山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

眺海の森④松山城大手門と總光寺

2009年09月10日 | ドライブ
眺海の森の麓には、かつて松山城が築城されていました。
山形の松山城であることから、出羽松山城とも呼ばれています。

<以下 wikipediaより>

初代藩主酒井忠恒に、庄内藩2代藩主酒井忠当より領内の飽海郡中山村が分与されて中山陣屋が構えられた。
後に、中山を松山と改め、松山陣屋といった。
松山城は天明元年(1781年)に松山藩第3代藩主酒井忠休によって築城が始められ、それまでの中山館より移り、7年の歳月をかけて一応の完成をみた。
宝暦10年(1760年)忠休は西の丸若年寄となり、5千石加増され格式も城主になった。

戊辰戦争では、宗家の鶴岡藩と行動を共にして奥羽越列藩同盟に加わり、官軍と戦うこととなった。廃藩後大手門を除き、建物は取り壊された。
本丸を中心に、東部から南北を囲むようにして二の丸が位置しており、それらの郭の西部から南北を囲むように三の丸が位置していた。

天守や櫓は築城当初から築かれなかったが、当初の計画では本丸に二重櫓(3間×4間)を置く予定であった。
本丸には中山陣屋から移築した御殿があり、大手門とその脇には単層の物見櫓があった。



こちらが、大手門。

大手門は落雷で一度焼失したため、酒田の豪商、本間重利が1792年に寄進して再建されたものなのだそうです。
現在、城跡の中心は公園として整備され、歴史展示館や大手門のほか、土塁および堀の一部が残っています。



近くには曹洞宗の名刹「總光寺」があります。



参道に並ぶ約120本のきのこ杉は県の天然記念物になっているそうです。
キノコのような不思議な形をしていますが、もともとは最上川横山地帯に自生する土湯杉(山ノ内スギ)を、總光寺28世儀和尚植えて以来、毎年刈り込み状態が茸形となったため、キノコ子スギと呼ばれるようになったようです。
幹径30~40CMに及ぶものもあり、樹齢はおおよそ350年といわれているそうです。



山門にも名刹を感じます。
立派です。



庭園は国指定名勝となっています。
拝観料(300円)が必要です。



お寺の中も風情があります。
木造建築として一見の価値は十分にあると思います。

また、松山町では江戸勤番の松山藩士が能楽を修得したことに始まり、現在では1月下旬・6月中旬・8月中旬の年3回上演されるそうです。

總光寺大寒能:1月第4土曜日(開場11:00、呈茶11:00、開演12:00)