King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

モカマタリに手を伸ばすには

2018年03月28日 09時39分32秒 | 珈琲
今年最初にスキーに行った時に上里SAで見たパンフレットをみて
不思議な違和感を抱きました。もともとスキーに行く一つの目的と
喜びは雪の中で遊ぶという身も心も真っ白な世界にまみれることであり、
それが最も楽しめるのが新雪の中に突っ込んだときでしょう。
新雪を滑るのはある程度技術と経験が必要ですが、楽しむのに
初心者も上級者もありません。誰が突っ込んでも楽しいのです。

一方基礎スキーヤーと呼ばれる日本独自のスタイルの人たちは級をとる
のに毎日スクールに入り教師の前に整列して長い説明を聞いて教師の
まねをして不自然な規制やら片足で滑ったりという曲芸まがいの技を
やらされ四時間のうち滑るのは四五本という滑り込みとは真逆のことを
やります。

カービングスキーという板が出たときからスキー場でも整地の一枚バーンと
いうのが人気となり、整地しか滑らないという人もはっきりと増えたよう
です。ゲレンデを見ていても誰も踏んでいない不整地があるのに整地された
まだ誰も踏んでいないポテトチップの表面の様な斜面の方を選ぶ人が圧倒的に
多いように思います。

しかし、毎年どこかのスキー場で遭難やらヘリで救助されたというコース外に
でて迷惑をかける人が後を絶たないのはやはり新雪を滑りたい人が少なからず
いるということです。

私の経験からすると平日なら何泊かするとトップシーズンなら一日は新雪に
遭遇し、降りたての新雪を楽しめます。

またそういう新雪の楽しみとは別に真っ青の空の下見渡す限りの雪面を
誰の踏み跡のない斜面を思うがまま滑るという野望も一方にはあり、これも
同じ新雪の楽しみだと思います。

しかし、平日の滑る人が減ったスキー場ではわざわざツアーやらハイクアップ
をするまでもなく、誰も踏んでいない斜面やら整地でもわざわざ新雪滑走用に
端を残していたりしていくらでも新雪が楽しめます。

それなのに現実にゲレンデで見る光景ではそんな不整地を滑るより整地を行く
人やスクールに入って一日四五本しか滑らない人の方が圧倒的に多く、人々の
ニーズがどこにあるのかとふと疑問に思うのでした。

そんな中、今年のパンフレットには雪質とかパウダー特集とか実際には滑る人が
少ないのに新雪滑走の魅力をアピールしているものが多かったのです。

そして、スキー場が新しいサービスとして始めたのがキャットツアーとか
雪上車体験です。そんな設備投資をしなくても今やネットで動画を上げるのも
簡単ですから雪山で遊ぶ楽しさを今日はこんな感じだったとか今日はデモが
滑ったとか全くの素人がこれだけ滑れるとかやりようはいくらでもあるのにと
思ったのです。

私もSKI TVを見て改めてスキーの魅力をもう一度考えたり、技術的な面ももう一度
考えたりしました。飛び切りのトップデモの滑りにはそれだけの魅力と気づきが
あったのと普通の人が同じところをどう滑るのかという対比があればさらに面白いと
思いました。

珈琲でもモカマタリという誰もが名を知っている珈琲がありますが、実際珈琲通でも
当店に今焼きあがった豆にこれがあっても手を出す人は半々で反応も全く分かれます。
本来のモカマタリの味を知っている人がそれだけいないということもさることながら
これが酸味という簡単に片づけられない問題にもつながり、誤解や真の理解に導くには
なかなか難しいものをはらみます。

それでも全く珈琲を飲まない人でもコーヒールンバやタレーランの詩は知っていたり
文化面からのモカマタリという特異な性質を理解している人もいるでしょう。

それならばいっそ本物の味とその文化や文化人に及ぼした影響などをひとつにしてみたいと
いう欲求があってもいいでしょう。

つまりスキーの新雪やどこまでも続く誰も踏んでいない雪原を行くのと同じ解放感が
珈琲の根源を知り魅力を知ることなのです。


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