ひな祭りの日、法事があった
ばあちゃんの3回忌とじいちゃんの50回忌、同時開催だ
住職の話のなかで
「親の50回忌ができるというのは、子供がよっぽど長生きをするか、本人が早くに亡くなったということだ」
というような話があった
じいちゃんが55歳で亡くなって、ばあちゃんは一人で47年も頑張った
子供や孫たちがいたとはいえ、淋しかったに違いない
葬式や法事でもなければ、親族が同時に集まる機会がない
みんなが集まってわいわいやっているのを、じいちゃんと二人で
笑いながら見ているかもしれない
それとも、指をくわえて料理を見ているかも?
全く偶然ですが、私の母方の爺様も五十五歳で亡くなりました。因みに、てつはう(なぜか古語)撃ちでしたが、死因はばりばりの「(ぴ○ちゅうみたいなかわいい感じで) アルCHU!」でした。
ちなみに私の実のヲヤジ(64)も一昨年までは”てつはう撃ち”でしたが、いまや現在進行形で、「アルCHU!」で死に掛けています。まあそういう息子の私も殆ど同じ道を逝き、もとい、行きつつありますが・・・
まあ、昨今の社会情勢を鑑みるに、正直もういいかな、長生きしても年金も貰えそうもないし、いい事無さそうだし、いっど早い内にお迎えが来てスパッと逝けた方がいいかな、等と考える事も有りますが、リアルアルCHU!家系の人間として数多のアルCHU!の死に様を見て来ましたら、中々楽には死ねそうに無いので考えてしまいますね。
なにより、アルCHU!の葬式の時、身内、近隣、知人の内、誰一人として(孫の私をも含む大半が)故人を悲しむ人間が居なかったのは今思うと恐ろしいものでありますl。
正直言って「やっと死んでくれたか」程度にしか思っていませんでした。こんな死に方したくないなと思ったにも関わらず、私の人生ほぼこの人達の生き方をトレースしているような気がするのは、気のせいだと思いたい。
うん、気のせいだ。
代々、鉄砲撃ちとは幸せじゃないですか。
良い部分は真似て、悪い部分は教訓にするべきですね。
葬儀では親族に悲しんでもらえるような死に方=生き方をしたいものです。
自分の人生は自分で切り開くものですからねぇ。
冗談抜きで何かの依存症にはならないように気をつけましょう、お互いに。