(1)脳性麻痺の貴田夢馬(ユマ)23歳!
出生時37秒間呼吸ができなかったため、手足が自由に動かない脳性麻痺の貴田夢馬(ユマ)23歳。過保護な母親(ユマが生まれてすぐ父親と離婚)とユマは住む。ユマは車椅子生活を送り、漫画家のゴーストライターとして空想の世界を描く。ユマは自立するためアダルト漫画の執筆を望むが、編集者から「リアルな性体験がないと良い漫画は描けない」と言われる。ユマの新しい友人で、障がい者専門の娼婦の舞が、ユマに外の世界を見せる。それを知ったユマの母親は激怒する。ユマは家出する。介護ヘルパーの俊哉がユマを支える。ユマの漫画(アダルト漫画でない)が新人作家として認められるところで、映画が終わる。
《感想》夢のような作品だ。現実には経済的余裕の問題が立ちはだかる。①ユマの家は立派で母親は一定の財産を持つ。②脳性麻痺の女性の自立は現実には厳しい。ユマが新人漫画作家として認められるという想定は、そうなってほしいという夢だ。
(2)主人公のユマ役:佳山明さん!
主人公のユマと同じく脳性麻痺で、社会福祉士として働いていた佳山明が、オーディションで主演に抜てきされた。
《感想》佳山明さんが喜び・楽しむシーンがとてもいい。
(3)「障害者と性」!
『37セカンズ』は、ロサンゼルスを拠点に活動するHIKARI監督の長編デビュー作だ。成人向けマンガを描く女性を取材し、「障害者と性」について学んだことが今作の構想のきっかけとなったという。「そばにいて欲しい、ハグして欲しい、キスしたい、そういうことをできない女性たちへのサービスについて興味を持ちました」とHIKARI監督が言う。
《感想》「障害があると言っても、気持ちは普通の人となにも変わらない」というユマの発言が印象的だった。
(3)-2 「身体」:人間にとって最も基礎的な「環境」!
セックスセラピストの方から「女性は好きな人であれば心がつながって快感を得られる」と聞いたとHIKARI監督が言う。また「下半身不随の方のインタビューでは『尿意を感じることができないので、一定の時間でカテーテルで排尿する日常を送り、出産でも力を入れることができないのに、赤ちゃんはお母さんのために自ら出てきて、自然分娩ができる』と教えてもらった」という。
《感想》「身体」は、人間にとって最も基礎的な「環境」だと言える。つまり「身体」は自分でなく、自分の「環境」だ。
(3)-3 「女性がひとりの人間として、どんどん前に進めるような作品」!
HIKARI監督が言う。「障害を持つ女性たちが向き合う性はどういうものかを取材したところ、やはり人それぞれで、快感を覚える人もいれば、身体がコンプレックスで他人とは関わりたくない、見られたくない、という人もたくさんいます。でも、皆さんすごくきれいだし、やりたいこともやっているし、ただ障害があるだけ。女性がひとりの人間として、どんどん前に進めるような作品を作りたくなったんです。」
《感想》「やはり人それぞれ」とのHIKARI監督の感想はもっともだと思う。「女性がひとりの人間として、どんどん前に進めるような作品を作りたくなった」との監督の意図はこの映画で実現している。
(4)「みんな誰もが同じということに気づく」!
HIKARI監督は、マイノリティと呼ばれる人々へのフラットな眼差しを持つ。「デビュー作は戦後のレズビアンの話ですし、黒人と白人が恋愛できない時代を描いた作品もあります。世の中で一般じゃないと思われてるのが、他の国に行けば常識だったりすることもある。その違いを受け入れれば、みんな誰もが同じということに気づく。そうすると、人種差別やジェンダー差別がなくなる。そういった、当たり前のことをまだ知らない人達にお見せしたい。そういう気持ちでミックスジェンダーなどを扱ってきました」
《感想》「みんな誰もが同じ」とは人はそう簡単に認めない。例えば「能力ある人間」と「無能な人間」は「同じ人間でない」との見方が、今、広がっている。恐ろしい時代だ。
(4)-2「健常者の大人の方が、悪口を言ったり、嫌な人が多かった」!
HIKARI監督が言う。「私の祖父母が大阪で鉄工所を営んでいて、指がなかったり、耳が聞こえなかったり、いわゆる障害者と呼ばれる方たちも働いていたんです。子供のころからそういう方が常にまわりにいる環境で育ったので、私にとっては特別な区別はなくて、逆に健常者の大人の方が、悪口を言ったり、嫌な人が多かったように感じます。」
《感想》「健常者の大人の方が、悪口を言ったり、嫌な人が多かった」とはその通りだ。一方で「他人の不幸は自分の幸福」であり、他方で自分が受ける抑圧を、困難な他人を抑圧することで発散する「抑圧移譲」の心理が人にはある。
(4)-3 「マイノリティって何? 同じ人間としてくくればいいんじゃない?」
「そして高校3年からアメリカで暮らし、そこでは私がマイノリティでした。アメリカにいる時は人種差別もありました。特に学校の先生から、パールハーバーのことなど言われました。仕事でもアジア系の女性というだけで、チャンスは狭くなりましたし。日本に帰ってきたら、マジョリティになるけれど、一体、マイノリティって何? 同じ人間としてくくればいいんじゃない? そういう風にいつも思っていました。」(HIKARI監督)
《感想》欧米ではアジア系への差別が一般的だ。同じアジア系同士だが、日本人は嫌韓・嫌中といっていがみ合う。また韓国・中国が反日キャンペーンをする。残念だ。
(5)「何でもできますよ。この世の中。全て自分次第です。」(HIKARI監督)
「生まれ育ったところの環境がその後の人生に影響を与えるかもしれないけれど、それを打ち破る力を人間は持っていると思います。アメリカは100パーセント自分ががんばらないと助けてもらえないんです。みんな自分のことで手一杯だから、自分が前に進まないと。でも、もちろんヘルプを求めれば助けてくれるし、反対に人を利用する人もいる。それはどこも同じ。人がやりたいことを邪魔したり、ノーという人はあまりいません。私たちのパワーは無限。できないって、思わされるのは、どうでもいい社会のルールであったり、新しいことにチャレンジすることを恐れる自分自身だったり、“常識”と言っている環境であるだけ。何でもできますよ。この世の中。全て自分次第です。」(HIKARI監督)
《感想》「生まれ育ったところの環境・・・・を打ち破る力を人間は持っている」、「何でもできますよ。この世の中。全て自分次第です」とHIKARI監督のポジティブさに頭が下がる。
(5)-2 HIKARI監督!
HIKARI監督は、舞台女優、カメラマンなど様々なキャリアを経て、今、映画監督になった。現在はクリント・イーストウッドやクエンティン・タランティーノらが所属する大手エージェントに所属する。今作の評価をきっかけに、ハリウッドからもオファーが殺到している。
《感想》HIKARI監督は、マルチ・ウーマンだ。
(6)LGBTの映画!
映画製作が自身の“使命”だと思うようになったきっかけについてHIKARI監督が語る。
①「デビュー作の『Tsuyako』が世界をまわり、見てくださった方の反応に感激しました。2011年で、まだLGBT(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender)が今ほどクローズアップされる前だったのですが、50代の男性が号泣して、今から家族にカミングアウトする、自分にとって、新しい一歩を踏み出す映画になったと言ってくださいました。ひょっとしたら、私はこういう映画を作ることが使命なのかもと思ったんです。」
《感想》「私はこういう映画を作ることが使命なのかもと思った」と人の評価・称賛が自分を支える。
(6)-2 「皆でひとつのものをつくる」!
②「映画製作は家族のようなもの。皆でひとつのものをつくる、というのが大好きなんです。映画はひとりではできませんから。」
《感想》「皆でひとつのものをつくる、というのが大好き」とHIKARI監督は健全な人間観だ。「人嫌い」でない。
(6)-3 ハッピーも優しくなることも大変だ!
③「その中で、何を作るかを考えたとき、世界中の人がハッピーになれるもの、他の人に優しくなれるもの。人間と自然も一緒に包みこむような作品を作りたいと。今、テレビシリーズも進行中のものが3作くらいありますが、ビジュアルアーツという分野で、どんなメディアで見ても、ストーリーを通して、メッセージやポジティビティが伝われば。」
《感想》①「世界中の人がハッピーになれる」作品、②「他の人に優しくなれる」作品、③「人間と自然も一緒に包みこむ」ような作品を作りたいと、HIKARI監督は言う。難しい課題だ。①「世界中の人がハッピーになれる」作品、②「他の人に優しくなれる」作品と言っても、宗教対立、民族対立、能力差・勝ち組負け組の差、権力・金力を持つ者たちの傲慢、負け組の怨念・妬み・抑圧移譲、国同士の対立、企業(株主・出資者・経営者)の強欲と搾取される者の対立、正規雇用社員と非正規雇用社員の差別等々と、ハッピーも優しくなることも大変だ。③「人間と自然も一緒に包みこむ」と言っても人間(企業・企業者)は強欲で、自然破壊も動物を絶滅することも意に介さない。
(6)-4 10年後!
④「10年後はわかりませんけどね、『もうやりきった!』って、世界のどこかで学校を開いているかもしれません」
《感想》HIKARI監督は自由で、自分に素直な人だと思う。しかも有能だ。同時に努力の人だ。
《参考》“「ポジティビティを伝えたい」ハリウッドが注目のHIKARI監督が「37セカンズ」に託した思い”(映画.com速報)2020年2月8日 09:00
出生時37秒間呼吸ができなかったため、手足が自由に動かない脳性麻痺の貴田夢馬(ユマ)23歳。過保護な母親(ユマが生まれてすぐ父親と離婚)とユマは住む。ユマは車椅子生活を送り、漫画家のゴーストライターとして空想の世界を描く。ユマは自立するためアダルト漫画の執筆を望むが、編集者から「リアルな性体験がないと良い漫画は描けない」と言われる。ユマの新しい友人で、障がい者専門の娼婦の舞が、ユマに外の世界を見せる。それを知ったユマの母親は激怒する。ユマは家出する。介護ヘルパーの俊哉がユマを支える。ユマの漫画(アダルト漫画でない)が新人作家として認められるところで、映画が終わる。
《感想》夢のような作品だ。現実には経済的余裕の問題が立ちはだかる。①ユマの家は立派で母親は一定の財産を持つ。②脳性麻痺の女性の自立は現実には厳しい。ユマが新人漫画作家として認められるという想定は、そうなってほしいという夢だ。
(2)主人公のユマ役:佳山明さん!
主人公のユマと同じく脳性麻痺で、社会福祉士として働いていた佳山明が、オーディションで主演に抜てきされた。
《感想》佳山明さんが喜び・楽しむシーンがとてもいい。
(3)「障害者と性」!
『37セカンズ』は、ロサンゼルスを拠点に活動するHIKARI監督の長編デビュー作だ。成人向けマンガを描く女性を取材し、「障害者と性」について学んだことが今作の構想のきっかけとなったという。「そばにいて欲しい、ハグして欲しい、キスしたい、そういうことをできない女性たちへのサービスについて興味を持ちました」とHIKARI監督が言う。
《感想》「障害があると言っても、気持ちは普通の人となにも変わらない」というユマの発言が印象的だった。
(3)-2 「身体」:人間にとって最も基礎的な「環境」!
セックスセラピストの方から「女性は好きな人であれば心がつながって快感を得られる」と聞いたとHIKARI監督が言う。また「下半身不随の方のインタビューでは『尿意を感じることができないので、一定の時間でカテーテルで排尿する日常を送り、出産でも力を入れることができないのに、赤ちゃんはお母さんのために自ら出てきて、自然分娩ができる』と教えてもらった」という。
《感想》「身体」は、人間にとって最も基礎的な「環境」だと言える。つまり「身体」は自分でなく、自分の「環境」だ。
(3)-3 「女性がひとりの人間として、どんどん前に進めるような作品」!
HIKARI監督が言う。「障害を持つ女性たちが向き合う性はどういうものかを取材したところ、やはり人それぞれで、快感を覚える人もいれば、身体がコンプレックスで他人とは関わりたくない、見られたくない、という人もたくさんいます。でも、皆さんすごくきれいだし、やりたいこともやっているし、ただ障害があるだけ。女性がひとりの人間として、どんどん前に進めるような作品を作りたくなったんです。」
《感想》「やはり人それぞれ」とのHIKARI監督の感想はもっともだと思う。「女性がひとりの人間として、どんどん前に進めるような作品を作りたくなった」との監督の意図はこの映画で実現している。
(4)「みんな誰もが同じということに気づく」!
HIKARI監督は、マイノリティと呼ばれる人々へのフラットな眼差しを持つ。「デビュー作は戦後のレズビアンの話ですし、黒人と白人が恋愛できない時代を描いた作品もあります。世の中で一般じゃないと思われてるのが、他の国に行けば常識だったりすることもある。その違いを受け入れれば、みんな誰もが同じということに気づく。そうすると、人種差別やジェンダー差別がなくなる。そういった、当たり前のことをまだ知らない人達にお見せしたい。そういう気持ちでミックスジェンダーなどを扱ってきました」
《感想》「みんな誰もが同じ」とは人はそう簡単に認めない。例えば「能力ある人間」と「無能な人間」は「同じ人間でない」との見方が、今、広がっている。恐ろしい時代だ。
(4)-2「健常者の大人の方が、悪口を言ったり、嫌な人が多かった」!
HIKARI監督が言う。「私の祖父母が大阪で鉄工所を営んでいて、指がなかったり、耳が聞こえなかったり、いわゆる障害者と呼ばれる方たちも働いていたんです。子供のころからそういう方が常にまわりにいる環境で育ったので、私にとっては特別な区別はなくて、逆に健常者の大人の方が、悪口を言ったり、嫌な人が多かったように感じます。」
《感想》「健常者の大人の方が、悪口を言ったり、嫌な人が多かった」とはその通りだ。一方で「他人の不幸は自分の幸福」であり、他方で自分が受ける抑圧を、困難な他人を抑圧することで発散する「抑圧移譲」の心理が人にはある。
(4)-3 「マイノリティって何? 同じ人間としてくくればいいんじゃない?」
「そして高校3年からアメリカで暮らし、そこでは私がマイノリティでした。アメリカにいる時は人種差別もありました。特に学校の先生から、パールハーバーのことなど言われました。仕事でもアジア系の女性というだけで、チャンスは狭くなりましたし。日本に帰ってきたら、マジョリティになるけれど、一体、マイノリティって何? 同じ人間としてくくればいいんじゃない? そういう風にいつも思っていました。」(HIKARI監督)
《感想》欧米ではアジア系への差別が一般的だ。同じアジア系同士だが、日本人は嫌韓・嫌中といっていがみ合う。また韓国・中国が反日キャンペーンをする。残念だ。
(5)「何でもできますよ。この世の中。全て自分次第です。」(HIKARI監督)
「生まれ育ったところの環境がその後の人生に影響を与えるかもしれないけれど、それを打ち破る力を人間は持っていると思います。アメリカは100パーセント自分ががんばらないと助けてもらえないんです。みんな自分のことで手一杯だから、自分が前に進まないと。でも、もちろんヘルプを求めれば助けてくれるし、反対に人を利用する人もいる。それはどこも同じ。人がやりたいことを邪魔したり、ノーという人はあまりいません。私たちのパワーは無限。できないって、思わされるのは、どうでもいい社会のルールであったり、新しいことにチャレンジすることを恐れる自分自身だったり、“常識”と言っている環境であるだけ。何でもできますよ。この世の中。全て自分次第です。」(HIKARI監督)
《感想》「生まれ育ったところの環境・・・・を打ち破る力を人間は持っている」、「何でもできますよ。この世の中。全て自分次第です」とHIKARI監督のポジティブさに頭が下がる。
(5)-2 HIKARI監督!
HIKARI監督は、舞台女優、カメラマンなど様々なキャリアを経て、今、映画監督になった。現在はクリント・イーストウッドやクエンティン・タランティーノらが所属する大手エージェントに所属する。今作の評価をきっかけに、ハリウッドからもオファーが殺到している。
《感想》HIKARI監督は、マルチ・ウーマンだ。
(6)LGBTの映画!
映画製作が自身の“使命”だと思うようになったきっかけについてHIKARI監督が語る。
①「デビュー作の『Tsuyako』が世界をまわり、見てくださった方の反応に感激しました。2011年で、まだLGBT(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender)が今ほどクローズアップされる前だったのですが、50代の男性が号泣して、今から家族にカミングアウトする、自分にとって、新しい一歩を踏み出す映画になったと言ってくださいました。ひょっとしたら、私はこういう映画を作ることが使命なのかもと思ったんです。」
《感想》「私はこういう映画を作ることが使命なのかもと思った」と人の評価・称賛が自分を支える。
(6)-2 「皆でひとつのものをつくる」!
②「映画製作は家族のようなもの。皆でひとつのものをつくる、というのが大好きなんです。映画はひとりではできませんから。」
《感想》「皆でひとつのものをつくる、というのが大好き」とHIKARI監督は健全な人間観だ。「人嫌い」でない。
(6)-3 ハッピーも優しくなることも大変だ!
③「その中で、何を作るかを考えたとき、世界中の人がハッピーになれるもの、他の人に優しくなれるもの。人間と自然も一緒に包みこむような作品を作りたいと。今、テレビシリーズも進行中のものが3作くらいありますが、ビジュアルアーツという分野で、どんなメディアで見ても、ストーリーを通して、メッセージやポジティビティが伝われば。」
《感想》①「世界中の人がハッピーになれる」作品、②「他の人に優しくなれる」作品、③「人間と自然も一緒に包みこむ」ような作品を作りたいと、HIKARI監督は言う。難しい課題だ。①「世界中の人がハッピーになれる」作品、②「他の人に優しくなれる」作品と言っても、宗教対立、民族対立、能力差・勝ち組負け組の差、権力・金力を持つ者たちの傲慢、負け組の怨念・妬み・抑圧移譲、国同士の対立、企業(株主・出資者・経営者)の強欲と搾取される者の対立、正規雇用社員と非正規雇用社員の差別等々と、ハッピーも優しくなることも大変だ。③「人間と自然も一緒に包みこむ」と言っても人間(企業・企業者)は強欲で、自然破壊も動物を絶滅することも意に介さない。
(6)-4 10年後!
④「10年後はわかりませんけどね、『もうやりきった!』って、世界のどこかで学校を開いているかもしれません」
《感想》HIKARI監督は自由で、自分に素直な人だと思う。しかも有能だ。同時に努力の人だ。
《参考》“「ポジティビティを伝えたい」ハリウッドが注目のHIKARI監督が「37セカンズ」に託した思い”(映画.com速報)2020年2月8日 09:00