King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

秩父の桜は見ごろです。

2019年04月08日 11時54分04秒 | 日々のこと

当店の駐車場の隣の秩父銘仙館のさくら。

いつも毎年きれいに咲きます。

この門の反対側にはそば屋さんもあり、ちょっとした隠れスポットです。

当店の上の羊山のアンチオックの丘のさくら。

これは芝桜植栽地の入口のところです。今はまだ植栽地の有料入場前なので駐車場も無料で

止められ、市民が昨日は日曜で花見に押し寄せていました。それでもかつての賑わいから比べると

たいした人出ではありません。ここは今だけの見ごろで芝桜植栽地もまだ咲きそろわない花と

羊、馬などを見たり、クリスマスローズの群落など色々植えられているのにアピール不足で

知られていない隠れスポットです。

僅かに残る市役所隣接かつて秩父公園と呼ばれた亀の子石の隣に残るさくらも今年も元気に咲きました。

かつてのさくらが残るのももはやここだけ。かつてはこのさくらが辺り一面に咲いていて西武秩父駅が

まだ農工だった頃は緑も濃く、様々な木が植わり農工と線路の間もさくらが植わりよく花見に出かけたものです。

秩父市役所ができ、かつてあったさくらの木はこのように枝を切られて日陰に追いやられています。

それでも元気に今年花を付けました。隣に見えるのはさくらに変わり街路樹として植えられたモクレン

です。これが歩道にはぐるりと植えられていてさくらはもはや過去の木のような扱いになったのです。

聖地公園には梅が植えられさくらは肩身が狭くなっています。このように各地で数を減らしているので

ソメイヨシノの宿命としてやがてなくなってしまうでしょう。このままではかつてのさくらの群落も

花見をした記憶だけでなくなってしまいます。それだけは避けたいものです。

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朝はコロンビア

2019年04月08日 09時12分09秒 | 珈琲

毎年感じる秩父の桜滅亡化状況です。

それは芝桜の盛況の陰で進んでいる桜の木の減少が進んでいて

それについて行政は何の関心もないかのような放置状態で寂しい思いを

毎年しているのです。昨年の市役所新築で桜があまりに粗末にされ隅っこに追いやられ

さらにその現象に拍車がかかった感じがしましたが、これはソメイヨシノという品種の

宿命とそのケアに全く関心がないかのような現行政の心の貧しさから来ていると思います。

 

市役所周辺の秩父公園はそれはきれいな桜の名所でした。それに加えて当店の上の羊山も

桜の名所でどちらも市民の桜の宴を重要な地点でした。それを芝桜で観光客に売り渡し

市民の憩いの地より観光にシフトしたかのような形態で今まであった桜の木は芝桜植栽地へのアクセスのために

痛めつけられ数を減らしました。さらに羊山の上も毎年桜の宴のために夜提灯が点けられますが、いまや誰も夜に

桜の宴などする人はおらず、桜の木も粗末に扱われ木の途中から切られていたり枝なども無様に切られています。

 

木もまばらになり、かつては芝生のところもコンクリートブロック敷きになり余計木には悪影響を与えたようで

桜に元気はありません。

 

芝桜には毎年手間と費用が掛けられいますが、桜は年々勢いを失い、寿命が近づき何らかの策が必要なのに

このまま人々の関心の薄さの中その姿がさらに薄くしていくようです。

 

そんな思いの中、今朝は新しい豆コロンビアでモーニング珈琲をいただきました。

 

このウィラという一番コーヒー豆生産が盛んな地で栽培され他所でも使われているカサブランカという

名がついています。

そんなこともあり、あまり期待もしていませんでしたが、味は予想を裏切るものでした。

コンビアの珈琲というとまず思い出すのは紅茶のように赤い色と透明なその抽出液の色です。

そしてその香りは花のように芳しく香りすーと入ってきます。

この珈琲の特長はスペシャルティらしくそのカップ一杯にストーリーがあり、一口目二口目と

味が変わり、ドラマが広がります。圧巻はカップの中間からくる甘みの強さです。

そのじんわりとした甘みにここで気が付くいたというように重なり積み重なった味が急に思い出した

かのようなああ甘いんだと気が付く感じに感じられその心地よさに浸りフィニッシュまで続き、後は

飲み口の良さと後味の続く余韻がまた心地よく長く香りとともに蘇ります。

 

決して強い印象もガツンとした飲み心地や珈琲を飲んでいるんだという主張もなく、紅茶や新茶の

甘みの強い淹れたての物を含んだような柔らかく広がる飲み口がまさにコロンビアの特長のマイルド

珈琲の味であり喜びです。

 

こういう珈琲を味わうとアメリカンの逸話を思い出します。

 

日本の喫茶店には昔と言ってもそんな遠くない過去にアメリカンというメニューがありました。

私の友人から聞いた話ではアメリカ単身赴任やアメリカ出張の多い彼の仲間と喫茶店に行くと

彼らが注文するがアメリカンでその時に発するのがおいお湯を入れんなよというものだというのです。

最初それを聞いたとき何を言っているのか解らなかったのですが私が珈琲業界に入りその意味するところが

良く解りました。

 

アメリカンという喫茶店のメニューは高度経済成長時代グローバル化が進み、企業の海外進出も盛んで

ビジネスマンは頻繁に米に行っていたわけですが、その時に珈琲を飲む習慣も増え、日本の喫茶店も

彼らの舌の肥えた人々に応えるかのようにアメリカンというのを考え出したのですが、店主側では

米ではどんな珈琲を飲まれているか知らないため、苦くない珈琲という事でお湯で割ったコーヒーを

出したのです。

 

つまり、当時から米では珈琲産地に近く新鮮でおいしい珈琲に接していて日本のようにただ黒くて苦い

液体でない珈琲を知りそれを日本でも要求したのです。

 

時代は移り、日本でもスペシャルティの豆が味わえるようになり、アメリカンというメニューもなくなり

ました。ただ、まだ日本の喫茶店では胸焼けのするようなコーヒーが出続けているというのは残念でなりません。

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葬式模様

2019年04月05日 09時09分22秒 | 珈琲

昨年もそうでしたが、今年も先月から近所の葬式や友人知人、親戚の

葬儀やら法事やらが続きます。

 

そして感じるのは地域や昨今の葬儀会場の変遷により変わる葬式模様に

ついて様々な思いも去来します。

 

さらに昨日の葬儀ではとてつもない違和感に襲われそもそもやる必要とか

もっと根本の事も気になるのでした。

 

もともと秩父の葬式というのは頭に半紙と麻ひもの三角を付けたり

独特の方式やらがあります。私の近親のものが今風の葬儀場での葬儀に

なった時自身が喪主になりかつてやった内容との違いに戸惑い秩父では

85歳以上で亡くなったら副銭や飴を引き物に入れるというのもそんなの

葬儀屋だけが決めた事なんじゃないのと思ったりしました。

 

引き物とは葬儀の香典への返礼品ですが、昔は砂糖で固めたお菓子や

砂糖と葬式饅頭というのが一般的でした。

 

今ではお茶とか海苔といったものに変わりました。つまりは世の変遷により

変わったものです。いつの間にか増えた葬儀会場での葬式もちょっと前まで

町内の公民館や公会堂といった地域社会の集会場や個人のうちで行うものが

主流であり、その主体は町内会というご近所の参加で行われました。それが

いつの間にか町内会の人は隅に追いやられ、きれいな大きなホールで行う

物となりました。

 

昨年はそういう最たるものに出席して会場内に火葬の設備まであるのにびっくり

しました。そして今年昨日親戚の葬儀ではさらにびっくりしたのにはお坊さんが

唱えたのはお経ではなく御詠歌でした。うちのお寺と同じ宗派の葬儀ながら葬儀で

ご詠歌を唱えるというのは初体験でもともと巡礼者が始めたものをなぜ葬儀の席で

僧籍の人が唱えるのかとずっと昨日一日気になっていました。

 

一昨日の通夜からずっと香の匂いの中にいて非日常に包まれ故人を思うという時間を

過ごし、折々の時へまた記憶をたどるのでした。

 

葬式模様はがらりと急速にその様相を変えているのに未だに飴やキャラメルを

入れるとか遺物わけに全然故人と関係ない靴下やらハンカチを入れるといった

業者主導と思える様式が残っていたり、出されるふるまい料理に郷土色の強い

品物がいまだに出ていたりするというのも何の根拠もなくいつまで続くのかと

思うのでした。

 

昔から比べたら労力も拘束時間も格段に減ったのに昨日は変な疲れ方をしたと

ふと朝飲む珈琲でまた瞬間活力を戻し非日常から日常に気持ちを切り替えるでした。

 

まず届いた新豆の確認をすると前回も入れたニカラグアのサンタアナ農園は今回も

前回の味の評判からニカラグアらしい味とその値段に今回も導入を決めたのですが、

今回の物は前回より物がよくなんだかうれしくなりました。同様にコロンビアも

最近名前が変わるウィラのものですが、これもいつも入れているSPより豆姿と質

ともに優れていてまずは安心です。

 

コロンビアは品質にばらつきがあり、とかく安易に売り込みの内容を信じて手を

出せないところがあり、なじみのない業者や農園などうっかりと買えたものではありません。

これはブラジルにしてもそうですが、とかく流行りの農園とか商社が一押しで売り込んでいるもの

などもおいそれとは信じられないのです。

 

逆に昔ながらの味があるというのが肝心でそれは手摘みしていたり、完熟豆のみとか手選別を

重視しているとかそんな作り手のこだわりが伝わるものが肝心となってきます。

天日による乾燥とか手間暇がかかる造りをするところほど非常に良い味にあることが

経験として解るのですが、ただ肝心の風味や後味は飲んでみるまではどんなものなのか

解らないのです。

 

特に知らない産地や聞かない農園名などは手が出ないのです。

それでもつい買いたくなるものが中にはあり、それが厄介なものとなっています。

というのは今まで入ってこなかった高級品で米やヨーロッパで消費されていた

プレミアム品などというものはおおむね味は間違いなく、さらに後発の移民の

米人やEU民 が荒れた農地を買い取り独自のコーヒー栽培を始めたという

ストーリーを持った新しい産地はおおむね期待できます。

 

ただ、産出量が少なく、人気がでたりするともうすぐ買えなくなってしまうという

危険もはらんでいます。こんなマイクロロットというのは年々増えていて

大きな商社がそんな少ない生産者を扱っても利益が出ないだろうにという心配を

他所に扱う商社は増え、これは末端の焙煎業者の釜が年々小型化し、それに

応えるためらしいのです。

 

販売量も以前の一俵60K単位から1K単位に変わっており、5Kを12品種と少なく

多産地化しているようです。すると消費者はころころと高いものを買わされる

危険にさらされるのですが、味わう方としてはなるべく多くの良い珈琲に出会いたいという

欲求が強く、このマイクロロット化に拍車がかかります。

 

当店としては安易にそれに乗っかかり売値が高くなる傾向にちょっと待てよという

意識が働きます。まず、コロンビアなら普通のSPの味も知らないのにそんなどこのものとも

知らない作り手のマイクロロットに高い金を出す価値があるのかと。これなどは遺族の

気持ちなど関係なく飴を引き物に入れる業者と遺族の気持ちなど関係なくご詠歌を歌う

坊さんなど抹香香る中に暮らす人々との浮世の人の差を感じた昨日の様子と通じるもの

を感じるのでした。

 

それに少しでもまともな感覚で味による選別を加えるという当店のポリシーは続いて

行くと感じるのでした。コロンビアとニカラグアは間もなく披露できると思います。

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オールドスタイル

2019年04月04日 09時24分29秒 | 珈琲

なぜあのようになったのかは前回の小渕人気にあやからりたいという

かつての成功の踏襲というあの元号を額を掲げて紹介するという古い

スタイルでした。

 

大方の方はこれについて何も語っていませんが、これは明らかに今の古いスタイルの

自民党の表れであり、世界ではアルゴリズムで隠れた有権者を発掘して投票させ勝利すると

いう戦略的で先進の手法が生まれ実践されているのに、未だに土建社会で土建屋に金を

撒けば地域が潤い社会が回って行くという古いスタイルにしがみついていることを表しています。

 

そもそも元号なんて使っているのは日本だけであり何をありがたがって喜んでそれを

受け入れているのか騒いでいる人のインタビューを聞いても意味不明です。自身の人権とか

尊厳とか自ら自覚して主張し、何物にも囚われない自由な意志と責任を感じていれば

直ぐに何でも依頼してしまうようなことはなく、ましてや超自然なものに委ねるという

事もなくなるはずです。

 

なにかと神が存在しどこにも神域があり、いろんな神がいる日本ですが、それがロマンの

うちはいいですが、それが何をするにつけ神由来にしたり、持ち出していては何の発展も

望めません。そうでなくても雨が降っただけでも死者が何百人も出る世の中なのです。

そのうえ火山や地震と災害は今後も襲ってくるのです。

 

いちいち神だ何だなどと言って対処している暇はないのです。

 

東日本大震災の時にもお決まりの土建屋に大量の工事や建造物の発注という対処しか

出来なかった現況をみればその衰退はあきらかで、その反省とやるべきことの検証を

国民一人一人が思い結集し本当の連帯と被災地の事を考れば違う対処へ向かえる

はずです。

 

なにかと自身の考えを忘れて他人との表面上のつながりばかりに気にしてスマホばかり

眺めている現代人に万葉の人々は同じ月を見て心を通わせたそんなことを思い起こして

ほしいものです。

 

それが季節を感じ自然の中にいる自分を感じることから始められるといつも思います。

そんな意味で当店ではいつも季節のブレンドを提供しており、毎月のブレンドで季節を

感じ、そこに何を思うかという時間を持っていただきたいのです。

 

今月は『春光』です。

 

このブレンドを作るのは最初つぶされた思いからはじまりました。

それはああなっているなっているそこら一面になっている太陽マジックの歌を

お聞きなさい。というまさにこれが春であり、以前春のイメージとしてこの

イーハトーボ農学校の春と言う詩から太陽マジックとしたこともありました。

しかし、今年NHKにより春の修羅も宮沢賢治も汚されてしまったかのように

感じられ本当に作品を今まで読んできた人にそれはこうだよとあからさまなネタばらし

に行きあたり、今まで通り春の光の中で自然が豊かに輝き出すというブレンドなど

とても作れない心持から始まったのです。

 

三月の早春賦はいつもどおり、春なのに雪は降るし、寒さはまた突然舞い戻るしという

裏腹な感じから、もう四月になれば光一杯の春を表していいはずが、もっととがったものを

含んでしまったので、いままで通りのほほんとしたものは出せずといろんな豆を引きずり出して

合わせてはこの今の空気に合うものを出すことに三嘆し、『春光』は生まれました。

 

四月になり麓では桜が咲いているのに頭に雪を抱いた武甲山を見た時、ああこの味で間違っていないと

感じました。試飲もできますのでお出かけください。ただ本日は午後から葬儀に出かけなくてはならず

夕方もしくは明日以降になります。

 

 

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家にあらば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

2019年04月03日 08時53分37秒 | 珈琲

朝のモーニングショウは相変わらず新元号がらみの万葉集をとりあげて

いました。

そんなのを横目にしながらネットを見ていたのですが、ふと聞こえた歌に

手が止まりました。

 

それが

家にあらば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

です。

 

この歌は中学時代に教科書に載っていて授業でやったものです。

テレビで解説で囚われて護送中に詠んだ歌とされていました。

私が授業でやった時にはただ単に旅行中は草の上に盛って食べるわびしい物よという

嘆きを歌ったものだと教わったのです。それにしても不思議な感じを受けたので今でも

覚えています。なんで草の上なのか。旅行中当時は食器も使えなかったのかと。

 

ところが、囚われて護送中に詠んだ歌だったというのは新情報です。番組ではなぜ

囚われたかとか歴史背景は触れられていませんが何故取り上げたかというと罪人でも

防人から天皇まで身分の分け隔てなく取り上げていたという事での紹介だったのです。

 

まあテレビの底の浅さは今に始まった事ではないにしろこれは私にとっては新情報であり、

なぜ当時あんな浅はかな内容で終わってしまったのかとても気になりました。

作者の有間皇子が謀反人であったことやこれが辞世の句となったことなどが授業では

なかったことにとんでもない片手落ちだったことを今知ったというのは衝撃でした。

 

そもそも当時の授業に限らず、今でもこの万葉集に防人の歌があるというのは皆

習うにしても防人が何で配置されたかとか当時関東圏から派遣された防人とは

どんな任務だったかなどというのは誰も考えもしないのです。

 

それには日本が白村江の戦いに敗れて海外線の防御のため兵を派遣したことを知らなければ

ならないのですが、

そもそも交通機関のない当時関東圏の人を派遣するというのは既に死出の旅であり、

決死の覚悟と国の任務に選ばれたという事で詠んだ歌であるという事です。つまり今でいえば

何かあると被災地の様子が出たりするのと同じで国家的事業で死出の旅路に着く人の歌も

国の代表として万葉集にも載せたということだと思います。

 

白村江の戦が防人の必要性が生まれたことやその後遣唐使の航海にまで影響がある

のですが、それらの関連性については学校では教えてくれません。それほど日本の

国際的な歴史というのは満足に教えられていないので国際感覚とか政治に関心など

生まれようもないのです。

 

今万葉集を買い求めている人が何を考えているのかは不明ですが、ただはやりだからと

いう以上のものを感じてもらえるといいのですが。

 

また一つ驚いたこととしては『ビートルズEIGHT DAYS A WEEK』を見て平成を振り返る

番組のの中でこれはまた一つ違う角度で時代を振り返り新鮮な見方をさせてくれました。

ビートルズの映画は今までいくつもありましたが、これはリバプールのナイトクラブから

世界に羽ばたき最後のアップル屋上でのライブまでをまとめたものです。メンバーが

それぞれどんな人生を辿ったかなどという情報はなくただ当時のライブの状況などが

インタビューとともに紹介されるのです。

 

そこで新情報と新視点は1964年のアメリカ公演での問題です。当時は人種隔離政策が

アメリカにもあり、コンサート会場に白人席と黒人席があり、ビートルズはそれでは

演奏拒否を表明し、アメリカで初人種隔離撤廃のコンサートとなったという事実です。

 

それと日本の公演の模様も出てくるのでが、これが日本でもよく紹介されることのある

当時の模様ですが、それにはない情報として当時激しい右翼の活動があり、警察の厳重警備と

ビートルズはホテルと会場以外の外出禁止の厳戒態勢だったことを知ります。

 

そして昨日ベネディクト・カンバーバッチの『ブレグジット EU離脱』実録ドラマという

イギリスのEU離脱を描いたものでは、今までにないアルゴリズムと今まで投票してこなかった

票の発掘などで国民投票を離脱に導いた男の話をみてこれの延長にトランプ大統領の誕生も

あったのかなという内容でした。

 

これらの時代的な一連の物をあじわいつつ今朝も季節のブレンド『春光』で思い返しています。

 

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直接給付と公共事業

2019年04月02日 11時28分23秒 | 日々のこと

先月の3.11以降ずっとこの問題を考えていました。

私は原発は反対ですが、現況と経済の仕組み上今すぐに廃止というのは無理であり、

今あるものは使えるだけ使い、もう次には作らないことがベストだと思います。

核物質の扱いも核が最高の軍事物質であり燃料としても最高であるという先進国の立場は

認めません。今ある核兵器は廃絶すべきであり、核弾頭ミサイルで脅しあう世界など直ぐにやめる

べきです。経済的に考えると原発を稼働するとそれに関連する経済波及効果は公共事業としては

一番波及効果が高く、日本の隅々に恩恵が及ぶのだそうです。

 

かつて民主党が行った政策は子供手当と定額給付や高速道路の無料化など末端に直接給付するという

政策です。これらの政策はことごとく失敗であり、政策としてはまずいものという認識が広がり、以降

自民党の一強時代がつづくわけですが、これによりオリンピックや国土強靭化政策など公共事業に

よるゼネコンばらまきや新幹線の延長、リニアモーターカーの敷設などインフラ建設の大企業に投資し

事業を与える政策が拡大しています。防衛予算の増加などこれらも大企業への投資であり、日本の安全や

国民の財産の保全などの目的より日米同盟などという幻想の世界平和の上にある幻に投資して国民生活や

真の世界平和を望んでのことではないように思います。

 

オリンピックなども国家的建設物のラッシュでもスポーツイベントでは国民も税金の支出に文句や疑問を

いう人は少なく、大企業に事業がばらまかれていても何の危機感も持ちません。同様に被災地の事業も

復興と名が付けば大型公共事業もそれがどんだけ無駄なものの建築でも批判を浴びづらいのです。

 

今年の被災地の様子で被災直後と8年後の今の様子を並べて移す番組がありました。

8000億円をかけかさ上げした土地に誰も戻って家を再建する人がいないというレポートもそれは

そうだろうとなんでそんな無駄な事業をやったんだと思います。それならその事業の代わりに

ひとりに1億円配って移転してくる人にはその二倍配れば人が集まりまた町ができると私はいって

きました。これはまさしく民主党がやった大型公共事業より直接給付という考えで、それは今まで

批判され失敗してきた道です。

 

しかし、時と場合によりそれは有効なのではないでしょうか。今回の様にその額とあまりに与えた影響の多さ

から直接給付してこそ回復が見込める場合はやるべきです。それに現状の大型公共事業が見る影もない

廃墟の町と更地しか残さなかったことを思えばまさに大失敗であり、今なお帰宅できない避難地域や

増え続ける汚染水問題など収束もおぼつかない原発事故に被災地に人に国は何をしてきたのかを見れば

それらを無視してオリンピックや万博などの投資で景気を盛り上げようなどというのはもはや古すぎて

いまさら21世紀の在り方とは思えません。かつて成功したことに未だにしがみつきもはや時代も技術も

進歩しているのにあまりに芸がないとしか言いようがありません。

 

この大企業バラマキが続くのは民主党のみじめな失敗も大きいのですが、それに輪をかけ一般の人々の

政治離れと無関心がそれに拍車をかけているのは間違いありません。テレビを付ければ毎日同じような

旅番組とクイズ番組ばかりで日本は素晴らしいとか日本の技術に世界が憧れているというような自己自賛

番組のオンパレードです。

 

実際には平成時代日本は世界に負け続けて様々なランキングでもトップの座からランク外におちてるのに

人気の国で外国人が沢山訪れてインバウンドで潤っているなどとおめでたいことを言っているのです。

これは通貨安で日本の安全と豊かさを売り渡しているに過ぎず、戦後安全保障でも安保で米軍基地を

駐留を許し諸々目をつぶって先延ばしにしてきた債を抱えています。

 

安保問題では当時民衆は激しく抗議して死者までだしていますが、現在安保どころか憲法解釈だけで

集団的自衛棄権を行使できるようにしてしまったり、その横暴なさまは今まではあった少しの良心も

全くない考えをやめてしまった国民の上にもはや何でもありのように君臨しているように見えます。

我々はもっと自身の国に関心と責任を持たないといけないのではないでしょうか

 

 

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春の武甲山冠雪

2019年04月02日 09時33分11秒 | 珈琲

昨日の昼にも武甲山は雪だという話を聞きました。

芝桜の丘から見る武甲山は逆光で雪がよく見えませんが風は冷たく桜を寒々しく演出しています。

芝桜もぽつぽつと咲き始めていて朝の散歩は実に清々しく気持ちのいい朝でした。

 

当店の二階から最初はとりましたが、雪がよく見えず羊山まで登ってみました。

 

奥秩父の山々はもっと白く変わっていていまだ冬の風情です。

こんなきれいに朝にはいつものブラジルでもいいですが、ちょっと贅沢にクィーンスマトラでも

よいでしょう。

 

芝桜の丘は今なら観光客もなく、今はまだ市民の散策の場です。

 

久しぶりに上った羊山からは変わった西武秩父駅や市役所を見るとその変貌ぶりに

改めてびっくりです。

 

そしてその羊山も桜の木が減少して寂しい感じです。

 

この桜の木の減少が進んだのはなぜなのか。他の市民の方々はどう感じているのか。

いつも疑問に思います。市役所の周りもかつては市民が花見に訪れるほど桜の名所

でしたが、今では何本もなく、道路の拡幅や市役所の新築ですっかり桜は虐げられ

歩道には新たにモクレンが植えられだれが何のためにそのようにしているのかといつも

疑問に思っています。

 

今では西武秩父から秩父市役所の辺りのなんとつまらない景色となった事か。

 

かつては農工の樹木が残り亀の小石の辺りはこんもりとした林の中でした。

 

それが道路が出来たり公園はどんどん狭く駐車場などになり、新しい建物の

センスの無さと合わさりなんとも殺風景で何もないという底の浅さを露呈する

現在の風景となっているのです。

 

その影響は羊山にも及び、毎年賑わう芝桜の丘とは裏腹に既存の羊山は桜の木は

どんどん枯れ毎年桜並木に提灯を下げてはいますが、その桜に集まる市民の姿は

もう何年もなくなっています。それなのに提灯を点け何をやりたいのか不明です。

 

桜の木はそんな市民の桜見物がなくなるのと同様元気をなくしどんどん減少しつつ

あり、忘れ去られようとしています。

 

こういう変化がとても危うい現象に感じるのは私だけなのかといつも思います。

 

誰も疑問に誰も不安に感ずることもなく進む変化に住みづらい町になっていってると

思えてなりません。

 

観光客を迎えるというだけでは町は良い方向に向くはずもなく、そこに住む人の生活の

充実がなくして町の発展はないのです。

 

市役所の周辺や羊山の荒廃は市民の心の貧しさの表れです。

 

建物は新しくなり、道路も広がり、一見発展しているかのようですが、

心の貧しさは覆うべくもなくあらわれているのです。

 

その心の貧しさは、訪れる人にも伝わるのです。今の秩父にまた訪れたいという

魅力があるでしょうか。

 

久しぶりに登った羊山からはそんな思いが強くなるのでした。

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今月の季節のブレンドは

2019年04月01日 10時09分41秒 | 珈琲

またちらほら聞かれる今ある豆はという問い合わせですが、

今はほんのりと甘い豆だったり、ストレートにうまみを感じられるものを

中心に焼いています。

 

パプアニューギニアパラダイスプレミアムは今まで日本には入ってこなかった豆で

高品質というだけでなく、味もしっかりとしたいつも信頼の味であり、どんなお客様にも

安心してお出しできるものがあります。

 

日本では依然強いブルーマウンテン信仰ですが、それなどもこの豆を知れば、ああ

そういう事だったのかという感じを受けるでしょう。

元々ブルーマウンテンと同じティビカ種でコーヒーの世界ではもう忘れ去られた

初期の品種です。似たようにブルボン種というのがありますが、これなども今

盛んに高品質として取引されている中米の豆がほとんどがこのブルボン種であり、

柔らかく特殊な酸が尊ばれています。

 

ですが、うまさという事でいうとティビカ種の深い懐に比べたらブルボン種は

ただ苦みの少ない味の薄い豆に感じられることでしょう。

 

同じくインドネシアのアラビカ種で今でも栽培されているものは希少性もあり

よく幻の豆として高値で取引されています。ひところゴールデントップとかゴールドマンデリンと

いう名で取引されていたのですが、最近のスペシャルティ市場ではこのマンデリン系は

あまり人気がなく、おいしいのに専門店で姿を見なくなったものです。

 

という事でインドネシアは今まで希少で味も良いものが選び放題で、ガヨマウンテンなども

普通に手に入ります。

 

そんなマンデリンの中でもこれもマンデリンの一種というと大変驚かれるのがクィーンスマトラ

です。

 

これなどもスーパーマンデリンとか色々と店により呼び名が違うので解りづらいのですが、

値段とうまさが一番逆乖離している豆です。

 

世が騒ぐゲイシャや中米のスペシャルティなんかより、珈琲らしい味をという事ですと

やはりこのようなパプアニューギニアやガヨ、クィーンスマトラといったものになるのです。

 

さらに珈琲らしい味を知る人はモカマタリを選びますし、エチオピアのシャキッソも

フルーティーでスペシャルティらしい味を楽しめます。

 

通常スペシャルティというととかく200g2000円以上の物やコンテスト入賞とか受賞豆が

もてはやされていますが、そんなのよりうまいものが当店の豆のラインナップであり、

さらにお客様のご要望でこんな感じの豆がほしいという要望があればこんな感じの豆がと

応えられるのです。

 

ただ、実際にはハワイコナがないかとかブルーマウンテンはないかという問い合わせ

ばかりなのです。それより安くてよい味のものがありますよと言ってもそれはよかったと

ならないのです。不思議なものです。

 

当店にもコンテスト入賞の豆やエスメラルダ農園のゲイシャはあるのです。

 

高いホワイトキャメルやクリスタルマウンテンもあるのです。

 

それでも一番売れていくのは毎月の季節のブレンドです。

今月は『春光』です。

 

太陽を受け一斉に芽吹き出す木々とその輝きを意識してブレンドしました。

春というほんわりと温かいイメージを浮かべる人が多いと思いますが、

より峻烈な光のイメージで強い季節風と

ともに訪れる厳しい春という今時の感じを表しつつ、雪国では厚い雪が崩れて

地面が現れるともうすでに草々は青々と群れており、雪の下でしっかりと準備

されていたことを知ります。そんな劇的に訪れる春を感じてみてください。

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