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アイリアノス『ギリシア奇談集』:「アリストテレスが病に罹った時のこと」(「原因」を言わずに提言してはならぬ&アリストテレスの4原因説)!

2021-11-14 21:38:38 | 日記
※アイリアノス(200A.D.頃)『ギリシア奇談集』(第1~14巻)岩波文庫

第9巻(23)「アリストテレスが病(ヤマイ)に罹(カカ)った時のこと」:「原因」を言わずに提言してはならぬ!
ある時アリストテレスが病に罹り、医師がある療法を指示した。するとアリストテレスが言った。「私を、牛飼いや穴掘り人足と同じように治療しないでもらいたい。まず原因を話してください。そうすれば先生の指示に従います。」アリストテレスは「原因」を言わずに提言してはならぬと教えた。

《参考1》アリストテレスの4原因説(※原因とは「そのものを存在たらしめる要因」だ):アリストテレスは全ての存在の原因は4種類だと述べる。すなわち質料因 causa materialis,形相因 causa formalis,動力因(作用因) causa efficiens,目的因 causa finalisである。
《参考1-2》①「質料因」は事物の素材。(Ex. 椅子における木。)②「形相因」は事物の本質。(Ex. 椅子の形が形相、木が質料。)③「動力因」は可能態である質料を現実態へもたらすもの。つまり「存在の出発点」における動力。(Ex. 椅子の動力因は「大工」。)④「目的因」とは物事がそのためにあるところのもの。「存在の終着点」である目的。(Ex. 椅子の目的は「座ってもらうこと」。)
《参考1-3》存在の原因のうち最初の二つ、①質量因、②形相因が「内在因」であるのに対して、③動力因と④目的因は「外在因」と呼ばれる。

《参考2》アリストテレスにおける「デュナミス」(可能態)と「エネルゲイア」(現実態):Ex. 木の「可能態」は種子、木の「現実態」は成長した木。すべてのものは現実態となった可能態である。
《参考2-2》質料(ヒュレー)は形相(エイドス)に導かれて現実態となる。《デュナミス(可能態)→エネルゲイア(現実態)》の関係と《ヒュレー(質料)→エイドス(形相)》の関係は重なる。
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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(117) 百田氏の誤り:①「べ平連」結成の原因に関し「思いつき」的な「陰謀論」を語る!②成田空港建設反対闘争!③反戦一株株主運動!

2021-11-14 18:53:47 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「日本の復興」の章(385-455頁)  

(117)百田氏の誤り①:「べ平連」結成の原因に関し、史料に基づく説明がなく、「思いつき」的な「陰謀論」を語るにすぎない!(443-445頁)
P  百田尚樹『日本国紀』は「ベ平連」(正式名称:ベトナムに平和を!市民連合)について次のように述べる。ベトナム戦争について「[ソ連は]西側諸国内で巧みなプロパガンダ(政治宣伝)を展開したため、各国のリベラル層がアメリカを一方的に非難し、その空気は日本にも及んだ。そして作られたのが『べ平連』という市民団体である。彼らは『ベトナム戦争反対』のデモや運動だけでなく、平和運動と称して、企業を攻撃したり、成田空港建設反対などの闘争を繰り広げたりもした。」(百田443頁)
P-2  百田氏の誤り①:百田氏は「各国のリベラル層がアメリカを一方的に非難」し、日本では「べ平連」が結成された原因は「ソ連のプロパガンダ」だと述べる。だが彼はこの原因・結果の関係を史料によって説明していない。「思いつき」にもとづく「陰謀論」にすぎない。(443頁、448頁)
P-2-2 そもそも百田氏自身がすでに「世界の多くの人々が、アメリカの介入をベトナムの民族自決権を奪う行動だと見做していた」(百田477-478頁)と述べている。これこそが「べ平連」結成の最大の原因だ。(441頁)

P-2-3 百田氏の誤り②:百田氏は「彼ら[べ平連]は・・・・平和運動と称して・・・・成田空港建設反対などの闘争を繰り広げたりもした」(百田443頁)と述べるが、「成田空港建設反対などの闘争」(成田闘争)は「べ平連」が主体となって展開したのではない。(百田氏は意図的にそのような「誤解」を与えようとしている。)「成田闘争」は「新左翼」のメンバーが主体だ。(443頁)

P-2-4 百田氏の誤り③:百田氏は「べ平連」は「平和運動と称して、企業を攻撃」したと述べ、《暴力的》だとイメージさせようとするが、これは誤りだ。「べ平連」が行ったのは「戦争反対」の立場から、軍需企業の代表格と考えられていた三菱重工に対する「反戦一株株主運動」だった。三菱重工側は、株主総会で「総会屋」を動員し対抗した。(443-444頁)
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