King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

二律背反

2019年11月28日 09時11分54秒 | 珈琲

朝から秩父市内は祭りの準備に忙しく、臨時灯をつけたり、

桟敷を作ったりという作業が始まっています。

 

千年一日のような日々の暮らしの人もまあ控えめに言い直して

10年一日の人は多く、そんな10年もあっという間に過ぎてしまい

久しぶりにあった人などもいまだにあれをやっているんだという

懐かしい話などをします。

 

人々と祭りなども地域の人が毎日の生活のように毎年伝統行事を引き継いで

いるからつづくもので、これは農民の方が毎年種をまき収穫するという繰り返しを

確実に行うから成り立つということと同じです。

 

欧米などでは狩猟文化で日本は農耕文化などとすりこまれていますが、米にしろ

ヨーロッパの文化の基礎は自然界にあった麦を人工栽培することから発していて

米の西部開拓から今の基礎を築いたのは各地に入植した農民が作ったのです。

 

日本のものづくりとか技術立国とかいいますが、主力産業の移り変わりははやく

今後も日本の稼ぎ手は次々に変わるでしょう。

 

しかし、基本的な物は変わらず、生活者の視点とか日々繰り返すこととそれをなす

人の営みは重要だと思います。そんな日々を支える珈琲に思いをいたし今日も豆を

焼、この寒く乾燥した空気に期待をしてにんまりしながら焙煎をします。

 

この寒さこそ珈琲豆のうまさを引き出す源泉なのです。

 

お祭りにケニアのレッドマウンテンを買いに見える方が毎度います。

 

この豆も最初は1200円程度で売っていたのですが、いまは1800円です。

 

それでもこの時期だけはとかこれから寒くなるとと人気は強まります。

 

そして安い豆も安いからまずいのかというとそんなこともなく、今度入れた

豆などはいつもの味とは違う味であり、これなどはどうしたものかという

思いを毎度する豆となってしまいました。

 

昨日飲んだコーヒーなど絶望的な味でしたが、私も旅行先などでいつも

同様の思いをしてなぜこうもいつも裏切られ続けるのかという気分に

なりますが、かといってコーヒー専門店の一杯500円以上のコーヒーなら

安心して飲めるのかというとそうでもないという値段と味の二律背反が

あります。

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