墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

ニート

2005-07-28 21:14:00 | 徒然草
 テキストによれば兼好法師は、京都出身の下級貴族。本名は卜部兼好。吉田神社の神主一族の出身なので、後の世の人に吉田兼好と呼ばれるようになる。
 出家後の名前はただの兼好。だから、正しくは「徒然草」の作者は兼好法師なのである。もしくは出家前の卜部兼好が正解である。吉田兼好はたんなる京都のご近所でのあだ名である。あだ名を答案用紙に書いて、はい正解の現在の国語教育は間違いっぽいらしい。

 兼好は、当時の鎌倉時代末期の貴族社会のあまりのアホらしさに戦線離脱した、いわゆるニートである。当時はニートにもちゃんと受け皿があった。それが出家である。これ以上、この世にはつきあいきれません。という人々にも、ちゃんと逃げ道が用意されてたんである。
 だが、明治政府の戸籍を国が管理したいが為の政策で、仏教は精力をそがれた。そのおかげで、無駄な出家を受け入れる余地がなくなったのだ。
 ホームレスもニートも、昔なら坊主にさえなれば、それなりに格好がついたのだ。


徒然草 第一段(全)

2005-07-28 20:00:08 | 徒然草
 いでや、この世にうまれては、願はしかるべき事こそ多かめれ。
 御門の御位はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人など賜はるきは、ゆゆしと見ゆ。その子・孫までは、はふれにたれどなおなまめかし。それより下つかたは、ほどにつけつつ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちおし。
 法師ばかり羨ましからぬものはあらじ。
 「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。いきほひまうに、ののしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀ひじりのいひけんやうに、名聞ぐるしく、仏の御をしえに違ふらんとぞおぼゆる。ひたふるの世捨て人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。
 人は、かたち有様のすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。物うちいひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉おほからぬこそ、飽かず向はまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性みえんこそ、口惜しかるべけれ。
 品・かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才なく成りぬれば、品くだり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ、本意なきわざなれ。
 ありたき事は、まことしき文の道、作文、和歌、菅絃の道、また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙からず走り書き、声をかくして拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ、をのこはよけれ。

<意訳> 
 やー。なんかこの世に生まれちまった以上は無駄に願い事ばかりが多いよね。
 天皇はすごく偉くて、竹の園生に住んでる皇族すら普通の血筋じゃないんだよ。
 摂政とか関白もそれなりにすごいよ。ただの貴族だって、朝廷からボディーガードの舎人とかつけてもらえる身分なら、そりゃすごいさ。そういった連中の子供や孫まであたりは落ちぶれても、それなりに気品があるよね。それより下の連中が身分に応じて出世とかして得意満面なんて場面もあるけどさ。それってやっぱかっこ悪いよ。
 坊主はあんまりうらやましくはないな。
「(坊主なんか)人に木の端みたいに思われてんのよ」 なんて清少納言に書きつづられちゃたりするのも当然だよね。大騒ぎして鐘と木魚叩いてみたりしてても、あんまりありがたくは見えないしな。増賀上人の言うように、坊主の名声は見苦しい上に、仏の教えに背いてる。まだ、乞食坊主のほうがなんぼかましなんだよ。
 人間、美しいのが望みだよね。話し方も聞きにくくなくって、愛敬があってさ、無駄に愚痴を言わない奴なんかは友達に最高だね。でも、そんな奴であっても、たまにがっかりするほどの本性をあらわにしたりするんだよね、嫌になる。
 親の財産や容姿なんかは変えようもないけど、頭の中身は変えられるだろ。賢くなろうよ。すげー美人がつまんないおばさん連中に取り囲まれてヘコヘコしてんのは見てて辛くなる。
 せめて身につけておきたい事は、本格的な学問、漢詩、和歌、楽器の演奏。それに朝廷の諸儀式の知識、そういうもので人の手本になれたら素敵だよね。字なんか下手じゃなくて流れるような文字でさ、声が良くて拍子もうまくとれて、遠慮なんかしつつも下戸じゃない。なんてのが男としていいよな。




原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書


徒然草 第一段(4)

2005-07-28 19:58:59 | 徒然草
 ありたき事は、まことしき文の道、作文、和歌、菅絃の道、また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙からず走り書き、声をかくして拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ、をのこはよけれ。

<口語訳>
 身につけたい事は、本格的な文の道、作文、和歌、菅絃の道。また有職に公事の方、人の鏡になる事こそすばらしいであろう。筆跡は下手ではない走りがき、声良く拍子をとり、遠慮なんかしてても下戸ではないのが、男として良い。

<意訳>
 身につけておきたい事は、本格的な学問、漢詩、和歌、楽器の演奏。それに朝廷の諸儀式の知識、そういうもので人の鏡になれたら素敵だよね。字なんか下手じゃなくて流れるような文字でさ、声が良くて拍子もうまくとれて、遠慮なんかしつつも下戸じゃない。なんてのが男としていいよな。

<感想>
 一日めで、兼好法師はこの第一段の文章を「この世に生まれた以上は望みごとばかりが多いよな」ではじめた。とうぜんに、今日の文章もそれにかかって終わるはずだ。
 一日めは貴族として、現世での出世への嫌悪。
 二日めで坊主が出世する事への嫌悪。
 三日めに容姿や口ばかりで内容のない奴への嫌悪。
 さて、四日めは。身につけたい事はではじまる。
 ここではじめて、実は兼好法師は世間への嫌悪をただ書いてきたわけでなく、自戒の念をこめて第一段を書き進めてきた事が理解できる。
 兼好法師が第一段で言いたい事を要約してみよう。
「俺もさ、この世に生まれた以上は望みごとが多いわけさ。でも、天皇でも皇族でもない、ただの貴族が多少の出世で喜んでるのもどうかと思うぜ。
 ましてや、坊主が出世しようなんて、そう思う事自体が仏の教えにそむいてるよな。
 カッコイイのは理想だけどさ、頭が空っぽじゃ、いくらイケてても情けないよな。
 結局、他人の手本になるぐらいの知識がなきゃ駄目だよね。そんでもって大酒飲みならなおさらいい」
 とゆー事です。
 ありたき人の姿を最後は、下戸じゃないのが男らしいと締めてんのが、兼好流というやつでしょうか。昨日より兼好法師が少し好きになりました。
 てゆーか。勘違いしててごめんね、兼好法師。


すいません、ごめんなさい。

2005-07-28 19:57:43 | 徒然草
 すいません、ごめんなさい。
 またやらかしてそぼろいました。
「徒然草」の第一段はまだ終わっていなかったのです!
 てっきり勝手にこれでもう「徒然草」の一段めは終わっちゃったんだなと昨日は思っちゃったりなんかしちゃったりして、そんでもって結論めいたまとめまで書いちゃったりまでなんかしちゃったりしたんですが、まだ終わってはいません。
 初日で勘違いしてました。「徒然草」の第一段は三分割でなく、四分割されていたのです。
 俺はケアレスミスの男。
 俺のいく先々にはミスの影が常につきまとうのです。オールドミスならぬ、ほとんどミスです。俺の言う事なんて半分は勘違いで半分はウソ。要するに100%信じるなと言う事です。常に俺のやる事なす事、書く事の全てに疑いのマナコで立ち向かって下さい。切に希望します。

 そんなで「徒然草」第一段の(4)。今夜が第一段の最終回。さて、どんな話しが飛び出しますやら、乞うご期待!