木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

生きる

2021-01-17 01:24:26 | 人生
「オヤジが仕事してる間は手伝う」
職人さんが亡くなって息子が不自由だった仕事場の手伝いをしてくれるようになってもう少しで8年になる。
それは別段望んだわけでもない。
確かに一人の職場は不自由だったがやれないこともない感じで仕事をしてた。
自然に手を貸してくれるようになり、それまで芝居やダンスや催しの手伝いをしながら生活してた息子の半分以上の時間をこちらに割いてくれるようになったわけだ。
だから僕は仕事を教えてない。
ただ太鼓バチの丸い棒の作り方の基本だけ、機械の使い方だけは伝授した。
しかしその機械だけではお客さんの満足のいくものができないとわかり新しい機械の導入
そしてその操作をするようになり、それはもう彼の領域になって僕の出る幕は無くなった。
ただ、それは綺麗で正確な丸棒の製作であり、その先端加工などバチとしての機能を持たせるところまではいってない。
出来ることはできるが速さなどを含めてプロの域には達してないということだ。
ということは勿論鏡餅の製作とか色々ある仏具関係などいわゆるロクロ加工の技術ということに関してはまだ素人同然ということ
それに材料仕入れとか経理とか諸々の作業は全くもって彼の領域には無い。

金曜日の仕事終わり、「もしオヤジが突然死んだり、意識不明になったら仕事はやっていけんだろうな」ということを言う。
今まで僕がやってる間という限定だったのが実は少し発展したのかもしれん
逆にそんなことを思ってしまった。
やめるのは当然、のはずが少し進歩した と僕は感じてしまったわけだ。
自分が死んだらとか再起不能になったらという縁起でもないことの言葉が逆に進歩を感じてしまうとは皮肉なものだ。

昨年からお付き合いをするようになったネット業者さんも一見元気な僕を見る一方でその存在を認めてくれたからこそ
僕にそのままでいて欲しいそしてできればその後を継ぐ、その仕事の後を継げる人物を待ち望んでいるのが見えるわけです。
彼と息子は同年代ですから。
息子はホントは職人肌じゃない。
口先の発達した現代人だと思う。
実は僕もホントは職人肌じゃなかった。
木工所の長男として生まれたからこの仕事をやってきた。
でも後悔は一切しないけどね。
人生とはちょっとの成り行きであっちへもこっちへもコロンコロンと転がる。
66歳になって転がり行き着いたところで今僕は何人かの人に寄り添って生きている。
母、彼女、息子、娘。そしてネコたち。
まだ暫くは死ねない。倒れられない・・・
コメント (6)
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