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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』I 序論(一)「カントとの関係」「2 純粋理性批判」(続):カントは「歴史的および社会的な世界」の媒介なしに、いきなり「絶対的な普遍」にいたろうとする!

2024-03-11 14:47:18 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)

I 序論(一)「カントとの関係」「2 純粋理性批判」(続)
(2)-2 カントの意識一般とか悟性は、「歴史的および社会的な世界」という媒介なしに、いきなり「絶対的な普遍」にいたろうとする!(33頁)
★カントによれば、超越論的客体(宇宙論的理念or世界)と超越論的主体(心理学的理念or霊魂)とが一つになるところに「神学的理念」つまり「神」がある。このようにして、絶対的統一、絶対的無制約者が考えられるのだが、しかしカントにおいてはこうした「理念」(「理性概念」or「理性認識の形式」)は、「理論」においては積極的意義をもたない。(33頁)

★カントにおいて「理念」に積極的意義が与えられるのは、「実践」において、つまり「倫理学」においてだ。(33頁)
☆けれどもカントの倫理学は、根本において「悟性の倫理学」だ。したがって「理念」的なものを積極的につかみ取るには不適当な点が多い。さて「理念」をつかみだす場合、ことに実践的問題に関してそうする場合、「歴史的および社会的な世界」を重んじなければならない。しかしカントの意識一般とか悟性は、「歴史的および社会的な世界」という媒介なしに、いきなり「絶対的な普遍」にいたろうとする。
☆したがってカント倫理学においては「理念」とか「精神」が十分に積極的な意味を持ってこない。

《参考1》「感性」や「知性」が人間の経験的認識にかかわる能力なのに対し、「理性」は経験的認識の成果を材料にしつつ、経験を超えた思考を可能にする能力である。
《参考1-2》「理念」(Idee)は 理性によって得られる最高の概念だ。カント哲学では「理念」(Idee)は、経験を超越する概念、すなわち「魂」・「世界」・「神」をいう。
《参考1-3》カントは、形而上学の本来の対象である「魂」・「世界」・「神」の三つの理性概念を「理念」とよび超越的、価値的な意味を与えた。「理念」は、意識内容一般をさす「表象」と、主観に本来備わって経験的対象の構成に用いられる「悟性概念(範疇)」とから区別され、悟性認識に最高の統一を与える「理性認識の形式」とされた。ただし「理念」は、経験においては、対象構成のために用いられてはならず、認識を規制する原理にとどまる。
《参考1-4》これに対し、ヘーゲルでは、「理念」は、その「対象」と統一され、「論理」・「自然」・「精神」として自己展開する「実在的な理性概念」であるとされる。

《参考2》カントは、人間の認識能力は、「感性」と「悟性(知性)」からなり、それを「理性」で統一しているとする。「感性」とは直観する能力のことで、対象と直接関係しながら対象を出会わせるものであり、「悟性」は思考する能力で、対象を妥当な概念として規定する。
《参考2-2》「空間」と「時間」は、「直観」の形式である。
《参考2-3》「悟性」の思惟形式が「範疇」である。「範疇」は思惟能力としての悟性の先天的(先験的)形式である。
《参考2-3-2》「範疇」は4項12目からなる。①量(単一性、数多性、全体性)。②質(実在性、否定性、制限性)。③関係(実体性[実体と属性]、因果性、相互性)。④様相(可能性、現実性[存在性]、必然性)or(可能性‐不可能性、現実存在‐非存在、必然性‐偶然性)。
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