King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

やるときはやる

2013年06月10日 09時20分30秒 | ジョギング
昨日は日曜恒例の16Kコースの90分ランを決行。

最近は一時間走ると右ひざの裏が痛くなったり
ハムストリングに痛みが出たりします。

そして、週に一度はインターバルトレーニングを入れたり、
月に一度はジムに行ったりと変化をつけるようにしています。

というのは毎日12Kを続けて週六日走って、一日バスケット
練習という感じだと段々、走りがジョギング的になり記録も
下降気味になり、まして新記録を記録したり、目標の一時間切り
もいつの間にか名目だけのものになっている感じがしてやはり
走る意味を見失っている感じがしていたのです。

16K走を復活させるに当たり、あの距離を走るのかとかなり勇気を
振り絞り走りだしたのでしたが、しかし、すでに体力的にはこの距離は
特別でもなく、ハーフマラソンでも二時間を切っているという実績から
言えば次のフルで4時間切りを果たすべく課題を課してこなしていく
問題意識がなければならないと思います。

スキーをしている人は感じたことがあると思うのですが、コース外を
滑った時の何とも言えない解放感と自由だという感覚がこのランニング
でも感じます。

スキーの場合は決められたコース以外は滑るなといわれるわけ
ですが、何かのはずみでコースじゃないところを滑ったらとても
面白かったというところからコース外へ出る人が多い訳ですが、
何もルール無視をするのは若者ばかりでなく、山スキーとか
ツアースキーへ出る人は年々多くなり、ここでも中高年の進出は
めざましく、ゲレンデだけを滑る人の方が少なくなっているのでは
という感じになっています。

コース外に出る人の理由はそれぞれ求めるものがあり同じでは
ないでしょうが、根底にある物は同じなのではないかと思います。

何かにチャレンジしたいとか自由を感じたいとかそんなものです。

そんな言葉にすればたいしたことのないことですが、日々日常に
何かと縛られて暮らしている現代人にとってはこれは大きな問題
です。

ふとそれた散歩コースとか通勤道以外の道筋にあったおもしろい
店とか風景とか非日常に潜む飼い馴らされない野生の心が
反応するのです。

何もそれは現実社会や行ったことのないところへ足を運ぶことばかりで
なく、精神分野でも同じことです。

東洋文化とか禅の心とかを当の東洋の人より西洋の人が研究し
その考えの理解が深いという現実もそんな現れです。

日本人はオタ文化を世界に発信とか日本のアニメを売り込むとか
いまさら言っていますが、そんなものが売り物にはならないのです。

逆に現代アメリカの東洋での失敗が東西冷戦という無駄な時を
生み、イランイラクでの同じような失敗がリーマンショック以降の
世界不況とユーロ危機を生んだと分析し、指摘することこそ日本の
立場なのではないかと思います。

まあ、それはさておき、週に一度は長く走ってみるというのは大事
だということで、これから走るコースを予測してみたりすると頭の
中では走ってどうなるか計算されどのくらいの体力が必要でその
結果どうなるかまで予測されるようです。

しかし、今まで走ったことのない距離を走ったらどうなるかというのは
やはりやってみるしかないことであり、私にしたら30K走とか一日の
うちに20K走を朝と晩に二回走るとかこれからチャレンジしてみるしか
ないこともあるわけです。

やっても見ないでとやかく言うというのが多くの事例で、実際に
やってみることの重要性は今後増すと思います。

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