King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

杜子春と24

2004年10月07日 13時03分39秒 | 日々のこと
今テレビでやっている『24』を見ています。
みんなハードディスクで録って見ては消しています。
内容を見ていて杜子春を思い出しました。芥川龍之介の。

どんなかって?、ネットでも読めます。おなじみの青空文庫
です。
めんどくさい人は、朗読ファイルも
ダウンロードできます。

芥川龍之介はこんな道徳観とか人の道みたいな小説を書いているんですね。
でも、24をあわせてみると良くその意味するものが見えてきます。
昨年私もある選挙運動を手伝ったときに、候補者と政策等を色々話し合い
その席で命とか政治における指導者の決断とか話しました。

政治家なら、いや一国の指導者なら自分の判断で人の命が救われたり
犠牲になったりする判断をしなくてはならない。それができる人物で
あるかというのは私にとって大変重要な判断材料だった。まずその心構え
があるのか。今や国対国という戦争形態が国対テロ組織という特殊な
様相を呈した現在では、24のような場面は実際あるだろうと思います。

ロシアの南オセチアの小学校占拠事件のようにそれがいつ日本におきる
とも限りません。そういったときどんな判断をしますか。いえ、テロに
対する心構えだけじゃないんです。地球の行くえや人類の存亡にもかかわる
ことです。たとえば、イラクにアメリカがかかわりすぎたために、ダルフール
とかコンゴとか千の単位で人が亡くなっています。

またアフリカで死んでいる飢えた人たちを救うために、食糧援助や完全に
戦争を止めたとして、人口爆発が続き人類がもっと新たな危機に直面しないか
といった我々はただ戦争をしないで平和に生きようといいつづけているだけ
で良いのかそういった内容の話でした。そして、24ではもっと簡単に何度も
100.200万の人を救うために人をひとり殺すことは必要なことなのかという
ことです。

芥川が小説で扱ったのは、善行とか人としてやるべきことです。蜘蛛の糸や
杜子春が決断した判断はあなたも共鳴できますか。それ以上の24のように
殺して当然だという数の論理を信じますか。ひとり殺しても2人もしくは
3人救えれば良いのですか。大統領が子供を殺すのを止める電話をしますね。
その時に杜子春の意味を知るとともにさらに、それ以上のことを思いました。
命を天秤にかけてはいけないと。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« やっと晴れた | トップ | GOTTA!忌野清志郎を読んだ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々のこと」カテゴリの最新記事