お遍路にもお参りのための作法があります。
①山門で脱帽(菅笠は除く)し合掌。
②鐘を突く。(できる寺とできない寺あり)
③手水。
④本堂にて灯火(ろうそく1本)とお線香(1本か3本)お賽銭、納札、写経(持ってきた方)を納めます。
⑤念珠をすり、合掌してお経をお唱ええします。
*この時、自身の住所、名前を名乗り、それからお祈りを唱えます。
⑥大師堂でも④⑤を同じように行います
*この時はご尊真言は唱えず、ご法号(南無大師遍照金剛)を三辺お唱えします。
⑦納経所へ(大体のお寺は7時~17時迄)
⑧お寺を出る時、山門で一礼。
「お遍路ころがし」といって、歩き泣かせの険しい難所があります。
11~12番
19番~20番~21番
60番、66番といわれています。
どんな泣かせ?と聞かれれば「遍路=山登り?山越え」のようなイメージです。
普段から体や足腰を鍛えてから望まないと、かなり厳しいです。
お遍路の豊かな自然の中、平坦な道をのんびりと歩くイメージをもっていらっしゃる方が、私の周りには多くありました。
現実にそういう場所もありましたが、所詮お寺参りですから、山や階段の上り下りです。
ご朱印を頂ける時間は17時迄という制限もあり、その日のお参りが少しでも早く終わればそのぶん宿でゆっくり体を休めることができるため、タイムレースのような日々でした。
そんな中でも何人もの「お四国病」の方々にお会いしました。
お四国病とは、一度四国を周り終えた後、もう一回、もう一周とまわり続ける方々の事を言います。
私はまだ88番までまわり終えていませんが、そういう方々が多くいらっしゃるのも現実です。
つまり、苦しく辛く厳しいだけでなく、お遍路には魅力があるのです。
その魅力といえば、私の10日間の場合は一番に「達成感」でした。
その日、最後のお寺さんでご朱印を頂いて宿の部屋に入った時の「今日も無事で計画を達成できた」と実感するときの静かな喜び。
その喜びが毎日続く喜び。
それが生きている喜び。
生かされているのは、いろんな人が支えてくれているから、と実感できる喜び。
興味のある方は、ぜひ時間を作って「お遍路」を計画してみて下さい。
自分自身と向き合いたいなら、よい経験になると思います。