ラッシーママのひとりごと

仕事を辞め好きな事に一日を費やしている主婦です。

七福神勢揃い!

2017年10月30日 | 手芸

今日(30日)は月2回目の手芸の会の日でした。
毎回、リーダーのHさんが作品を作って見せてくれます。
今回は「犬張り子」でした。

 

 

このように月2回の手芸の会の仲間に入れて貰ってるので沢山の作品を作れますが
一人で作るとなるとアイディアも浮かんできませんし
仲間の作品を見る事によって凄く勉強になります。


私は最後の七福神が完成したので、今日の手芸の会に七福神を持って行きました。
皆さんが、大作をよく作ったと褒めてくれて嬉しいです。
あとは7人が乗る船に挑戦しますが、この船が難しい・・・
7体を並べて飾るよりも船に乗せたら豪華になると思います。
船作り、頑張ります。

 

 

今日の手芸の会では、来年の干支の犬を作りました。
↓でリーダーが箱に沢山の犬を作り、犬饅頭?と言ってましたが、その犬です。

 

  

 

 

 

 

 


 

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今月の手芸教室&七福神の6体目!

2017年10月25日 | 手芸

毎月、近所のKさん宅に月1で手芸を教えに行ってますが今日(25日)がその日でした。
今月は立ち鼠です。
簡単そうに見えたので時間内に仕上がるかと思ってましたが、意外と時間が掛かって
写真を撮るのにマッチ針で押さえた所もありますが殆ど完成です。


吊るし飾りの中心になる七宝まり、Nさんは仕上げてましたがKさんは未だ仕上げてなく
Nさんの七宝マリを見て気持ちが焦ると言ってましたが、Kさんも七宝まり仕上げてました
Kさんのお母様は骨折の手術後はリハビリ専門の病院に転院して、未だ家に戻られていませんでした。

 

  

 

Kさん宅で手芸を教えだして1年半、お喋りをしながらでも作業は大分進むようになり
毎回、時間内に仕上げられるようになりました。
Kさんは世界最大種の猫メインクーン・Nさんはラブラドールレトリバーを飼っており
私は亡きハスキーのラッシーを飼ってたので、話しは専ら飼い犬・飼い猫の話しで盛り上がります。

 

 

帰りにKさんから手作りのお味噌と山椒のシラス合えを戴いてきました。
早速夕飯にこのお味噌で味噌汁を作りましたが、優しい味で美味しい・・・

 

 

七福神の6人目が完成しました。
「寿老人」ですが、この寿老人の顔に髭や髪の毛に真綿を使うのですが
今時、真綿なん使う事が無いらしく手芸屋さんに売ってなく
布団屋さんにはあるかもしれませんが使う量も少しなので、どうしようかと手芸の会の時に話したら
真綿を持ってる人が居て、次回の手芸の会の時に持って来てあげると約束してたのですが
実は私、持ってたのです。


全く忘れていたのですが、以前に旅行に出掛けた先に綿花を売ってた花屋さんがあって
綿の花を観た事が無かったので珍しくて1本買いました。
もう何年も前の話しで、綿花が汚れるといけないと思い透明のラッピングフィルムで包み
下駄箱の上に立て掛けて置きましたが、時には邪魔になるなぁ・・・
それが綿花だと思い出しました

 

 

綿の花って見た事が無いのですが、ネットで調べると5枚の花弁があって
その5枚の花弁が綿になるようで、1枚の花弁分の綿だけでも結構あるのです。
↓で使った綿は髭と髪の毛で1枚半の量でした。

 

  

 

残り1体になりました。
次回(30日)の手芸の会には出来上がった7体を持って行けると思います。

 

 

 

 

 




 

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七福神の2体&明治座!

2017年10月21日 | 手芸

10月の手芸の会では来年の干支であるワンちゃんの作品を教えてくれてる。
リーダーのHさん、毎回作る人数分のセットを用意してくれて安く譲ってくれる。
私も2セットを譲って貰ったのだが、未だ七福神が未完成なのでそちらを
作り終わってからにしようと、残りの4体の内2体が出来上がった。

 

  

 

これで5体を作り上げましたが、今回作った「布袋和尚」が一番難しかったですね。
それは頭です。
吊るし飾りや手芸は必ず縫い目や頭の始末には隠すように作るのですが
この和尚は坊主で頭を胴体と繋ぎ合わせても、髪の毛や帽子を被せる訳にもいかず
苦肉の策で、顔を作った後に後頭部の大きさの布をぐし縫いしてまつりました。
残りの2体の1体がもうすぐ出来上がります。


リーダーの作品、犬饅頭?です。

 

  

 

 

 

 

                        

 

 

 

昨日(20日)姉と待ち合わせてお芝居を観に行って来た
お芝居は明治座でやってる「おんなの家」。

 

  

 

橋田寿賀子作 石井ふく子演出ですからTVの「渡る世間は鬼ばかり」の舞台版ですね
先日観た芝居が余りのつまらなかったのに比べ面白かった・・・
生意気な事を云うようですが、最近私が行く旅行は観光地の選び方から宿の決め方
全てが上手くなったと思いますが、それは回数を重ねるのと失敗を生かしてる事だと思います。


それと同じく芝居も失敗して勉強するのだと思いますが
何本か観てみてみないと、面白いか面白くないかも分からないのですが最近やっと分かってきたような気がします。
面白い芝居なら高額でも何とも思わないのですが、面白くない芝居だと高額な金額に損したと思ってしまいます。
そのような後悔をしない為にも、これからの芝居選びも注意したいものです。


姉が大きな袋を持ってたのですが、その中味が全て私への土産だそうで
こんなに重い荷物は持って来るのに大変だったでしょ」と言いますと
雨が降って無かったので持ってこれたから・・・
外は今にも雨が降り出しそうでしたが、未だ降って無かったのです。

 

 

凄い量でしょ、これを私に食べさせたいからと重い荷物を持って来てくれたのですから
姉の気持ちを思うとありがたくって・・・
未だ他にあったようですが、とてもこれ以上は持てないからと・・・

姉には近くに住んでる娘夫婦が、仕事の関係で余った食べ物をどんどん運んで来るようで
それには姉から他の形でお返ししてるからだと思いますが、その分がこちらに廻って来ます。
取り敢えずロッカーに荷物を預けて座席へ座り、明治座は座席で食事が出来るのです。
12時からの公演なので各自が持って行ったおにぎりで昼食を済まし芝居を観ました。


15時前には芝居が終わり、何時もですと近辺で姉が食事をご馳走してくれてましたが
今回は食事処を探しておきました。
芝居が終わるのが15時前後ですとランチの時間に間に合わず
15時から17時は休み時間で、時間を通してやってるお店が少ないのです。
特に60年ぶりの寒さになった前日で、この日も寒くて着て行く物を考えた程で
電車内ではコートを着てる人が多かったです。


ロッカー内の荷物を半分づつに分け持ち歩き、姉は元々鍋物が好物で寒かったので
両国まで出てちゃんこ鍋にしようと思っていたのです。
相撲の安美錦関がやってるちゃんこ屋「安美横網横丁本店」に行ってみました。


このお店、ちゃんこ自体は安いのですが飲食店なので飲み物を1杯頼むそうで
姉も私も飲めないのですが姉はウーロン茶、私は梅酒割りを頼みました。

 

 

お店の人が材料全てを鍋に入れてくれます。
普段は飲まない私が生ビールを追加しました、信じられますか・・・
二人分の材料でお腹一杯なのですが、最後にうどんを1人前頼んで
お腹一杯と言いながらも殆ど食べてきました。

 

 

 

こんなに沢山のお土産を戴いたのですから、勿論私がご馳走しました。
両国の駅で姉が持っててくれたお土産を貰って別れましたが、来月も楽しい企画が待ってます。

 

 

 

 

 

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布引観音&本白根山2!

2017年10月17日 | 旅行

旅行2日目後半の続きです。
苦労して行った甲斐があった布引観音、下りて来たのが丁度正午
途中のコンビニでお弁当を買ってきてたので、ラッシーパパは此処でお弁当を食べようと言うが
休むベンチも無いし、4,5台しか停まれない駐車場の周りでは休む気も起きないが
ラッシーパパは私の上り下りに気を使ったらしく疲れたと言う。


言っときますが私は一人で出来るのに、「こっちの方が段差が小さいからこっちを通れ」とか
親切を通り越して煩い
私は足が悪くなって半世紀近く、身体全体が目になっていて自然と足元に全神経がいってるのです。
威張る訳では無いですが、自分の事は自分で出来ます
てな訳で、次の観光地「龍岡城五稜郭
龍岡城五稜郭」は「函館五稜郭」と共に日本に二つしかない星形の洋式城郭だそうです。


行ってみたら今は小学校になってました。
この日は真夏が戻ったような暑さで、藤棚の下にテーブルと椅子が置かれてあり
其処が涼しいので、其処でまずは腹ごしらえしました。

私は北海道にはツアーで5,6回行ってるのですが「函館五稜郭」は行って無いのです。
ラッシーパパも行った事が無いそうで、此処で五稜郭を実際に歩いてみる事にしました。


龍岡城は江戸時代末期に田野口藩主・松平乗謨が元治に元年(1864)に田野口藩新陣屋
として着工し、慶應3年(1867)に竣工したそうです。
突角部に砲座を設け各稜堡から十字砲火をもって攻防することを目的としています。
廃藩後明治5年(1872)城は取り壊しになりましたが
堀と土塁、建物の一部「お台所」が城内に残されてるそうです。

お台所の内部の見学につきましては、事前予約が必要との事で
見学は出来ませんでした。

 

 

高い場所から見るなら星形になってるのが分かると思いますが
実際に歩いてみると星形が分かりますが、あとは逞しく想像するだけです。

 

 

地図から見ると鶴岡城大手門に当たると思います。

 

 

 

 

 

その後も観光地を周ろうと思ってたのですが、午前中の布引観音で疲れてしまってホテルに帰った。
3日目(11日)も抜けるような青空。
ホテルを9時前にチェックアウトし、カーナビに行き先を入れたのですが
どう間違えたか「本白根山ロープウエイ」の駐車場前を通ったので、急遽ここで遊ぶ事にした。
時計を見たら10時でした。

 

 

ガイドマップを見て「中央火口ビュースポット」に行く事にしたのですが
其処に行くにはロープウエイ・リフトに乗らなければ行けないのですが
リフトが怖いラッシーパパ、毎回一悶着あります。


ロープウエイ13分でロープウエイ山頂駅・展望テラスに着きますが其処から折り返そうと言うのです。
姉と私は折角乗るのだから、その先のカマクサリフト5分に乗り見晴台
そこから歩いて20分位で中央火口ビュースポットに行けるのです。
なんだかんだ言うラッシーパパを無視してチケットを買いました。
チケットを買ってしまえば必ず行くラッシーパパですから・・・

 

 

 

 

中央火口ビュースポットに行ったのですが、写真を撮るのを忘れたようです。
リフトは上りよりも下りの方が怖いようで、姉と私と一緒にリフトに乗り
ラッシーパパ一人で前のリフトに乗って貰ったが、下を見ると怖いからと空を見てるものだから
上りのリフトですれ違ったご婦人二人が空に何かがあるのかと空を見るので
空には何も無いです、下を見ると怖いそうです」と言いますと笑ってました。

 

  

 

此処でも素晴らしい景色を観る事が出来ました。

 

 

 

 

駐車場に戻ったのがお昼頃だったので、帰りながら昼食を食べる事にして
姉を高崎駅で降すのでカーナビに行き先を入れて出発した。
途中に「道の駅八ッ場ふるさと館」があったので寄ってみたが
道の駅の中に大きいしレストランもあった。


そこで野菜を買ったが、アケビが1袋290円で売ってたのでそれを籠に入れてたら
傍に居た4,5人ずれの同年齢らしき女性達にどのように食べるのか訊かれた。
ザクロのように口の中で汁だけ吸って、種は出します
殆ど食べる所は無いですが珍しいので・・・

 

 

10月の栗は虫が入って食べれない事が多いが、見たところ綺麗な栗だったので買ったが失敗
やはり虫は入って無いが殆ど1部が黒くなってたりで不味くて食べれない
ここのレストランで食事をする事にしたが、レストランとは名ばかりでテーブルが並んであって
食券を機械で買って番号を渡され、出来たら番号を呼ばれ取りに行く・・・あれです。


でも他に行くのも面倒なので此処で食べた。
姉とラッシーパパは天婦羅うどんと蕎麦を頼んだけれど私は八ッ場ダムカレー
この八ッ場ダムカレーですがTVで見た事があったので頼んでみたのです。
まぁまぁ美味しかったですよ。

 

 

 

もう1軒「道の駅草津運動茶屋公園」も通り道です。
朝採り野菜が柔らかくて美味しそうで、あれもこれもと買ってしまった。

 

 

姉を高崎駅で降ろし家に着いたのが16時半頃、今回も楽しい旅行でした

 

 

 

 

 


 

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布引観音&本白根山1!

2017年10月13日 | 旅行

10月9日(月)~11日(水)まで軽井沢近辺に行って来た
東京の姉を最寄りの駅に9時に迎いに行き、家を出発したのが9時20分頃


ホテルに行く前に観光地に寄って行こうと資料を沢山持って行き
丁度お昼頃に軽井沢に着いたので道の駅「軽井沢発地市庭(かるいざわほっちいちば)」で
テント下で焼きそばと豚汁を売ってたので、其処で焼きそばと豚汁を買ったのだけれど
この日は「体育の日」で祭日、天気も良く暑いくらいで
沢山のテーブルと椅子があったが、どのテーブルも塞がっていて
テント内にあったテーブルで食べていいと言う。


この焼きそばを売ってた年配のおじさんに、「何処かいい所がありますか?」と訊いたら
穴場で見晴らしが良くて人は居ないけれどと「碓氷峠見晴台と熊野皇大神社」の道順を教えてくれた。
教えて貰った道が余りに細いので、カーナビに案内して貰おうと行き先を入れ案内して貰ったが
細い道を入り近くまで行ってるのに、道が違ったようで何度か同じ道をウロウロ・・・
面倒になって急遽「旧三笠ホテル」に行き先を替えた。

 

 

 

 

 

中に入ってみましたが誰も説明する人が居ないので、只さっと観るだけで面白くも何ともない・・・
折角の重要文化財なのだから説明して貰うと面白さが何倍にもなるのになぁ・・・
宿泊地のホテルに向かいました。


連泊でお世話になる「ホテル軽井沢1130」は部屋が56平米以上でスイートルームなので
前から1度泊まりたいと思ってたホテルでした。
↓のベッドには私と姉さんが寝て、寝室のベッドにはラッシーパパ一人で寝て貰った。

 

 

 

このホテル、私が今まで泊まったホテルでは一番大きなホテルでした。
1日目はツアーバスが5台、2日目は3台停まりそれだけ大勢の人数が集まってるのに
レストランも沢山あって和食・洋食・バイキングと分かれていて整然と食事してます。
私達はバイキングでしたが、その種類が多くて全部の種類は食べれなかった


自分で分かっているのですが、バイキングだと食べれなくてもお皿に盛ってしまいますが
残すのを知ってるラッシーパパは、その分少なめに持って来てます。
私は目が食べたいのです
夕食に朝食です。

 

 

 

ホテルの屋上からは素晴らしい景色です。
浅間山がきれいに観えます。

 

 

 

 

ホテルを9時前に出て今日の観光地の「布引観音」に行ってみました。

「牛にひかれて善光寺」の伝説の舞台となった寺

 小諸駅の西よりにある行基創建という天台宗の名刹。
断崖絶壁にかかる観音堂(重文)に安置されているのが牛に化身して
強欲な婆さまを善光寺に連れていき改悛させたという布引観音様だそうです。

 

  

 

布引山の切り立った中腹に、朱塗りの観音堂があり、中にある宮殿は国の重要文化財に指定されているそうです。
断崖絶壁にある観音堂は、実際に行くと、こんなにすごい所にあるのかと驚かされますが
スリル満点!でした。

 

  

 

 

私はこの布引観音についてよく調べて行かなかったので知らなかったのですが
牛に化身した観音様は、断崖絶壁にかかる観音堂(重文)に安置されてますが
この観音堂に行く迄の道がきつかった・・・


何しろ85歳の姉と足の悪い私が上るのですから、健常者?なら20分前後で行けるようですが
上りは1時間も掛かってしまった。
私はこの観音堂は道路から観えるのだろうと思ってたので、いざ山に上り始めたが
中々観音堂が観えないので引き返したかったが、85歳の姉が1本のストックに全体重を乗せ
上って行くので必死になって付いて行った

 

 

  

 

 

やっと社務所のある所に着きましたが、社務所の立派な事
途中で引き返そうと思ったが引き返さないで良かった・・・
周りの景色を観て、余りの素晴らしさに感動です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと宮殿に着きました。
苦労して来ましたが、この宮殿の舞台?から「布引山・釈尊寺」を眺めるのは
清水寺の舞台に上ってるような気分になります。
私、宮殿に居るのです、感動です

 

 

 

 

40分掛けて下りましたが、姉も私もきつかったけど行って良かった・・・
駐車場に下りてきて時間を見たら丁度12時でしたが、休む場所が無いので次の地へ
その事と翌日の事は次回にね・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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木曽駒高原&千畳敷3!

2017年10月08日 | 旅行

3日目(3日)は9時前にホテルをチェックアウトして中山道の妻籠宿に向かいました。
この妻籠宿は日本で最初に町並み保存に取り組み、街道沿いに江戸時代の家並みを見事に保存し
日本一の面積だそうです。


江戸と京を結ぶ中山道69次のうち江戸から数えて42弁目の宿場町。
馬籠宿から馬籠峠を越えて至る山間部に位置し、約800mの道沿いに家並みが連なってます。

 

 

 

 

 

↑は有形文化財「上嵯峨屋」で妻籠宿最古の建物だそうで、庶民の旅館としての雰囲気を
感じる事が出来ますね。

 

 

 

島崎藤村の母の生家である妻籠宿本陣ですが、中に入ってみて余りの広さに驚くばかり・・・
建物が大き過ぎて全部は入らないのです
明治に至るまで本陣、庄屋を 兼ね勤めたそうです・・・こちら

 

 

 

 

 

この本陣の斜め前に「南木曽博物館・脇本陣奥屋」が建っており
常時、係員さんに寄る案内をしてくれるそうなので入館して見ました。

 

 

 

 

囲炉裏のある部屋の柱や壁は、煤がついたのを磨くと黒光りするそうで
手の届かない所は煤が付いたままです。

 

 

 

島崎藤村の詩「初恋」に詠われたおふゆさんの嫁ぎ先で、藤村さんがわざわざ書いてくれたそうです。

 

 

この屋敷には誰もが入れる門と高貴な方のみが入れる門があって
明治10年に建てられ13年には明治天皇が御小休所になり、その時にその門からお入りになったそうです。
現天皇・皇后両陛下も皇太子時代にいらして、この門が開けられたそうです。

 

 

明治天皇は長いブーツをお履きになり、部屋には赤い絨毯を敷き詰めた上を歩き
その為に家長の林氏が背の高いテーブルを作らせ、其処に30分ほど居らしたそうです。
テーブルの蓋?が取り外せ、其処にはその時の事が書いてあります。

 

 

 

 

明治天皇の為に御便所も作ったそうですが、わずか30分の休養では使わなかったそうです。
この屋敷は参勤交代の時に大名が宿泊する宿として使われていたそうで
それも数える程度しかないので、普段は造酒として使ってたそうです。

 

 

 

 

裏に出ると資料館があり、先程の井戸とは別の井戸です。

 

 

 

島崎藤村は林ふゆが初恋の人だったらしく、沢山の品々を林ふゆさんに贈ってます。

 

 

 

 

 

尾張藩では材木はもとより白木に至るまで統制し、木1本で首1つ枝1本で腕1本と言われた程
厳しく取り締まったそうです。

 

 

 

 

隣の馬籠宿に向かいました。
馬籠宿は島崎藤村の生誕の地ですが、1日目と先程の妻籠宿でさんざん勉強してきたので
此処では生誕の地を観るだけにしました。

 

 

 

 

 

 

馬籠宿は石畳が続く坂でした
下まで下りて上って・・・で疲れたし汗ビッショリ
時間を見たら丁度お昼頃、ラッシーパパは朝食を食べ過ぎてお腹が空いて無いと言うので
それなら五平餅を食べる事にして店に入って、まず水を貰い喉を潤す。
此処の五平餅は平べったく無くて団子状態。
1皿5本で500円は安いですが一人1皿は食べれない、二人で1皿食べ
そのまま家に帰ったが付いたのが16時前、早く帰れて良かった

 

 

 

 

 

明日より(9日)~11日まで旅行に行って来ますので
↑の記事を急いで書いたので疲れた・・・

 

 

 

 

 

 

 

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木曽駒高原&千畳敷2!

2017年10月06日 | 旅行

2日目(2日)は千畳敷に行く予定でしたが、朝から曇っていて今にも雨が降ってきそう
細かい事を云うようですが千畳敷に行くには大駐車場に車を置き
其処からバスとロープウエイに乗り継いでいかなくてはいけないのですが
大人一人往復4000円近く掛かるので、千畳敷カールに着いても周りが何も観えないのでは・・・

ブログ仲間が千畳敷の写真を載せてたのを見て、行きたいと言い出してから2年
8月に申し込んであったのを台風が接近してたのでキャンセル、2度目の申し込みでした。
取り敢えず駐車場まで行ってみてから様子を訊いてみる事にして、急いで朝食を食べ
7時半にはホテルを出ました。

 

 

このホテルから千畳敷がある駐車場までは1時間以上掛かりましたが、駐車場には既に沢山の車が停まっており
整理してるおじさんに訊くと、凄く綺麗に見えてるとの事
臨時バスも出てて、そのバスに乗り込みました


駒ケ岳ロープウエイしらび平駅が1662メートルあり、千丈敷駅は2612メートルは日本最高で
日本一の標高差だそうです
ロープウエイに乗る前は雲が山をすっぽり覆っていて薄暗く心配でしたが
千畳敷駅に着くと、雲は下の方に見えて明るいのです
紅葉マップで時期を合わせ予約してましたが、千畳敷カールは見事な紅葉を観せてくれました

 

 

 

 

宝剣岳(標高2,931m)直下に広がる通称「千畳敷カール」。
「カール」とは、氷河期の氷で侵食されて形成されたお椀型の地形のことで
「千畳敷カール」は畳を1,000畳敷いたほどの広さがあることから名付けられたそうです。

 

 

富士山」が小さく観えますが、千畳敷から富士山が見えるのは年に何日も無いそうで今日は凄いです
風がピューピュー音を立てて上着を着てても寒く手がかじかんでくる。

 

 

 

千畳敷駅と隣接したホテルが「千畳敷ホテル」で国内最高所で営業してるホテルです。
千畳敷カールを1周出来るようなので散策してみる事にしましたが、岩がゴロゴロしてて歩き難い

 

 

 

途中で雲が襲ってきて周りが全く観えなくなり、既に綺麗な景色が観れたからいいや・・・
と思ってましたら、すぐに上空へ風に追いやられてました。

 

 

 

 

一番見晴らしのいい場所のようで広くて、座っていいように丸太の木が沢山置いてある。
時間も丁度お昼頃だったので、途中のコンビニで買ったお弁当を食べたが
ポットに熱いお湯を入れてきて正解、暖かいコーヒーが美味しい・・・

 

 

  

 

 

素晴らしい紅葉を観ながらゆっくり1周しましたがラッシーパパは感激してました。
どちらかの添乗員さんが、これ以上の紅葉はしないと話してるのを聴きました。
帰りも30分位待ってロープウエイに乗りましたが、しらび平駅に降りてビックリ
下界?は雨が降ってるのです


バスで駐車場まで行く道は雨でかなり濡れてます。
駐車場ではかなりの雨で、来た時に整理してたおじさんもいないし
これから行こうと思ってた人達は考えてしまうのではないでしょうか。
私も初めて知りましたが、雲の上が天気だなんて信じられますか・・・
ホテルには14時過ぎには着いて、今日も温泉に浸かり夕食を待つばかり。

 

 

3日目は次回にね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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木曽駒高原&千畳敷1!

2017年10月04日 | 旅行

10月1日(日)~3日(火)まで木曽の歴史紀行・中山道2宿・千畳敷と
欲張り旅行をして来た。

1日は9時前に家を出て「義仲館」に着いたのが12時半頃
来る途中のコンビニでお弁当を買い、義仲館と隣接してる公園のベンチでお弁当を食べ
お腹を満たしてから義仲館に入った。

 

 

 

旅行に出掛ける際は沢山の資料を持ち観光を決めてるのですが
木曽義仲と巴御前の名前は知ってましたが、詳しい事は知らなかったのです。
資料館に入るまでは何時の時代の人だったかも定かでなかったのですが
資料館では源義仲と書いてあり、頼朝・義経と従兄弟なのですね。

 

 

この木曽では英雄なのでしょう、生い立ちから討死までをビデオや絵で詳しく説明してます。
この資料館、とても面白かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平家10万の大軍に対し義仲軍は5万の兵士、兵力は半分だったが夜襲を掛けて大勝利
平家一門は義仲の追撃を恐れて神戸、九州へと都落ちしていく。
後白河法皇を保護し平安京に入る。
都の人々は傲慢な平家を追い出してくれた英雄として義仲軍を喝采で迎えが
その後に好き勝手をやる義仲に、法皇は義仲の留守中に頼朝に接近し「義仲追討」の令を発布。

 

 

 

巴御前ですが死ぬまで義仲に寄り添うと言ってきかない。
「巴!お前は私のことを、“最後の戦に女を連れていた”と世の笑い者にしたいのか!」
しかたなく巴は東国へ落ち延びて行く。

墓は義仲を憐れんだ近隣の大津・膳所(ぜぜ)の村人たちが造った。法名、徳音院義山宣公。
その数年後、尼僧が墓の側に草庵を結び朝夕に菩提を弔い始めた。
人が名を尋ねると「名は捨てました」。後に村人は彼女が巴御前と知り
没後に草庵を「無名庵(むみょうあん)」といつしか呼び始める。


今回、義仲館に行き、義仲と巴御前の事を知ったのですが
義仲没後510年後に(1694年)、一人の俳人が遺言を弟子に残す「私の亡骸は義仲公の側に葬って欲しい」。
その俳人の名は松尾芭蕉。 
所要で向かった大阪で逝去した芭蕉の亡骸は、遺言に従って弟子10名(去来、基角他)が舟に乗せ
淀川を上がって義仲寺・無名庵の前に埋葬した(正面右から芭蕉、義仲、巴御前の順で並んでいる)。
境内には弟子の又玄(ゆうげん)によって句碑が刻まれた「木曾殿と背中合せの寒さかな」。

 


このような一生だったそうですが、生きて行くのが如何に大変だったことか
今のご時世が如何に気楽で楽しいものか、そして我々のように年金で生活出来る事がありがたい・・・


その後に行ったのが「福島関所跡日本四大関所の一つ(箱根、新居、碓氷、福島)
中山道の要衝として「入鉄砲」「出女」を取り締まった関所だったようです。

 

 

 

隣接してる「高瀬資料館」、日本遺産に指定されていて此処が面白かったですね。
このお宅に島崎藤村のお姉さんの嫁ぎ先であり、「家」のモデルとして知られていると書いてありました

 

 

 

 

 

現在の高瀬家は19代目だそうで、私達二人の為に細かく説明してくれました。
顔出しの了解を頂いてます。

 

 

  

 

 

第九代目の当主が徳川家に献上した「奇應丸」の製造販売を始めたそうです。
第十三代目が最後の武士で、昔は↑写真に写ってる高い所までが庭だったそうで
高い所にある家が建ってる場所が道場?っだたそうで、其処で反対派に寄って首を切られたそうです。
今では庭の中に線路が走り電車が通ってるそうですが、電車が走る為に土地を譲られたそうです。

 

 

  

 

 

2階に上ると島崎藤村に関係する資料が凄~い
お姉さんの園さんは第十四代目に嫁いでいるので、その関係から独身の頃から高瀬家に来て
2か月間ほどよく滞在してたそうです。
結婚し妻の冬さんが何人目かの子供を産んだ後肥立ちが悪く 亡くなってしまい
子供の養育に困った藤村は、姉の園さん宅に子供一人を10年間ほど預けたそうです。

 

 

①島崎藤村 ②高瀬家16代目当主 ④預かった子供 ⑤16代当主の妻
16代当主は現在の19代当主の父親の祖父と話しは聴きましたが、③はもしかして18代目(父親)の赤子の頃・・・
お姉さんが亡くなられた後も島崎藤村は、よく遊びに来てたそうです。
子供を預かって貰ったお礼に掛け軸2本をお礼に書いてくれたそうです。

 

  

 

 

 

  

 

 

 

 

邸内にはお休み処も設けられゆっくり出来ますし、今回は当主さんからお茶まで戴きました。
とてもすべては載せ切れませんが、とにかく面白いので興味のある方は是非いらして下さい。

 

 

その後は「木曽馬の里」に行きましたが、木曽馬は長野県の天然記念物として1200年にも及ぶ
歴史の中で優れた馬として名声が高まり、木曽義仲が京都へ攻め上る際の軍馬の主力だったそうです。

 

 

 

 

このお馬さん可愛い、おとなしくて触らせてくれます。
雑草をとって掌に乗せれば手から直接雑草を食べてくれますよ
これで予定は全部行きましたので、ホテルに向かい
今日・明日の宿の「木曽駒高原ホテル」に16時頃に着き、部屋に向かいました。

 

 

 

夕食まで温泉に浸かり、お腹が空いてたので17時半の夕食にして貰い
部屋に戻ってベッドに横になったらそのまま寝てしまい、夜中に目が覚めやる事が無いので
スマホで木曽義仲の勉強をしました
2日目は次回ね!

 

 

 

 

 

 

コメント (10)
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