King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

便器とスキーへ

2024年01月28日 10時40分39秒 | 珈琲
今年も秩父の夜のイベントとして神社や商店街にライトアップをして夜散歩なるイベントが始まりました。
昨年も提灯を下げたイベントがあったりその前は消防署の跡地に大がかりなイルミネーションが作られたりしました。
それからすれば今年のライトアップはショボい感じで、既に西武秩父駅ではラクウショウやらに電飾がありイベントとして統一感や一体感がなくそれぞれ勝手にやっているようです。公園橋のライトアップも正月の三ヶ日だけでその後は他のイベントと協調することもないようです。
そんななか珈琲の味はさらに深まりケニアやマンデリン、ブラジルといった今深煎りにしている豆もクリスタルマウンテンとエキゾチックハニーなどの浅煎りの豆でもキレとコクが際立ちうまいと言葉が漏れる状況です。
一方人類の進歩や歴史を考えるとき21世紀に入り未だに帝国の拡大や宗教的対立が際立ち一般の市民が亡くなる悲劇が繰り返されています。今読んでいるサピエンス全史によると人類がどんな選択をして進歩しているのかはなぞだそうです。それは二次カオスなので予測できないそうです。
象徴的な事象として、今一番先進的で成功している国は資本主義で自由と平等を愛する国とされますが、そもそも自由と平等は相容れない矛盾を含むもので実現不可能なのです。
しかし、そういった誤りを信じることができるという能力こそが人類の特徴で今の進歩があるそうです。
それは科学の一定法則とは別に、イデオロギーや宗教など人々が正しいとか素晴らしいと感じればそれが人類標準となるというものです。
端的な例として芸術とはなにかという例としてデュシャンの泉があげられます。芸術作品だと言い張り便器を出品して人類に改めて芸術の意味を問うた衝撃の作品でした。
そうなると人がいいと認めたものがそうなるということでその基準に意味はなく予測もできないといいます。そうなると最近の近未来予測のAIが人類こそ地球や自然の驚異だと見なして人類を攻撃してくるというのも誤りで、正しくは未来予測を頼まれたAIは病気になってしまうというのが正しいのではと思えます。
イギリスに留学した夏目漱石はスモッグだらけの憂鬱なロンドンの生活で神経衰弱になり、彼の小説にも高等遊民やら神経衰弱やら自殺する人が出てきます。これらの主題は当時はセンセーショナルな動きで文化とか小説を始めて娯楽として庶民にもたらしたし、彼の教育でI lave you.を日本語に訳せといわれわたしはあなたを愛しますと答えた生徒に違う、月がきれいですねと日本ではこうなると教えたのです。
この話ですぐピンと来るのが眞子さまの婚約会見で太陽のように明るい眞子さまに心奪われきれいな月が出ているので嬉しくて電話したというエピソードでこれなど文学好きで漱石からの日本文学が好きな官僚の作文というかシナリオライターの作品だなあと思わせました。その夏目漱石の主題や小説的手法の焼き直しなのが村上春樹なのだと思いますが、わたし以外に指摘している人はいないのです。漱石のなかに出てくる抱一やターナー、オフーリャなどまだ日本では本物を見た人はいない時代になんのことだという表現が現代から見ると妙に腑に落ちるものですが、誰も知らないクラッシックの曲がテーマのように使われたり、羊やら境界やらが出てきたりとこれは以前にもやられたことがある心地として新しい小説にして何を芸術とするかまた問われたような心地がしたので世界的なヒット作家となったのだと思います。
しかし、そもそもの根底は珈琲一杯の安らぎという誰もが同じに感じられてすぐ共通の気持ちになれるところがこれからの人類の進歩や危機脱出に鍵を握るものだと思います。
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