墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

2007-03-11 23:43:06 | 駄目

 悪人などいない。
 どこにもいない。
 ヒトラーすら悪ではない。

 性善説などではなく、善などただの思い込みで、直接に手を汚さなくても、誰もが同じ程度に悪である。
 よく言うけど、馬鹿と言う奴が馬鹿なのだってのは真実だ。
 悪を責める正義の味方も、視点を変えれば悪であり、下手すると世の中を混乱させるだけの人間かもしれない。

 悪いのはシステムであり、システムが悪いのは共同体の共同責任だ。
 それだけで、どこにも悪人はいない。
 自分の責任も無視して、他人を悪人呼ばわりして責め立てるのはただの馬鹿である。

 楽しそうに1人遊びしている子供。
 それがヒトラーだったのかもしれない。

 友達もなく1人きりなのに、羨ましくなるほど楽しそうに1人で遊んでいた。楽しそうなので、つい僕も仲間に入れてと言うと、ヒトラーはなんのためらいもなく仲間に入れてくれた。

 絶望感に打ちのめされ、孤独だと思う人間には、1人で楽しそうに遊んでいる人間が羨ましく思えるのだろう。
 だが、普通の時代なら1人遊びの子供なんか誰も相手にしない。勝手に遊ばせておく。
 しかし、よりそっていた環境や共同体がバラバラにされたなら、淋しい人間はなんにでもすがりつきたくなる。
 そして、1人遊びの子供の仲間に入ろうと考える事もありうる。

 ヒトラーは、平和な時代なら宮沢賢治やヘンリー・ダーガーなどと同類の人間であったのかもしれない。影響力こそ強いが、平和な時代なら人間として何の害もないただの妄想家であった事だろう。だが、ヒトラーは妄想の実現の為に手段を選ばないという一面も備えていた。故に彼の妄想を実現する為に多くの生命が犠牲となった。

 共同体が疲弊した時代には、価値観の転換が起こりやすく、安易に価値観は転覆する。そういう時代には、かってなかった価値観が人々から求められ、本来ならただの妄想家の価値感すら世間は採用する事もある。ヒトラーだけが悪いわけではない。ヒトラーを求めた人々にも罪がある。

 他人を求めなければ生きていけない人間にとっては、1人でいるのが苦しいとは思わない、むしろ1人は楽しいという人間は憧れかもしれないが、人は人を求めずには本来は生きていられない生き物だ。
 人を求めないのは強さでもあるが、狂気でもある。むしろ、正気を保ちたいなら人を求めたほうが良い。

03113


平成マシンガンズを読んで 282 暴走する死神とその鎮圧

2007-03-11 10:47:41 | 

「『教育理念』が建前なら、今の教育の実態はなんだろうか。
 もちろん、競争だよな。
 そう。結局は、良い大学に入って一流企業に行くのが最終目標なんだよ。
 その為に学校に行っているにすぎないし、勉強なんてもんは、高い給料を貰えるようになる為の手段。しょせん金だよ。勉強なんてつまんない。
 他人より裕福になれ。
 少なくとも、負け組にだけはなるな。
 そんな風に大人からハッパかけられ勉強していて、ふと気づく。実は、まわりのクラス・メイトってお友達なんかじゃなくて自分の敵なんだと。
 本当に成功する者はごくわずか。他人を押しのけてでも這い上がらなきゃ成功者にはなれない。
 そうか、まわりはみんな敵なんだという認識。クラスメイトはみんな、自分と同じ狭い門を目指して走る敵である。こいつらは自分を蹴落とそうとしている加害者だ。
 そして、生まれる被害者妄想。
 なにしろ、みんなが加害者なら、自分は被害者だ。
 大人からの抑圧と、本来は敵である学友との建前のつきあい。
 精神は知らず知らずに屈折し鬱屈していく。
 こうして、子供達は被害者妄想にこりかたまった、他人を非難する事しかできない醜い大人に完成させられる。
 なんと愚かな教育!
 なんと哀れな子供達!
 子供達よ歌え復讐の歌を!
 討つのだ眼前の敵を!
 今こそ立ち上がれ子供達の復…」

 もう、死神には我慢出来ない!
 こんなに大勢の人が乗っている電車の中でワケのわからん演説をぶちやがって。偉そうに、お前は何様だ! お前の演説のせいで、一緒の私が死ぬほど恥ずかしい!

 我慢は臨界点を超え、私は叫んでいた!

「演説をやめなさい! 電車の中でしょ!」

 叫んだとたん冷静になった。
 血の気がすーっと引いていく。
 しまった。
 やらかしてしまった。

 夏もおわりかけているが、まだ残暑厳しいそんな平日のお昼。
 中央線の車内はいくらか空いているものの、シートは乗客でうまり立っている人もいる。その車内で演説する中年男と、それを叱りつける制服の中学生。あきらかに異様なシュチュエーションだ。

 私に叱られたのがショックだったのか、死神はしゅんとなって謝る。

「ごめんなさい」

 うわっ、こいつ最悪、空気読めてない。これで、うちらは確実に変な2人組に決定だよっ。他の乗客の視線が痛い。知らんぷりを装いながらも、あきらかに私達を観察している。
 怒りと恥ずかしさで熱くなっていた体が一気にクールダウンして、消え入りたい気持ちになる。


平成マシンガンズを読んで 281 死神の教育論

2007-03-11 10:44:06 | 

 話し続けていくうちに、まるで死人のような目だった死神の目に不気味な存在感があらわれはじめた。顔は相変わらずの無表情だが、目だけは光を吸収する底なしのブラック・ホールのよう。

 やばい。
 死神が調子にのってきた。
 自分の言葉に陶酔しかけて、おさえていた声もだんだんと大きくなってきている。こんな電車の中で、例の『へ理屈』を大声でぶちまかされたら、たまったもんじゃない。マジかんべんしてほしい。
 ちらっと視線を動かし周囲を観察すると、さっきまで文庫本を読みふけっていた左どなりに座っているおじさんの手が固まっている。本に興味を失った様子で、聞き耳をたてているような感じがする。

「ねぇ死神、ちょっと……」

「今の混沌とした教育の状況に対して、あえて俺は言おう。現代の教育は競争原理にのっとった『競争教育』であると!」

 駄目だっ。
 死神の奴すでにバーニングファイヤーしている。もう、そのまま勝手に燃え尽きてしまえ!

「理念ない教育は悲しい。
 子供達こそが未来を創造するのだ。教育は、この国の未来をある程度決定する重要なものである。
 なのに、この国には肝心の『教育理念』がない。あるにはあるが、ただの建前と化している!
 その理由はこの国の政治家に明確な日本の未来像がないからだろう。未来の日本をどうしたいかという想定がないから、日本の子供をどのような大人に育てたら良いのか分かっていない。
 国の政策として考えるなら、教育改革の根本には『どのような日本にしたいか?』がなくてはならない。
 次に『では、そういう日本にする為には、どのような日本人が必要か?』となる。
 そうすれば、目標となるべき『日本人像』が出来たのだから、そういう日本人になるような教育方針を『理念』とすれば良いだろう。
 ただ、国策にのっとった教育は常に危険がともなう。
 その理念が適正な物であるかどうか、公正に審査するシステムも同時に必要となろう。
 とにかく教育改革をするならキチンとした『日本の未来像』がまず必要で、今までのやり方じゃ駄目っぽいから今度はこうしてみよう。なんていう小手先の変革は子供達の混乱を招くだけ、ろくな結果にならないのは目に見えている。
『改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり』と兼行も言っている」