山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

須川高原ホテル 9月14日撮影

2009年09月19日 | 温泉
昨年の宮城岩手内陸地震から、2回目の夏の終わりが来ました。



日々工事は進められていますが、岩手からの栗駒山登山道、須川高原温泉、ならびに秋田栗駒山荘へは、現在も秋田側398号線小安峡ルートか、同じく秋田側342号ルートしかありません。



栗駒高原温泉の駐車場からは、コンクリ―トミキサー車が停泊し、ヘリコプターがかわるがわる生コンを引き上げ、ピストン輸送している最中でした。
栗駒山の昭和湖に公衆トイレを新設する工事のためのようです。
あまりのけたたましい爆音には驚きでした。

しばし唖然とその様子を見つめてしまいました。
ヘリが地上へと近づくたび、凄い突風が吹き荒れます。



さて須川高原温泉も、地震の被害をかなり受けました。
広くてまるでプールのようだった内湯は、完全に取り壊されていました。
もと、女湯の内湯からなみなみと溢れだしていた温泉の湧き出し口は、工事現場の片隅で今も温泉を流し続けていました。

あまりの変わり果てように、胸にあついものがこみあげてきます。
昨年を除いては、5年ほど前から、年間1泊~6泊していた、お気に入りの温泉でした。
楽しい思い出も、たくさんありました。



その当時、ここには温泉を引泉した、大きな温泉プールがありました。
昼間は子供たちが楽しそうに泳ぐ姿もありました。

今でこそ、カミングアウトとなりますが、その当時、プールは鍵がかからなかったため、自己責任ではありますが夜もプールにはいることができました。

私はとくに夜に泳ぐのが好きで、ライトダウンした中、プカプカ水面に浮きながら、空いっぱいの星を眺めたものでした。
それが楽しみで、宿泊したようなものです。

温泉+星+プールと、まるで夢のような組み合わせが、そこではかなえられたのでした。



現在の日帰り入浴は、露天風呂と宿泊者専用の小さめの内湯のみのようでした。



かつて露天風呂からは、巨大な岩肌がせりだし、ダイナミックな景色が見られましたが、地震によって岩の一部が落下しました。

もとの様子を記憶しているだけに、赤い岩肌がむき出しになったさまは、痛々しい気もします。



さて、こちらは須川高原温泉の源泉です。
心なしか、湯量が減ったような気がしましたが、あの匂い、酸性泉のさっぱりしてピリッとした感じは、今も変わっていませんでした。

この源泉の横を通れば、もうそこは栗駒山の登山道です。



標高が高いため、この栗駒山山頂付近の紅葉は9月の20日過ぎ頃から見ることができます。
その日はまだほんのり色づいている感じでしたが、シルーバーウィークともなれば、もっと華やかな色どりが眺められることでしょう。



かつての大きな岩の割れ目からは、地震の影響か蒸気が噴出していました。

皆が積んだケルンから見る景色は、だだひたすら清々しく、美しく心を和ませてくれます。

あの地震は信じられないほど大きな破壊力を持って、自然の脅威をまざまざと見せつけました。
慰霊の祈りを込め、石を積みました。
(写真左のケルンの一番上の石が、私の積んだケルンです)



八幡2丁目の猫ちゃん

2009年09月18日 | 
その日、八幡2丁目では…



わさこ「ねぇ、何してるの?」

「あたし、miniプーさんもってるんだぁ~。今日は特別見せてあげてもいいよ!」



シルバー「今日は、遠慮するよ」

「ああ…」



シルバー「んん…。」

「シルバーウィークは、僕のためよ~」
「最高だにゃ~~」



わさこ「…退屈

歯性上顎洞炎

2009年09月17日 | からだ
前回に続く≫

かかりつけの耳鼻科では歯科的な問題を指摘し、私のかかりつけの歯科医へ行くと蓄膿症は歯が原因による病状であると解り、治療が難しいのを理由に大学病院を紹介されました。

さて、大学病院にはかかりつけの歯科医で撮ったレントゲン写真を持って行きましたが、再度、院内でレントゲン撮影しなければならないということで、耳鼻科や歯科医で撮影したものと同じものを撮られました。
さらに、詳細画像が治療法を確定するために必要と言われ、画像の専門医院にまわされます。
そこでは、CTを撮影しました。
同じものと思える画像撮影によってかかる、時間と出費が無駄に思え、ストレスを感じます。

さてCTの結果です。
耳鼻科的には、軽い蓄膿症で、炎症的には軽度。
原因は歯性上顎洞炎で、歯科的には重度。

つまり…人体に生理的に有る腔内に化膿性炎症が生じ濃汁がたまっているのを蓄膿といいますが、顔面(上顎)には、空洞(副鼻腔)があり、この部位の内面の粘膜が感染して炎症を生じたものが副鼻腔炎で、別称蓄膿症。

歯科と関係が深いのは上顎洞で、上の歯の根の先がこの空洞に近いので、歯及び歯周組織の炎症が容易に上顎洞に移行し、そこの炎症が上顎洞の洞底の骨を溶かしていけば容易に上顎洞の粘膜も感染し上顎洞炎を併発してしまいます。
このように歯の炎症から上顎洞の炎症を起こしたものを『歯性上顎洞炎』と呼びます。
決して稀なものではなく、上顎洞炎の1割ほどを占めるともいわれているそうです。

そもそも冠を被せた金属と歯の境界には顕微鏡サイズの隙間ができ、この境界部分の清掃が不十分だと、僅かな隙間に虫歯菌が繁殖し、再び虫歯を作って、細菌はやがて歯の神経があった管を伝って根の先に至って繁殖したり、歯間から侵入するケースもあるようです。

私の場合は、細菌は上顎の骨まで達し、骨が溶けてしまっていているようで、治療法は歯科的には厳しいと言われてしまいました。
つまり、炎症のある問題の奥歯を2本抜き、失った歯を部分入れ歯にするのが解決法としては一番簡単だということでした。

まさか…
そんなことを言われ、頭が真っ白になりそうになりました。
帰り際、足元もふらふらです。
歯が無くなって部分的にでも入れ歯になるなんて、私の年齢では、恐ろしいことです。
まして歯のメンテナンスには、細心の注意を払い、歯磨きはほぼ食事のたびに行い維持してきました。
歯の根っこに近い骨さえ溶けていなければ、抜く必要もない立派に役目を果たしている歯です。

「なんでこうなるの~?」
まさに、信じられない気持です。
理論的に解っていても、納得がいかない心境です。
いつも目に見える体の一部が無くなることに、これほどまで恐れを感じたことは、今まで一度もありませんでした。

さて、次回の診察では、歯の根っこの治療の専門科で診てもらい、担当の先生の判断に委ねられるということでした。

調べてみると、歯の炎症が原因となり、歯や口の感染病巣から菌が血管内に入って、遠く離れた心臓・脳・肝臓に転移性に化膿巣を形成する敗血症など、全身的な感染症になってしまう場合もあるそうです。
(たけしさんの「ほんとうは怖い家庭の医学」でも放映されたようです)

またかなり昔ですが、「その原因(膿が溜まる)のは前の歯医者が下手だから」とある歯医者がこれを本に書き、マスコミなどで宣伝した為に、多くの歯医者が異口同音に言い始めたこともあったようです。

が、私の場合は、昨年から痛みのない歯ぐきの腫れと耳鼻科の蓄膿症の診断をかかりつけの歯科医に伝え、レントゲンも撮り、歯科医としての治療法を聞いていた経緯がありますので、その時に適切な処置をしていれば、1年もの間に病巣が大きくなることを予防できたのではないでしょうか?
そういった意味では「歯医者が下手だから」とも言えると思います。

もうこうなったら、運は次回のお医者自身に任せるしかない状況です。

女性にとっては乳がんとか、早期発見しか手立てのない病気により、それを失ってしまうことの恐ろしさと比べれば、まだましなのかもしれません。

この病気について私に少しでも知識があれば、もっとリスクが少ないうちに、時間もお金もかからず完治できたはずです。

みなさん、そういった症状で、心当たりがある方の参考になればと思います。


信じられない!

2009年09月16日 | からだ
「OH!信じられない!!」には、2通りの理論があると思います。
いいことと悪いこと。

今日はよくない意味の「信じられない」を書くことにします。

実は昨年の今頃は、鼻づまりと痰が絡むので、耳鼻科に通っていたのですが、投薬治療にも成果があがらず、お医者も最終的には私に説教してきたりしてかなり嫌だったので、耳鼻科を変えてみました。

そこでも軽い蓄膿症と判断されました。
3か月の蓄膿症の投薬治療を受け、その後は薬を変えて投薬で様子見しました。

実はその同時期、歯医者で一年おきに歯垢を取ってもらったりしていた際、痛みさえないものの、何となく気になっていた歯ぐきの腫れに疑問を感じていた私は、蓄膿症との関係を聞いてみました。
「痛くなければ大丈夫!」とドクター。

かかりつけの歯医者さんは、10 年以上お世話になっていますが、治療法は「痛くなければ様子を見る(痛くなければむやみに治療しない)方針を貫いていました。
私も病気探し的な治療法は嫌でしたので、ある意味しかには信頼を寄せていたのも事実です。

ところが耳鼻科的症状がいつまで経っても改善せず、かかりつけの耳鼻科のお医者はある日私に言いました。
「もしや、歯科的な問題があるとしか思えないのです」と。

そうしてかかりつけの歯科医への紹介状により、その後、すべては歯が原因による病状と判断されてしまいました。


続く≫


誕生日

2009年09月15日 | つぶやき
一年に一度の更新時期が来ました。
誕生日。
それはもはや歓迎される類のものではないけれど、自分とともにその日を受け入れて、楽しませてくれる人がいます。
相方。

仕事中もおめでとうメールが届いたり、
仕事から帰ってきて「誕生日、おめでとう」と言いながら、花束を少し恥ずかしそうに渡してくれる、そんな一年に一度のサプライズの日。



今年の花束は、置賜の真っ赤なダリアをメインに全部で7種類の、ピンクの花たちで演出されていました。
新色の花たちばかり…

とっても嬉しい!

今回の私は求職中につき、近所の酒屋で求めた安ワインで乾杯することにしました。(記念日はいつも紅白にこだわる私)



相方は、デメルのケーキも用意してくれていました。
今は百貨店にも進出していますが、かつて原宿とどこかの2店舗しかなかった頃、アンナトルテとザッハトルテを食べに、原宿をデートした頃などなど、懐かしく思い出されました。

年齢は社会人として認識しやすくするための記号だと、私は常々思っています。
相方のためにも、健康で、長く一緒にいられるよう、頑張らなければと思いました。