ウェヌス女神(ヴィーナス)は、太陽神アポロンによる夫ウルカヌス(ヘパイストス)への(軍神マルスとの浮気の)密告の件を忘れず、仕返しをする。
(1)ウェヌス女神(ヴィーナス)は、太陽神アポロンが、ペルシアの王女レウコトエに夢中になるように仕向ける。かくてアポロンの万物をみそなわすべきはずの眼が、此のただ一人の乙女だけに注がれた。ついに太陽神は、彼女の母親エウリュノメの姿に身をやつし、12人の侍女にかしずかれたレウコトエの部屋をたずねた。
(2)アポロンは母親の姿で「娘と内密の話があるので、みなさん、この場を外してください」と侍女たちを遠ざけた。王女エウコトエと2人になると、アポロンは本来の太陽神の姿に戻った。乙女は神の輝きにうたれて、訴えの言葉も出さず、荒々しい振る舞いを受け入れた。
(3)だがそれまで太陽神アポロンは、水のニンフのクリュティエを寵愛していた。ウェヌス女神(ヴィーナス)の仕返しの計画の一環で、アポロンはクリュティエを棄て、レウコトエに夢中になった。
(3)-2クリュティエは嫉妬に燃えた。彼女は、王女レウコトエのアポロンとの密通を、ペルシャの父王にことさら悪しざまに密告した。気性の荒い父王は、娘の言い訳をきかず、レウコトエを生き埋めにした。
(3)-3太陽神アポロンは、レウコトエを、光線の力で命のぬくもりへ戻そうとしたが無駄だった。アポロン(ヘリオス)は、レウコトエの死体にネクタル(神酒)を降り注ぎ、彼女を天界へ連れていった。地上の彼女の消えた場所には乳香の木が生えた。
(4)太陽神アポロンのクリュティエへの愛は、かくて決定的に終わった。アポロンは二度とクリュティエに近づこうとしなかった。以来クリュティエは恋のおもいに憔悴し、やせ細って行った。彼女は9日の間、何も食べず、地面から動こうとせず、空行く太陽を見つめているだけだった。やがて体が土にくっつき、彼女はヘリオトロープの木に変じた。
《参考1》クリュティエの変じたヘリオトロープ(Heliotropium)は、ギリシア語で「太陽(helios)に向かう(trope)」という意味だ。「菫によく似た花」が咲くが。それはクリュティエの「顔」の部分だという。
《参考2》後の絵画や文学では、クリュティエの変じた花はしばしばヒマワリとされる。しかしヒマワリはアメリカ大陸原産であり、ヨーロッパにはスペイン人によって1500年代にもたらされた。古代ギリシア・ローマの時代には、ヒマワリはヨーロッパで知られていない。
★Charles de La Fosse, “Clytie Changed into a Sunflower” 1688
(1)ウェヌス女神(ヴィーナス)は、太陽神アポロンが、ペルシアの王女レウコトエに夢中になるように仕向ける。かくてアポロンの万物をみそなわすべきはずの眼が、此のただ一人の乙女だけに注がれた。ついに太陽神は、彼女の母親エウリュノメの姿に身をやつし、12人の侍女にかしずかれたレウコトエの部屋をたずねた。
(2)アポロンは母親の姿で「娘と内密の話があるので、みなさん、この場を外してください」と侍女たちを遠ざけた。王女エウコトエと2人になると、アポロンは本来の太陽神の姿に戻った。乙女は神の輝きにうたれて、訴えの言葉も出さず、荒々しい振る舞いを受け入れた。
(3)だがそれまで太陽神アポロンは、水のニンフのクリュティエを寵愛していた。ウェヌス女神(ヴィーナス)の仕返しの計画の一環で、アポロンはクリュティエを棄て、レウコトエに夢中になった。
(3)-2クリュティエは嫉妬に燃えた。彼女は、王女レウコトエのアポロンとの密通を、ペルシャの父王にことさら悪しざまに密告した。気性の荒い父王は、娘の言い訳をきかず、レウコトエを生き埋めにした。
(3)-3太陽神アポロンは、レウコトエを、光線の力で命のぬくもりへ戻そうとしたが無駄だった。アポロン(ヘリオス)は、レウコトエの死体にネクタル(神酒)を降り注ぎ、彼女を天界へ連れていった。地上の彼女の消えた場所には乳香の木が生えた。
(4)太陽神アポロンのクリュティエへの愛は、かくて決定的に終わった。アポロンは二度とクリュティエに近づこうとしなかった。以来クリュティエは恋のおもいに憔悴し、やせ細って行った。彼女は9日の間、何も食べず、地面から動こうとせず、空行く太陽を見つめているだけだった。やがて体が土にくっつき、彼女はヘリオトロープの木に変じた。
《参考1》クリュティエの変じたヘリオトロープ(Heliotropium)は、ギリシア語で「太陽(helios)に向かう(trope)」という意味だ。「菫によく似た花」が咲くが。それはクリュティエの「顔」の部分だという。
《参考2》後の絵画や文学では、クリュティエの変じた花はしばしばヒマワリとされる。しかしヒマワリはアメリカ大陸原産であり、ヨーロッパにはスペイン人によって1500年代にもたらされた。古代ギリシア・ローマの時代には、ヒマワリはヨーロッパで知られていない。
★Charles de La Fosse, “Clytie Changed into a Sunflower” 1688
