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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』I 序論(五)「精神現象学の目的」(その3-2):「ヘーゲル哲学の精神史的必然性」(ロ)《精神》における「反省・媒介の段階」、すなわち「ルネッサンス」・「啓蒙」の時代!

2024-03-27 12:19:43 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
I 序論(五)「精神現象学の目的」(その3-2) 
(9)「ヘーゲル哲学の精神史的必然性」(ロ)《精神》における「反省の段階」あるいは「媒介の段階」、すなわち「ルネッサンス」から「啓蒙」の時代!
★《精神》における(ロ)「反省の段階」あるいは「媒介の段階」は「ルネッサンス」から「啓蒙」の時代をさす。(64頁)
☆《精神》の(イ)「実体性の段階」では、「絶対的・普遍的・全体的なもの」のうちに「個別的・相対的・有限的・分別的なもの」は埋もれていた。
☆これに対してしだいに「個人」が自覚をえ、独立してくる。その自覚は「反省」あるいは「悟性」によってなされる。
・「彼岸」よりも「此岸」に人間の注意が向けられ、「此岸つまり現世」における労働とか幸福とかが人間生活の主要な問題となる。
・これが《精神》における(ロ)「反省の段階」あるいは「媒介の段階」だ。
・こういう気風が「ルネッサンス」から「啓蒙」にまで続く。

★ところが「相対的・有限的・時間的なもの」に人間が自分の注意と努力とを向けるという態度がまた、極限にまで行ってしまうと、もはや人間はそういう立場に倦怠を感じ、そうして再び「永遠的・絶対的なもの」を恢復したいと思うようになる。(64-65頁)
☆そこでヘーゲルは現代を「実体性恢復の時代」だとする。すなわち(ハ)《精神》における「実体性恢復の段階」だ。
☆『精神現象学』(1807)を書いている時代が「精神史的に非常な変革期」にあるとヘーゲルが考えているゆえんは、ここにあると思われる。(金子武蔵)

《参考》★「哲学が絶対知の立場にたたねばならない」というのはヘーゲルの考えであるが、さらに「時代がこれを要求している」のだ、すなわち「絶対知の哲学が出現すべき時代がやってきている」のだとヘーゲルは言う。(金子武蔵61-62頁)
☆ヘーゲル(1770-1831)は現代が「精神史における転換期である」と考える。(Cf. フランス革命1789年。)「我々は《精神》が飛躍して、従前の形態を越えて新たなる形態を獲得するという重大な転換期に、発酵の状態のうちにあるのをみる。」「哲学は《精神》を永遠なものとして認め、それに敬意を表さなくてはならぬ。」(ヘーゲル1806/9/18、36歳)
☆ヘーゲルは「絶対知の哲学は時代の要求しているものだ」、「世人の大多数も暗黙のうちに本能的に絶対知の哲学が出現しなければならぬことを認めている」と言う。
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