認知症になると新しい記憶は瞬時に消え去り、<wbr>昔の記憶だけが残る。
母が認知症であると自覚したのは3年前。
丈夫な人が初めて1週間ほど寝込んだ。
その後、言動が狂い始めた。
私が母の認知症を理解し、<wbr>母に対して怒鳴る回数が減るまで一年を要した。
しきりと母が「姫路城に行きたい」と言う。
たった今、<wbr>食事をしたことも忘れるが姫路城loveは忘れないようだ。
叶えてやりたいが新潟から兵庫は遠く、<wbr>踏ん切りがつかないでいた。
時を同じくして母のがんが見つかった。
記憶がなくなるのが先か身体がなくなるのが先か。
そんな状態になってやっと連れて行く決心がつく。
姫路駅に着いたのは11月の日差しがオレンジ色に変わるころ。
お城口から駅舎を出ると、<wbr>そこには夕陽を浴びた姫路城の姿があった。
私たちが初めて見た姫路城は白ではなく金色だった。
認知症が進み、<wbr>瞬時に記憶が消え去るようになってからも姫路城の話題を出すと「<wbr>金色に輝くお城が綺麗だった」と答える。
その言葉を聞くだけで辛さを忘れることができた。
それから3年後、母は逝った。
母は自宅にいる間、寝たきりになるわけではく、<wbr>徘徊することもなかった。
ありがたい。
また病気で体調を崩した時は病院にお世話になったので、<wbr>私はまともな介護はしていない。
母は介護の不安を忘れさせてくれることがあった。
翌日あたらめて姫路城へ。
晴天のもと、平成の大修理を終えた姫路城は白い。
オープン前に来たのに既に長蛇の列ができている。
しばらく待った後、レジ袋に靴を入れて入城する。
さすが世界遺産、オリジナルレジ袋が使われている。
なぜ揚羽蝶か?
現在の姫路城を築城した池田家の家紋が揚羽蝶だそうだ。
今になってようやく分かった。