DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

① 狭義の心、②物世界、③《広義の心》=存在(宇宙)=モナド、④ 感覚=《物の出現》、⑤意味=観念=言葉(記号)、⑥個々のモナド、⑦~⑩モナド共同性

2019-03-24 12:02:12 | 日記
(1)狭義の心
生きていても仕方ない。退屈だ。無意味だ。単調。《感情・欲望・意図等》(狭義の心)を持て余す。(※《感情・欲望・意図》が狭義の心の基礎をなす。狭義の心は《感情・欲望・意図・夢・意味世界・意味世界の展開としての虚構or想像》である。)
(2)物世界
物世界は広い。自然とは物世界のことだ。「存在(宇宙)(広義の心)=狭義の心+物世界(感覚)」だ。
(3)《広義の心》=存在(宇宙)=モナド
他我は、他なる「存在(宇宙)」だ。「存在(宇宙)」(これが《広義の心》、つまり超越論的主観性だ)はモナドと呼ばれる。諸モナドからなるモナド共同体としての「存在(宇宙)」!《広義の心》には感覚も含まれる。諸モナドからなるモナド共同体が確実に成立するのは、感覚レベル(物の出現のレベル)だ。
(4)感覚=《物の出現》
モナドにおいて、感覚は物の出現のことだ。物はいつも同じように出現し、物は確かだ。感覚は確かだ。かくて《感覚=物世界(の出現)=自然》が信頼される。
(5)意味=観念=言葉(記号)
モナド(広義の心)において、存在は、意味(=観念=言葉)へと変形される。意味とは観念であり、次々と到来する体験(宇宙)の重なりを指示する言葉(記号)だ。
(6)個々のモナド
次々と到来する体験(宇宙)の重なりを指示する意味=観念=言葉(記号)は、かくて、個々のモナドにおいて、すでに成立する。
(7)モナド共同的な《意味=観念=言葉(記号)》
最初のモナド共同的な意味=観念=言葉(記号)はいかに成立するか。狭義の心《感情・欲望・意図等》は直接に共同的であることができない。共同性の保障がない。
(8)モナド共同性は唯一、感覚(物の出現)においてのみ生じる
モナド共同性は唯一、感覚(物の出現)においてのみ生じる。物の出現は、《相互に他なる延長的抵抗性》の出現である。
二つのモナドが接触するとき、両モナドは、《相互に他なる延長的抵抗性》の出現としての物の出現(感覚)において共同的である。
(9)モナド共同的時間
この時、両モナドの時間も共同的である。
(10)モナド共同性と《物(感覚)のレベル》
最初のモナド共同的な《意味=観念=言葉(記号)》は、物(感覚)のレベルにおいて、成立する。
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