僕が生まれた翌年に妹が生まれた
ということは母親からはもてあまし気味の存在だったわけだ
自然に僕の居所は祖母のそばになっていったようだ
僕は物心ついた頃からおばあさんが大好きだった
今でも覚えてるけどそのころおじいさんやおばあさんはどういう人かわかってなかった
というのは世界にはおじいさんという人種とおばあさんという人種がいるんだと思っていた
親の親ということを教えてくれなかったものだから・・・
人間の死というものの存在を知らなかったし
年老いてゆくという概念を持ってなかった
こんなこと言うなんてバカじゃねーか と思われるかもしれんけど・・
もしかしたらそんな小さな頃の記憶を持ったままでいるんだ といういい方に解釈してくれないかな(笑)
とにかく僕のそばには祖母がいた
母親よりも好きだった とおもう
小学校に入学して最初に座った席が真ん中の前から3列目だった
僕は祖母に報告した
「わぁ 一番いい席だね」って言われた
初めての席替えの時 悲しくてしょうがなかった
あんなにおばあさんに喜んでもらえたのに 替わらなくちゃいけないのが
ものすごく悲しくて 僕は泣いた
「おばあさんに叱られるから替わりたくない」
僕の口から嘘が出た
そのことを通信簿に書かれた
みんなには笑われたけどおばあさんは微笑んで頭を撫でてくれた
祖父が始めた今の仕事
祖母にとっても完全な稼業だった
朝から晩まで働いて早くに腰が曲がってしまってた
中学一年の時2年くらい寝付いていた祖父が他界
その一年半後元気だった祖母は肝硬変となり一ヶ月の入院生活のあとこの世を去った
あんなに可愛がってもらってたのにそんなに何回も見舞には行けなかった
死ぬほどの病気だと感じていなかったのか・・
何も覚えていない
その日 部活を始めた僕は職員室の先生に呼ばれた
「おい、おばあさんが亡くなったそうだから早く帰りなさい」
死んだんだ 死んだんだ・・・・呟きながら
雲の上を歩くみたいにふわふわしながらうちに帰った覚えがある
おじいさんの時は一晩布団をかぶって泣いた
おばあさんの時は数えきれないくらい泣いた
まだそのお礼はしていない
どうやって返したらいいんだろう
ということは母親からはもてあまし気味の存在だったわけだ
自然に僕の居所は祖母のそばになっていったようだ
僕は物心ついた頃からおばあさんが大好きだった
今でも覚えてるけどそのころおじいさんやおばあさんはどういう人かわかってなかった
というのは世界にはおじいさんという人種とおばあさんという人種がいるんだと思っていた
親の親ということを教えてくれなかったものだから・・・
人間の死というものの存在を知らなかったし
年老いてゆくという概念を持ってなかった
こんなこと言うなんてバカじゃねーか と思われるかもしれんけど・・
もしかしたらそんな小さな頃の記憶を持ったままでいるんだ といういい方に解釈してくれないかな(笑)
とにかく僕のそばには祖母がいた
母親よりも好きだった とおもう
小学校に入学して最初に座った席が真ん中の前から3列目だった
僕は祖母に報告した
「わぁ 一番いい席だね」って言われた
初めての席替えの時 悲しくてしょうがなかった
あんなにおばあさんに喜んでもらえたのに 替わらなくちゃいけないのが
ものすごく悲しくて 僕は泣いた
「おばあさんに叱られるから替わりたくない」
僕の口から嘘が出た
そのことを通信簿に書かれた
みんなには笑われたけどおばあさんは微笑んで頭を撫でてくれた
祖父が始めた今の仕事
祖母にとっても完全な稼業だった
朝から晩まで働いて早くに腰が曲がってしまってた
中学一年の時2年くらい寝付いていた祖父が他界
その一年半後元気だった祖母は肝硬変となり一ヶ月の入院生活のあとこの世を去った
あんなに可愛がってもらってたのにそんなに何回も見舞には行けなかった
死ぬほどの病気だと感じていなかったのか・・
何も覚えていない
その日 部活を始めた僕は職員室の先生に呼ばれた
「おい、おばあさんが亡くなったそうだから早く帰りなさい」
死んだんだ 死んだんだ・・・・呟きながら
雲の上を歩くみたいにふわふわしながらうちに帰った覚えがある
おじいさんの時は一晩布団をかぶって泣いた
おばあさんの時は数えきれないくらい泣いた
まだそのお礼はしていない
どうやって返したらいいんだろう
お父さんの「サラリーマンになれ」は絶対本心だから
僕分かるよ
今の僕の気持ちそのままだから
もうこれから職人は冷遇されるのみ
そして一人では受け渡しができなくなってくる
前の仕事があって彫刻があって次の塗装とかの仕事がある
前も後ろも職人がいなくなってる ということは儲からない 生活できなくなってくるということ
お父さんの愛情の言葉に違いありません
知ってるかどうかわからんけど僕の母親は仏壇屋の娘
妹はそこで働いてた漆塗り師と結婚してる
あなたのお父さんの名前聞いたら 知ってるかもしれんね
世間は狭いんじゃない?(笑)
この間 ついきみのひとことのところクリックしちゃった
えらい目にあったわ
(*^_^*)まっかにして帰ってきた
でもよ 応援しとるでな
とは思えん?
跡を継いでくれるって、最高の恩返しだと思います。
実は、私も兄とは年子。
そいでもって、父は愛知で仏壇の彫刻をしております。
おじいちゃんの跡を継いだのです。
でも、兄は父の跡を継ぎませんでした。
何故かって、父が、
「彫刻の仕事は大変すぎるし、儲からん
サラリーマンが一番だ。」
と考えたから仕事に興味を持たせなかったそうです。
でも、本心は継いでくれたら嬉しかったろうに。
私たちは、今を一生懸命に生きましょう
何言ってるんですかぁ
邪魔せんぞ~なんて。。。。
オヤジさんのブログ読みたくて来たのに
西の方って・・・・
何か限定されてるぅ~
なんかよぉ 順番がきた って感じもいや
ハイまた愚痴聞いてください
なあにが浦島太郎だ
どうもオヤジは念願のお爺ちゃんになるそうじゃん
イヤかもしれんけど、出てきたらホンマのお爺ちゃんになってしまうかもね~
よ!浦島太郎
久しぶりやな
ばあちゃん健在かぁ
大事にしたってな
オレもさ ばあちゃんっこだったから
今でもどこのばあちゃん見ても好きっていうか親しみを感じるよ
そうだ元気で幸せになっちょくれ
西の方でも北の方でもいいからよ
もう恩返ししてるってか
確かに子供のころの僕は恵まれてて
音楽の時間だけが苦痛だっただけだ
今じゃ考えられんがな
5年からレギュラー張ってて 全盛期を見せれたし 今考えたら幸せやったわ
んじゃ 孫に返すか
やな言葉
やっぱ、親父さんのブログって温かいですね。
千春も、亡くなったお爺ちゃんにお婆ちゃんには何も恩返し出来てないですよ。
父方のお爺ちゃんには会った事すら無いし。
千春が、思う恩返しって
健康で、元気な姿を天国のお爺ちゃん、お婆ちゃんに見せてあげられてれば良いと思いますよ。
元気な姿、見せてればお爺ちゃんもお婆ちゃんも安心するし!
今は、もう千春にはお婆ちゃんは1人しか居ないけど大事にしてますよ
千春も、お婆ちゃん大好きっ子なんで
そりゃぁさ!うちにもお婆ちゃんが2人、お爺ちゃんが1人いたんだけど、うちも5人兄妹だったからそりゃお母さんも大変だっただろうけど、ま、5人中の下から2番目だけあって好きなように生きさせてもらったから、そこまでの思いもなく、みんな同じ位好きだったうちも、大好きなお婆ちゃんの死はとてつもなく辛かった記憶があるなぁ。。。
って長い前フリでッ
でーー!うちが言いたいのは!
オヤッさんが健康で元気で家業を継いだって事が一番の恩返しなんじゃないのかなぁ~って思うんだウンウン
自分が親になって何が1番嬉しいかって、やっぱり子供が幸せな事だと思うんだぁ
で、その子供だから余計幸せで居てくれたらそれだけで親孝行?お婆ちゃん孝行になるんでないの
オヤっさんはすでにお婆ちゃん孝行してると思うし、きっとこれからもがんばって行くんだろうから、考えすぎないようにね~
た・だ・し
猫ばっかり可愛がってたらお婆ちゃんは焼きもち焼くかもね~