材駅の訪問と立ち喰いラーメン

博多でいったん改札を出て荷物をコインロッカーに預け、再び入場する。
改札を出たところのテレビモニターには、
台風18号の影響で東海道新幹線に大幅な遅れや運休が発生していると表示されている。



これはやばいな・・・。
しかし既に新幹線の指定席を取ってしまっているので、予定通りに熟していくしかない。
まずは08:57博多発の「さくら451号」で新鳥栖まで行く。
ここから九州新幹線鹿児島ルート未取材駅の駅取材を開始する。
九州新幹線鹿児島ルートは、2004年3月13日に新八代から鹿児島中央までが部分開業、
途中には新水俣、出水、川内の中間駅があり、これらは既に駅取材済みである。
2011年3月12日には博多から鹿児島までの区間が延伸開業して全通、
同時に一部の列車は山陽新幹線にも乗り入れを開始した。
部分開業時代は6両編成の800系が「つばめ」の愛称で運行されていたが、
全通に際して山陽新幹線と相互乗り入れするようになったため、
東海道・山陽新幹線で使用されているN700系をベースに、
直通運転用としてJR西日本がN700系7000番台S編成、
JR九州がN700系8000番台R編成が8利用編成で新造され充当されている。
直通列車に関しては「みずほ」、「さくら」の愛称が用いられ、
東海道・山陽新幹線系統の「のぞみ」、「ひかり」、「こだま」に体して、
山陽・九州新幹線系統は「みずほ」、「さくら」、「つばめ」が使用される。
余談だが山陽新幹線には6つの愛称名を持った列車が走ることになる。
新八代から博多までの延伸開業区間には、
新鳥栖、久留米、筑後船小屋、新大牟田、新玉名の5駅の中間駅がある。
このうち筑後船小屋は8月の九州満喫きっぷの旅で取材する予定だった。
しかし大雨のために予定を変更せざるを得なくなり、また未取材である。
残りの4駅のうち、今回は在来線と接続のある久留米を抜いた3駅を取材することにする。
新鳥栖は長崎本線と接続するものの、新大牟田と新玉名は新幹線単独駅である。
つまり新幹線自由席に乗り放題の今回に取材しておく必要がある。
新鳥栖での取材時間は20分で駅舎取材する。
ここから09:31の「つばめ337号」で新大牟田まで行く。
駅前には“團琢磨之像”があった。



團琢磨?と思って近づいてみると、
銅像の下には以下のように書かれていた。

    團 琢磨

 團琢磨は一八五八年(安政五年)八月一日福岡藩士の家に生まれました
 一八七一年(明治四年)明治政府が派遣した岩倉使節団の留学生の一員として十三歳で渡米
 ボストンのマサチューセッツ工科大学で鉱山学を学びました
 留学生の中には 後の津田塾大学創設者の津田梅子(六歳)など女子も含まれていました
 七年後に帰国 東京大学で助教授を務めた後 工部省に入り三池鉱山局御用掛として三池炭鉱に赴任しました
 一八八九年(明治二十二年)三池炭鉱が三井に払い下げられ事務長兼炭鉱長に就任
 豊かな知識と的確な判断力で三池炭鉱の発展に大きな貢献を果たしました
 出炭の増加に対応するため 潮の干満に応じて閘門を開閉する世界でも珍しい日本で唯一の港を考案
 五年の歳月をかけて三池港を造りました
 團は三池炭鉱を日本一の炭鉱へと発展させたばかりでなく 封建的な納屋制度や囚人労働を廃止し
 病院や学校を造るなど地域の発展にも大きな足跡を残しました
 また燃料として石炭を採掘するだけでなく 石炭を原料として様々な製品を生み出す化学工業を興し
 肥料 染料 化学薬品などの生産を行うほか亜鉛精錬事業 発電事業を行い
 日本で初めてコンビナートという発想を実現したのも團の大きな功績です
 その後 三井のトップとして活躍する傍ら
 日本工業倶楽部初代理事長や日本経済連盟会の初代会長を務めるなど
 我が国経済界のリーダーとして活躍しました
 團は我が国産業の近代化に貢献したばかりでなく
 一九三二年(昭和七年)心ない暴徒の凶弾に倒れるまで 欧米との戦争を回避しようと尽力するなど
 民間外交官としても諸外国との友好親善に努めました
 一九九七年(平成九年)三月 三池炭鉱は閉山しましたが
 團の発想でで生まれた化学コンビナートの工場群や百年後を予見して造られた三池港が
 これから更なる地域発展の原動力として明るい未来を切り拓いていくことを團も心から願っていることでしょう
 私たちは團の功績を決して忘れることはありません
 これからも團は 私たちの心の中に生き続けるでしょう

平成二十三年 三月五日           團琢磨顕彰有志会

ここでの取材時間は24分で、「つばめ339号」で新玉名に行くために駅舎の中に入るが、
改札前には「●本日の運転状況●」として、台風の影響により、
東京~新大阪間は運転を見合わせているとホワイトボードに書かれていた。



これにはさすがに目が点になった。
新大牟田駅では空は青く晴れて眩しい日差しが降り注いでいる。
とても新幹線が止まるほどの風も吹いていない。
それなのにとうとう止まってしまったか・・・。
それでも山陽新幹線に関してはインフォメーションが出ていないので、
とにかく行けるところまで行くことにしよう。
新玉名での取材時間は52分で、駅取材だけでは少々時間を持て余す。
駅のコンコースには玉名ラーメンを紹介する屋台と掲示板があり、
玉名ラーメン協議会に加盟する店の地図なども掲示されていた。



「熊本元祖 玉名ラーメン」と書かれていて、熊本ラーメンの源流なのかもしれない。
熊本ラーメンは博多ラーメンとは一線を画す独自の味である。
出来れば直接喰いに行きたかったが、ちょっと店まで行くには時間が足りない。
泣く泣く断念して11:16まで待って「つばめ40号」で博多まで行く。
博多で改札を出て昼食を喰える場所を探したが、
ちようど正午になってしまったために何処も混んでいる。
先月行った「博多デイトス 麺街道」にも行ってみたが何処も大行列である。
乗り換え時間は1時間10分なので、無理をすると東京行きの新幹線に間に合わなくなる。
そこで昼食は駅弁を購入することとして、余った時間を在来線ホームに上がって車両取材に当てる。
博多駅5番線6番線ホームで「博多ラーメン」の暖簾を見つけ、
ここでラーメン500円とゆでたまご50円を喰う。
ゆでたまごはトッピングではなく、別皿でラーメンを待つ間の食前に喰う。
時間ギリギリまで在来線で車両取材し、新幹線ホームの改札を潜る。

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