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J. L. ボルヘス(1899-1986)「円環の廃墟」『伝奇集』(1944):人は造物主(他者=神)の見る幻or夢だ!

2020-04-21 22:11:27 | 日記
ある魔術師が円環の神殿の廃墟で何日も眠り、夢の中で生きた。彼は、その夢の中で一人の男つまり息子を作り上げた(創造した)。何日もが過ぎて、ついにその息子が完成した。息子は現実の世界へと抜け出し、別の神殿の廃墟に行った。だがやがてある日、息子とその廃墟はともども火によって破壊された。そして魔術師にもその火が迫った。魔術師は、水に逃れようとしたが、彼はすでに老いており、また創造の労苦から逃れることを望み、火に包まれ死んだ。その時、彼(魔術師)は思った、「おのれもまた幻(※夢)にすぎない」、「他者がおのれを夢見ているのだ」と彼は悟った。

《感想1》人は他者の見る夢の中で作られる(創造される)と、ボルヘスは言う。人は造物主(他者=神)の見る幻(※夢)だ。
《感想2》魔術師の現実(現実1)において、魔術師の夢の中で作られた息子(夢1)が、魔術師の現実1に入り込む。この議論は矛盾する。一方で現実1と夢1は異なると言い、他方で夢1と現実1はつながっている(=同一だ)と言う。
《感想3》ボルヘスは《魔術師の現実=他者の現実》であると仮定している。魔術師も他者も現実1に住む。
《感想4》ボルヘスが「他者がおのれを夢見ている」と述べたのは、ボルヘスがキリスト教的伝統の内にいるからだ。「造物主」を彼は想定する。実際、ボルヘスはキリスト教の「グノーシス派の宇宙生成説」つまり「脚で立つことのできない赤いアダム」を「造物主」が作ったことに言及している。
《感想4-2》日本的な仏教的無常観の下では、《魔術師の現実=他者の現実》(現実1)について、「幻(夢)にすぎない」というだけで十分だ。
《感想5》他者が神の場合は、魔術師の現実1、神の現実2、魔術師の夢1、神の夢2となる。神の現実2の中で、神が魔術師を夢見て(夢2)、その神の夢の中で作られた魔術師(夢2)が、魔術師の現実1の中に移行する。かくて神の夢2と魔術師の現実1がつながる。(神は全能だから、神の夢2と魔術師の現実1は異なりかつつながり矛盾しても、矛盾しない。)
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