街道を行く16 叡山の諸道
司馬遼太郎著 朝日文庫
比叡山についての書。
織田信長の比叡山焼討ちに興味が湧き買い求めた。
実際に語られているのは史実を中心に10ページ程度だ。
歴史的に叡山は政治的存在であり、武力ももっていた。
そしてこの頃は「婬乱不法限りなく修学廃怠」といわれていた。
結果、比叡山は信長に敵対する。
さて、先日比叡山へ行った。
比叡山焼討ちで明智光秀が駆け上がった道を実際に歩くことが目的だ。
「実施部隊として、叡山の琵琶湖側(東麓)から山上へ駆けのぼったのは明智光秀の軍で、その経路は、われわれがたどっている道だったといわれる。
私はいま無動寺谷のの法曼院を出て、さらにこの谷の底ちかくにある玉照院にむかおうとしている。
道は、無動寺谷みちというべきか」
本にはこう書いてあるが、観光案内所でもらったパンフレットには無動寺みちとは記載されていない。
目印を突き合わせていくと「もたてやまコース」がそれにあたるようだ。
詳しい地図ではないのでスマホで検索すると、高校の野球場の脇から道が始まるらしい。
半信半疑で野球場に向かう。
確かに野球場と用具倉庫の間にひと1人通れる隙間があり「山頂」と黄色い矢印が書いた看板があった。
だが、その看板は取れかかっていて斜めになっていた。
外野の守備練習についていた高校生から「こんにちは」と大きな声が届く。
あいさつを返し登り始める。
登山道はよく整備されていて迷いそうな箇所には柵があり、急な登り坂にはロープが張ってある。この道を光秀も通ったのか。
軍勢が通るとなるとどれぐらい長くなるのか。
石と枯れ枝が転がる道は当時の装備で怪我はなかったのか。
山道で隊列が伸びきった軍勢に敵が奇襲をかけてきたらどうなるか。
光秀は隊列のどの位置にいたのか。
そんなことを考えながら進んだ。
およそ一時間歩いたあたりで倒木が道を塞いでいる。
そこで道が途切れた。
道を探す。
開けた傾斜地になっていてどれもが道に見える。
ここぞと思った場所を歩く。
だがそこは地面が柔らかく足が埋まってしまうほどだ。
次に目がいったのが岩場だ。
自然の岩場だがとても歩きやすく見えた。
だが表面は苔がびっしりと生えて人が歩いた形跡はまるでない。
度重なる災害で登山道が失われたのだろう。
諦めて下山する。
結局、疲れてしまい根本中堂を拝むのを断念した。
折しも今年NHK大河ドラマで明智光秀を取り上げている。
ドラマでは比叡山焼討ちをどんな風に描くのだろうか。
本書購入時のアームバック。
長岡市の宮脇書店。
ネクタイ、もしくはMマーク?デザインが印象的。