ところで。
俺のこの「日記」の作文の痛さはいかほどのものか。
アイタタ!イタタみたいなものか。
あるいはイタ。イタ。イテテか?
もしくはイテー!イテーよ!か?
口臭と同じで、俺のイタサは俺には良くわからない。痛がるのは他人で俺は痛くも痒くもない。むしろ陶酔して作文している。
俺の作文で痛がる人がいたとは、非常に申し訳なく謝罪の言葉もない。ってゆーか謝罪なんかするつもりはない。勝手に痛がって痛死ねばよろしい。
さらされてんのは俺で、さらしもんにしたのは何処の誰ともしれないお前だ!
俺は実際に、さらされて非常に気分が悪い。フザケンナよと思っている。
だけど、痛いのはお前なんだよね。実際にさらされて被害を被ったのは俺のはずなのに、お前がイタイと言う。俺の存在が痛くて痛くてたまんないんだろうな。ソコは謝る。痛い作文ばかり書いてて非常に申し訳ない。
でも、イタくて不快ならぜひ目をそらして欲しい。申し訳ない、ごめんなさい。
目をそらす事ですむことをわざわざさらすのなら、お前は何者だと俺は噛み付く以外には手はない。
なにも、どこの誰とも知らないお前に噛み付くのは俺だって嫌だ。
俺はお前にさらされて気分が悪い。さらしたのはお前だ。
でも、痛がってるのはお前なのだ。ここで加害者と被害者の逆転が起こる。お前にとり、お前がイタイと感じる事を俺が書く事自体が悪で、お前にとり俺は馬鹿丸出しなんだろう。
痛いお前は被害者で、痛い思いをさせた俺が加害者なんである。
どこまでも被害者面の小市民が!
俺のイタサはオリジナルティ。いわゆる個性である。
個性が痛いのは当然だ。個性とは当人の欠陥であり、修復不可能なクセだ。それが他人に痛く映るのは仕方がない事だ。
まわりの他人からイタイと言われるのが怖くて、「オレが痛いんです!」と叫び続ける小市民。それがお前の正体だ。仮病のイタタローだね。
この世の、現代日本という共同体から外れたモノははみんな、小市民からイタイというラベルをはられる。
身体障害者。
キチガイ。
乞食。
売女。
そして俺も。
俺らは共同体からいらないと烙印を押されて、つまはじきにされただけなのだ。
俺はまだ這い上がろうという意志だけは持っている。でも、そこに「イタイ」だ。
俺の存在自体がイタイのだ。
そして、彼らにイタサを与えている加害者は俺なのだ。
くそくだらん被害者意識の固まりの小市民ども。
俺はこんな奴らの仲間に入りたくてあがいていたのか。