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『唯識(下)』多川俊映、第8回 第八阿頼耶識 わが心深き底あり(その4):認識対象の「真実相」を洞察する「智慧」を求める「転識得智」!大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智!

2023-01-31 11:41:13 | 日記
『唯識(下)心の深層をさぐる』(NHK宗教の時間)多川俊映(タガワシュンエイ)(1947生)2022年

第8回 第八阿頼耶識 わが心深き底あり(その4)
(19)-5 「転識得智」:認識対象の「真実相」を洞察する「智慧」を求める!
D  唯識仏教は、「八識」(※モナド)による変容に満ちた認識でなく、認識対象の「真実相」を洞察する「智慧」を求める。これが「転識得智」(テンジキトクチ)である。(49頁・51頁)
D-2  「能変」によってさまざまに色づけされた「八識による認識」を質的に転換し、ものごとやことがらの本質を洞察・覚知する智慧の獲得(「転識得智」)が、唯識仏教の宗教課題だ。(51頁)
Cf. そもそも認識(「八識による認識」)が「あるがまま」に行われることはない。「能変の心」(※構成する超越論的主観性)と「所変の境」(※構成された意味としての「境」=認識対象)のみがある。

《参考》(17)-2 宗教的最終目標である「転識得智(テンジキトクチ)」:誤謬ある「八識による認識」を質的に改造し、自己と世界の本質を真正に了知する智慧である「四智」(シチ)を獲得すること!
P 能変作用をもつ八識に依存する状況からの脱却が「転識得智(テンジキトクチ)」であり、唯識仏教における重要な宗教課題だ。つまりなにかと誤謬ある八識による認識を質的に改造し、自己と世界の本質を瞬時に、しかも真正に了知する智慧を獲得することが、宗教的最終目標だ。(上124頁)
P-2  「転識得智(テンジキトクチ)」は次の「四智」(シチ)への質的な転換だ。
①第八阿頼耶識(「初能変」)からの脱却である「大円鏡智」(ダイエンキョウチ):過去の体験や経験という一切のしがらみを捨て、鏡のように、すべてのものをありのままに映し出す智慧)。
②第七末那(マナ)識(「第二能変」)からの脱却である「平等性智」(ビョウドウショウチ):自分の都合(自己中心性)ではなく、平等にものを見る智慧。
③第六意識(「第三能変」)からの脱却である「妙観察智」(ミョウカンサッチ):自我によるバイアスを去り、対象を十分に観察する智慧。
④前五識(「第三能変」)からの脱却である「成所作智」(ジョウショサチ):煩悩・随煩悩にとらわれず状況を把握した上で、やるべきことをやる智慧。(上124頁)
P-2-2  誤謬があり・私たちが仏の世界に近づくのを妨げるものを、仏教では「漏(ロ)」(「有漏(ウロ)」)という。仏教は、そうしたものが取り除かれた「無漏(ムロ)」を求める。したがって仏道とは「有漏(ウロ)から無漏(ムロ)へ」の道程だ。(上124-125頁)
P-2-2-2 「有漏(ウロ)から無漏(ムロ)へ」の道程は、唯識的に言えば「転識得智(テンジキトクチ)」である。すなわち「なにかと誤謬ある八識による認識」から、自己と世界の本質を瞬時に洞察・了知する「四智」への質的転換である。これが唯識仏教の目標だ。(上125頁)
Cf.  密教では大日如来の智を「五智」とする。 ⓪究極的実在それ自身である智 (法界体性智)、① 鏡のようにあらゆる姿を照し出す智 (大円鏡智 )、② 自他の平等を体現する智 (平等性智 )、③あらゆるあり方を沈思熟慮する智 (妙観察智)、④ なすべきことをなしとげる智 (成所作智 )。

D-3  「初能変」の第八阿頼耶識が改造されて顕(アラワ)れる「大円鏡智」は、過去の体験や経験という一切のしがらみを捨てたもので、すべてを文字通りありのままに映し出す鏡のような智慧だ。(52頁)
D-3-2  本識(根本の識体)(第八阿頼耶識)がかかる智慧(大円鏡智)となれば、そこから転変する七識(第七末那識、第六意識、前五識)もまた、それぞれにふさわしい智慧(平等性智、妙観察智、成所作智)としてスガタを顕す。(52頁)
D-3-3  「能変」という問題をクリアした「四智」!(52頁)
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