山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

蓮華王院本堂(三十三間堂)

2018年11月30日 | 神社・仏閣

 西国33観音巡礼 第15番今熊野観音寺さんを後にし、「三十三間堂」を拝観することにしました。

敷地に入ると、警備員さんに自転車を止める場所を指定されました。

 三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は南叡山妙法院(天台宗)の境外仏堂につき、建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。

この地には元々、後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があり、その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、現在の三十三間堂。

上皇が眠る法住寺陵は三十三間堂の東隣に現存。

上皇が平清盛に建立の資材協力を命じ、西暦1165年1月30日に完成したという。

創建当時は五十塔なども建つ本格的な寺院であったが、建長元年(1249年)の火災で焼失。

文永3年(1266年)に本堂のみが再建(現「三十三間堂」)。

建築様式は和様で、当時は朱塗りの外装、内装も極彩色で飾られていたといわれているそうですう。

桃山時代には、豊臣秀吉の東山大仏(方広寺)造営により、三十三間堂もその境内に含まれ、周囲の土塀や門などが整備されたそうです。

「三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」に由来します。

「33」は観音に縁のある数字で、「法華経」等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによるもので、俗に「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」というのは、本尊と脇仏の一千一体がそれぞれ33に化身するからなのだそうです。

まずは外回りを見学しました。

写真に納まらないほどの建物の大きさに圧倒されます。

このなかに観音様が立ち並んでおられるとは、すごいことです。 

建物外部から見る柱間は35あるそうで、正面には7間の向拝があるが、この区域は慶安2〜4年頃の増築。

小さな庭園。

内部拝観料は600円。

御朱印も中でいただくことができました。 

写真撮影はできませんので、建物外の看板を撮影しました。

お堂の中には、千手観音立像1,000躯を安置されていますが、千手観音立像は他に本尊の背後にもう1躯あるため、正式には1001です。

博物館などの展示で長期で出張されていた観音様がその日はすべて戻ってきており、1001揃っておられるということは、ほとんどあり得ないのだそうです。

ありがたい時に恵まれました。


歩きながら観音様を見ていると、時々ドキッとする瞬間がありました。

見られている、という感覚です。

観音様にも衆生をお救いするという使命のものにそこに存在されておられる限り、それが木造のものであれ、そこに「命」があるのではないかと思えてきました。

やはり、観音様1001に心の中を見られている、という気がしないでもありません。

そこからは観音様との静かな心の対話でした。

いつも正しい生活を心がけてはいますが、果たしてそうでしょうか?

私が生まれた理由である「使命」をきちんと果たして生きているでしょうか?

難しいですぅ~、頑張っていますがなかなか思うようには…

観音さまに完全に心を見透かされた気持ちになりました。

不意に、高校の時、修学旅行でこのお堂を拝観したことを思い出しました。

その時は、おびただしい数の観音様にすごいなぁ~と思っただけで、こんなに深くは考えなかったですね。

そう思えば少しは私、成長したかもしれませんね。

最後に、もう少し人が少ない時期に、数時間ここで瞑想したりして過ごせたら、と欲張りなことを考えてしまいました。

名残惜しいところですが、今日は次のお寺に向かわなくてはなりません。

観音様に合掌。

 

■蓮華王院本堂(三十三間堂)

住所 京都府京都市東山区三十三間堂廻町657番地

 

 

 

 

 

 

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西国33観音巡礼 第15番今熊野観音寺

2018年11月29日 | 神社・仏閣

 その日はレンタサイクルで、京都寺院めぐりと西国三十三観音巡礼です。

 初めての西国三十三観音巡礼となったのは第15番札所「今熊野観音寺」さん。

橋を渡ったところにレンタサイクルをとめました。

先ほど立ち寄った「東福寺」さんとは全く別な空気感が漂っていました。

四国88か所巡礼とは違うものの、巡礼霊場の雰囲気です。(入山料金なし)

御詠歌  昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり

真言宗泉涌寺派で開基は弘法大師、ご本尊は十一面観世音菩薩。

子育て弘法大師の背後には紅葉が輝いていました。

 

今熊野観音寺の由縁は次の通りです。(HPより)

平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国されてほどなくの頃、東寺において真言密教の秘法を修法されていたとき、東山の山中に光明がさし瑞雲棚引いているのを見られました。
不思議に思われてその方へ慕い行かれると、その山中に白髪の一老翁が姿を現わされ、「この山に一寸八分の観世音がましますが、これは天照大神の御作で、衆生済度のためにこの地に来現されたのである。ここに一宇を構えて観世音をまつり、末世の衆生を利益し救済されよ。」と語りかけられ、またそのときに一寸八分の十一面観世音菩薩像と、一夥の宝印を大師に与えられました。この時に老翁が立ち去ろうとされたので何びとかをたずねると、「自分は熊野の権現で、永くこの地の守護神になるであろう。」と告げられて姿を消されました。
大師は熊野権現のお告げのままに一堂を建立され、みずから一尺八寸の十一面観世音菩薩像を刻まれ、授かった一寸八分の像を体内仏として納め、奉安されたのが当山のはじまりです。弘法大師御作のこの観世音菩薩像は秘仏として大切にまつられ、一千二百年の長きにわたって衆生を利益し続けておられます。 

お蝋燭とお線香を手向け、ご本堂にて般若心経を読経しました。

その後も西国巡礼で感じたことなんですが、四国の88か所とは違い、巡礼でお寺に来た方もそうでない方もお参りされているので、読経するもなるべく声を静かに、数分間そのに立っていることで邪魔にならないように気を遣う必要があると感じました。 

納経帳に御朱印を頂いて、ホッとしました。

初めての西国巡礼の1歩が、この今熊野観音寺でよかったと、喜びが静かにわいてきました。

あらためてゆっくり境内を回ってみました。

青竹と赤い紅葉の対比の美しさに感動しました。

「五智水」は蛇口をひねると出てきました。

観世音をまつるのにふさわしい霊地を選ぶために、弘法大師が錫杖をもって岩根をうがたれると霊泉が湧き出し、大師はこの清涼なる清水を観音御利生の水として崇められと名付けられたそうです。

稲荷社、熊野権現社。

本堂から医聖堂。

医聖堂は本堂東側の山上にひときわ高くそびえ立つ平安様式の多宝塔で、 医と宗教がともに手をたずさえて、人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますよう、との住職の願いを込めて建立。
この「医聖堂」には医界に貢献された多くの方々が祭祀されているそうです。
平成28年に丹塗りの塗り替えが施され、33年ぶりに鮮やかな朱色が蘇ったそうです。 

自転車でたどり着くまで、途中坂が続いて大変でしたが、そんな疲れもこの美しい紅葉で癒されます。

今熊野観音寺は「頭の観音様」とも言われ、頭痛封じ・智慧授かり・学業成就などの頭の観音さまとしてはもとより、厄除開運・健康長寿・中風封じ・ぼけ封じの観音さまとして信仰を集めています。

頭痛封じに、宝布(枕カバー)の参与品などがありました。

合掌

 

■西国33観音巡礼 第15番今熊野観音寺

住所 京都市東山区泉涌寺山内町32

 

 

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東福寺

2018年11月28日 | 神社・仏閣

なぜか東福寺の記事を2回ほどUPしましたが、結果的になぜかこの私の日記の公開に結び付かないようです。

試験的に写真だけUP致します。

 

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東寺

2018年11月27日 | 神社・仏閣

京都駅八条口の本店「ecoトリップ」さんでレンタサイクルをお借りし、10分かからずに「東寺」に到着。

駐車場の管理さんから「あの壁側に停めたらええケン」といわれて、自転車だとタダで停められることに、プチ感動♪

山門に戻り糸礼して境内へ。

 

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある「東寺真言宗」の仏教寺院で真言宗の根本道場であり、真言全体の総本山。

「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれ、山号は「八幡山」。

ご本尊は薬師如来。

寺紋は雲形紋(東寺雲)。

昭和9年(1934年)には国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。

歴史をさかのぼると、8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」という2つの寺院の建立が計画されたことがはじまりです。

これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院だったそうです。

南北朝時代に成立した、東寺の記録書『東宝記』によれば、延暦15年(796年)建立したともいわれており諸説ありますが、東寺では古くからこの796年を創建の年としているようです。

弘仁4年(823年)に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)は、嵯峨天皇から東寺を給預され、この時から東寺は国家鎮護の寺院であるとともに、真言密教の根本道場となったそうです。

東寺は平安後期には一時期衰退したそうですが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになったそうです。

「食堂~じきどう」~(入場無料)。

ここでご朱印を頂くことができます。

「大師堂」(無料)

改修中の為、プレハブ風の建物内で靴を脱いで、お大師様にお参りすることができます。

大日堂。

 毘沙門堂。

金堂(有料)。

金堂は顕教系の薬師如来を本尊としています。

金堂本尊・薬師如来坐像は凄かったです。

なぜかすごく視線を感じるというか、目が合う感じがするんですよね。

まさかの、本当に信じられないくらいのエネルギーを感じました。

講堂。有料)。

講堂には大日如来を中心とした密教尊が安置すされています。

須弥壇中央には大日如来を中心とする五体の如来像(五仏、五智如来)、向かって右(東方)には金剛波羅密多菩薩を中心とする五体の菩薩像(五大菩薩、五菩薩)、向かって左(西方)には不動明王を中心とした五体の明王像(五大明王)が安置。

また、須弥壇の東西端にはそれぞれ梵天・帝釈天像、須弥壇の四隅には四天王像が安置されて上、全部で21体の彫像が整然と安置され、羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)を構成。

これら諸仏は、日本最古の本格的な密教彫像であり、空海没後の承和6年(839年)に開眼供養が行われている(『続日本後紀』)。

全体の構想は空海によるものとされ、21体の仏像のうち、五仏のすべてと五大菩薩の中尊像は室町時代から江戸時代の補作であるが、残りの15体は講堂創建時の像といわれています。

とても古いものがこんなに良い状態で安置され、その仏像をぐるりと四方から眺められるなんてことは、ココでしかない感動でした。

すごかった~、私などが言葉に表現するなんて遥かな世界。

畏敬の気持ちと、感謝というのですか、歴史がこんなにまわって地球の環境も変わってしまっているなか、そこにある続けていることの凄さに、その存在感に、ただただ心がその魅力にとらわれて、時間が流れて行った、って感じでした。

小子坊。

撮影は11月22日。

ピンクのハートの花びらが落ちていて、思わず心がホッコリ♪

紅葉も素敵ですが、10月下旬~12月上旬のライトアップも人気なのだそうです。 

五重塔は国宝。

高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さで、京都のシンボルともなっている塔。である。誇ります。

天長3年(826年)空海により、創建着手に始まるが、実際の創建は空海没後の9世紀末。

雷火や不審火で4回焼失しているそうで、現在の塔は5代目。

寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたそうです。

初重内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像を描き、須弥壇には心柱を中心にして金剛界四仏像と八大菩薩像を安置。

真言密教の中心尊であり金剛界五仏の中尊でもある大日如来の像はここにはなく、心柱を大日如来とみなしているそうです。

  

 観智院。(有料)

観智院は東寺のみならず真言宗全体の勧学院と位置づけられ、多くの学僧を輩出しているそうです。

経蔵である金剛蔵には膨大な文書・典籍・聖教類が所蔵されていたが、現在は東寺宝物館に移されているそうです。 

紅葉も綺麗に色づいていました。

 

高野山とは違う魅力を持った東寺。

講堂・金堂は有料でも拝観すべきと感じました。

凄いパワーを感じました。

もっともっと時間をかけて拝観したかったです。

ありがとうございました、そんな気持ちで山門を後にしました。

さあ次は自転車で西国三十三観音巡礼で京都市内を巡ります。

 

 

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月ちゃん、ムカっっ!

2018年11月26日 | つぶやき

今月推定6か月の保護猫、月ちゃんは飼い主さんがいつもPCをしているので、いろんな手段で甘えてきます。

①飼い主さんがPCができないよう、ボードの上を陣取ります。

②飼い主さんがPCをしていると、近くのものを掻きむしったり、破壊しようとします。

③PCのマウスやSDカードをデスクから蹴落として、なにもなかったように知らんぷりしています。

④勝手にPCのどこかを押して、プリンターから数十枚のカラー印刷を行って、後から飼い主さんの悲鳴を聞くのが好きです。

⑤飼い主さんから「モノ」を遠ざけたあとは、飼い主さんに真っ向からムニュムニュして、うっとりして。。。

 

なんて土日の休日は、よくある本当のことですが、今週の週末には月ちゃんの凄い働きで、とうとうPC壊れてしまいました。

全く電源入らず。

革製品の椅子は、気づけばボロボロ。

もともとの家猫ミカエルは、月ちゃんが来てから、ギャーギャー叫んでばかり。

考えてみるとハチャメチャ。

今、VAIOノートPCを引っ張り出して、綴っています。

遅いし、最近のデータなしですが・・・・・。

 

 

 

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