King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

祇園祭と川瀬祭り

2014年07月24日 22時33分22秒 | 日々のこと
夏の今頃各地で祭りはあるのですが、祇園祭というのは
世界に誇る祭りなのだというのが色々と情報に触れる度に
感じます。

その長い歴史もそうですが、それを支えた経緯と伝えられた
思いもそこら辺の祭りとは違います。

秩父の川瀬祭りも笠鉾を引き回したり、やっていることや
人々の熱意はやはりすごいなあと思います。

しかし、同じ鉾の引き回しでも京都はそろいの衣装と笠と
伝統と格式を醸し出していますが、秩父の引手はなんか
様々な感じでどこからきているのか町内とはまるで関係
ない人たちも沢山いて彼らはなんのためにいるのかと
いつも思います。

余所から助っ人を雇ってやっと引き回しができるのが
現状という悲しい現実なのかそれとも形態としては
いいことなのかいまだに納得いきません。

というのも引手をやったときに感じたのですが、若い
人と子供の祭りという主体がよく秩父で言われる夏は
子供の祭りで冬が大人の祭りというくくりをいうのですが、
子供は拍子木を叩いているだけで実際に引っ張っている
のはよそから来た若い人たちなのです。

昔から夜祭でも自分のうちの半纏を誰が来て祭りをして
るのか知らないという話はあり、お金で人を雇っていたのは
かなり前からです。

文化財保護という事でこの祭りにも昔から税金が投入されて
きました。

祇園祭りにも三井家というスポンサーがいたように、これは
必須なアイテムであり、それが最近は逆転して国から金が
出てお祭りをするようになってしまったのです。

これはいいことなのでしょうか。

やらされる祭りならやらなくていいのではといつも感じます。
コメント
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