DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

「和×洋コラボレーション・コンサート『ワブヨウネ-和舞洋音-』」ニッショーホール(2021/11/23):KOHKIの楽曲を中心に、和舞洋音のミクスチャーを体験する!

2021-11-24 19:39:13 | 日記
尺八や笙、篳篥(ヒチリキ)など日本の伝統的な楽器と、オーケストラとの共演。さらに日本舞踊、メゾソプラノの歌唱が加わる。出演は、大河内淳矢(尺八・オークラウロ)、KOHKI(ギター・三味線)、花柳幸舞音(日本舞踊)、鳥木弥生(歌唱・メゾソプラノ)、東田はる奈(笙)、國本淑恵(篳篥)、辻博之(指揮)、佐藤恵梨奈(ヴァイオリン・コンサートマスター)。「和×洋」コラボレーションの表現を追求する作曲家・KOHKIの楽曲を中心に、和舞洋音のミクスチャーを体験する。指揮者・辻博之のトークは流暢。花柳幸舞音の日本舞踊は力強く色彩豊か。鳥木弥生のメゾソプラノの歌唱は重厚華麗だった。KOHKIの楽曲は「和×洋」のコラボレーションが美しい。「笙」は妖精シュリンクスの葦笛(パンパイプ)に似る。「篳篥」はオーボエと同じダブルリード属の楽器だ。「オークラウロ」は尺八の歌口とフルートのキー装置を持った金属製の管楽器で、昭和初期に大倉喜七郎が考案した。

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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(121) 百田氏の誤り:①「壮大な社会実験」は「共産主義」でなく、「社会主義」に関してだ!②「社会主義」の手法が資本主義に取り込まれた!

2021-11-24 16:12:19 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「平成」の章(457-478頁)  

(121)百田氏の誤り①:「壮大な社会実験」であったのは「共産主義」という目的でなく、「社会主義」だ!(463-464頁)
A  百田尚樹『日本国紀』は「共産主義とは、20世紀に行われた壮大な社会実験であり、それはことごとく失敗に終わったといえる」(百田463頁)と述べる。
A-2  百田氏の誤り①:「壮大な社会実験」であったのは「共産主義」ではなく、「社会主義」だ。(463-464頁)
A-2-2  「共産主義」は、「社会」の最終的な発展として階級も政府もない理想状態を目指す考え方のことだ。つまり「目的」だ。(463-464頁)
A-2-3  「社会主義」は、共産主義という「目的」を実現する手順・手段だ。「壮大な社会実験」であったのは「社会主義」だ。(463-464頁)

(121)-2 百田氏の誤り②:「社会主義」の手法が資本主義の中に取り入れられ、生き残っている!「社会主義」は「ことごとく失敗に終わって」いない!
A-3  百田氏の誤り②:《共産主義という「目的」》を実現する《手順・手段としての社会主義》(※百田氏は「共産主義」と「社会主義」を混同し「共産主義」と呼ぶ)が、「ことごとく失敗に終わった」というのは誤りだ。(464頁)
A-3-2  「社会主義」の手法が資本主義の中に取り入れられており、「社会主義」は「ことごとく失敗に終わって」いない。(464頁)
A-3-3  「社会主義」の手法には「労働組合」「インフラの公営」「土地の一部公有」「社会保険」基幹産業の国有化「経済の国家統制」などがある。資本主義が社会主義に「勝利した」と言えるのは、資本主義の中に「社会主義」の手法を取り入れてメンテナンスに成功したからだ。(464頁)

A-4  百田尚樹『日本国紀』は「共産主義は人を幸せにしない思想である」(百田463頁)と述べるが、これは主観的価値判断であって、事実的・歴史的、また論理的には「共産主義は理想にすぎず、非現実的であった」と言うべきだ。(464頁)
A-4-2  別に共産主義そのものは「人を幸せにしない思想」というわけではない。ただそれを実現するための社会主義の「諸実験」にソ連が失敗したということだ。(464頁)
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「アベノミクス」9年:①労働分配率低下!②トリクルダウンの「回路」なし!③「総活躍」と「自助」!「安定就労層」・「福祉需給層」・「新しい生活困難層」!④「補完型」の福祉給付!etc.

2021-11-24 13:14:38 | 日記
※《参考》宮本太郎(1958生)「新自由主義と社会保障」(朝日新聞2021/10/20)  

(1)アベノミクスで労働分配率低下!格差拡大!
岸田内閣(2021-)が「分配」を強調するが、安倍内閣(2012-2020)のアベノミクスでも「分配」が言われた。「異次元の金融緩和で経済を拡大し、成果の果実を社会全体に行き渡らせる」とアベノミクスは約束した。しかし(ア)株価が3万円台に回復しても、働き手への労働分配率は低下し、(イ)格差も拡大した。
(2)アベノミクスはトリクルダウンの「回路」を作らなかった!
アベノミクスは「大企業の収益上昇」・「富裕層の消費」でお金が滴り落ち(トリクルダウン)、こうして社会全体が豊かになると述べたが、ウソだった。アベノミクスは、トリクルダウンの「回路」を作らなかった。
(3)アベノミクスの「総活躍」・「自助」は、「無助」だ!
アベノミクスは「1億総活躍」「自助」を奨励した。しかし「共助」「公助」があって初めて「自助」が成り立つ。「コロナ禍で感染した家族同士が自宅療養でふすま越しに声をかけあい、診療を待つ」ような「共助」、「恥ずかしいこと」という烙印が押された「公助」の生活保護。これはつまり、「無助」の社会に等しい。
(4)「安定就労層」・「福祉需給層」・「新しい生活困難層」の3層の間の相互不信!
社会保障の観点から言うと、いまの日本は3社会階層からなる。従来は「安定就労層」(正社員)と「福祉需給層」(生活保護需給層など)の2層を想定していた。「働けるか働けないかの2分法」だった。だが今やこの2つの層の狭間に、社会保障制度の支援が届いていない「新しい生活困難層」(非正規雇用、フリーランス、一人親世帯など)が生まれた。そしてこの3層の間の「相互不信」が強まっている。
(4)-2 コロナ禍の打撃は「新しい生活困難層」に集中している!
「新しい生活困難層」は(a)老親の介護、(b)自分のメンタルヘルス、(c)子供の発達障害など複合的困難を抱える人も少なくない。「安定的に働いて社会保険に入る」(Cf. 安定就労層)ことも難しく、「対象が絞り込まれた福祉」(Cf. 福祉需給層)も利用できない。コロナ禍の打撃は「新しい生活困難層」に集中している。
(4)-3 「新しい生活困難層」のための「補完型」の福祉給付!
対象を厳しく絞って最低限の生活費用をまるごと保障する「代替型」の福祉給付(Ex. 生活保護)とは別に、「新しい生活困難層」のために「補完型」の福祉給付が新たに必要だ。いろいろな困難それぞれに手当てして無理なく働ける条件を作る福祉給付だ。
(5)「新自由主義的」アベノミクス!
アベノミクスは「成長ありきで自助頼み」という点で「新自由主義的」だ。
(6)「地方公務員が50万人以上」減らされた!
平成(1989-)以降、「失われた30年」の時代に、国や地方の借金が膨らみ、構造改革の名のもとで「地方公務員が50万人以上」減らされた。今や、政策を実行しようにも人手が足りない。この動きを促進したのが、日本にある「強い新自由主義的な『磁場』」、「磁力としての新自由主義」だ。《感想》これはすなわち《公務員への敵意》として、日本国民に広範に広がった《妬み》(Ex. 給料が高い)かつ《蔑み》(Ex. 薄給の公務員)の感情だ!
(7)戦後の自民党政治と「日本型資本主義」!
戦後の自民党政治は、生活保障の面から評価すべき点があった。戦後の「日本型資本主義」は弱者を支える仕組みが備わっていた。(ア)企業は、株式の持ち合いで経営者と従業員の共同体としてあり、また(イ)公共事業や業界の保護で、都市に集中する雇用を地方に再分配した。利権政治だったが、地方の弱い立場の人たちに向かい合っていた。
(8)小泉内閣の「構造改革」は地方の人々の生活を壊した!
小泉内閣(2001-2006)の「構造改革」は、「利権政治」を「ぶっ壊す」と言ったが、(a)何の青写真もなく、(b)地方の人々の生活を壊した。
(8)-2 安倍内閣の「強い人をより強くするような新たな利権政治」!
利権政治のみは別の形で生き残った。新自由主義が強まった社会で、安倍内閣(2012-2020)の「モリカケ問題」や「通信事業者による官僚接待」のように、「権力者に近い、強い人をより強くするような新たな利権政治」となった。
(9)岸田内閣は「日本型資本主義」を引き継いでよい!
岸田内閣(2021-)の「新しい資本主義」は、「日本型資本主義」を引き継いでよい。「日本型資本主義」は雇用と社会保障、経済がリンクし、それ自体が生活保障の仕組みになっていた。ただし(ア)男性の稼ぎ主が中心で女性は扶養家族となり、ジェンダー格差が顕著だった、また(イ)会社や業界が生活保障の単位で、周囲に同調して依存するほかなく働き手を委縮させた。
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