King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

憧れという重要な感情

2019年01月01日 23時23分56秒 | 珈琲

ここのところ言っている人と同じことをそれも毎年繰り返すという愚は

犯すまいという戒めの言葉も空しく家族が集うお正月にはその家族が

皆お雑煮を食べるという事でいつもの三倍の三つ葉やら鶏肉やらホウレンソウなど

の食材、とりわけ蒲鉾とかなるとまでが三倍になっているという状況に

なんて馬鹿なんだと思いつつ結局買ってしまうのでした。

 

当初はそういうのはもう今年はしないといい別に正月にお雑煮を食べなくてもよいし、

いつでも好きな時に好きなものを食べるとしていたのに、大晦日も普段の倍のエビのてんぷらを

買い紅白を見てそばを食べました。

 

無駄な抵抗も家族の意向に逆らえず最初の誓いもあえなく崩れ去ったのです。

 

年々お正月らしさも街の風景も寂しくすたれていく感じを感じますが、これは

少子化とか高齢化とか日本のダイナミズムが薄れていく今後を憂う言葉とともに

日本の未来が明るくなくそれでもマスコミは日本の文化や人が素晴らしく世界の人々を

引き寄せているという喧伝を繰り返します。

 

こんな中思ったのは日本人の島国根性がかつて世界に一流国になり先進国の仲間入りをすると

邁進した明治期の人々の意気込みと熱意が戦争という悲劇に突進しその後平和憲法を持つ

国として世界の暴力から関係ない国のように過ごしていますが、世界には格差と暴力から国を

捨てる人がいまだに多くいて日本も知らんぷりできない状況です。

 

日本でも格差や暴力の問題はあり、石器時代の狩猟採集時代でさえ、人類は団体生活をして

それゆえに富と文化的生活を拡大させてきたのです。いま日本に必要なのは現状に満足することなく

より向上と豊かさを目指して集団の力をさらに上げることでしょう。

 

それは格差や富の集中へのあこがれ以上のものをもっと意識しなければならないのではないかと

思いました。

 

毎年繰り返す渋滞やみんなが同じことをやるバカらしさをいつも指摘しますが、そもそもこの

集約的集団行動が文化と富の増加をもたらし進化という発展ももたらしたはずです。

その憧れるという感情をなくすと今後の日本の発展も進化もおぼつかないかもしれません。

そんなことを思う年明けでした。


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