スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

オランダ旅行その36 プランタン・モレトゥス博物館

2013-05-26 21:42:53 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
印刷は羅針盤、火薬と並んでルネッサンス3大発明に数えられる。活字の原型はこれに先んじて中国で発明されていたが、それを合金で作り変え、現在に近い形にしたのはドイツのグーテンベルク(Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg)とされる。
Wikipedia「ヨハネス・グーテンベルク」
彼が手がけた書物の中で有名なのが「42行聖書」と呼ばれる聖書である。各ページが42行であったのだという。なお博物館ではそれより後期に少しアレンジされた「36行聖書」を発行しており、そのうち3冊が博物館内に現存する。数百年前とは思えない保存状態である。ウィキペディアによると写本に比して安く、かつ早く聖書を購入する(写本の場合注文から1年待たなくてはならなかった)事が可能になった。そして同時にあらゆる文書の印刷、普及速度が一気にスピードアップしたのである。そしてこれこそがバチカンの免罪符販売の際、騒動が発生する下地となったのである。
イタリア旅行その26 サン・ピエトロ大聖堂
Wikipedia「マルチン・ルター」
この博物館はそれよりいささか時代が下った後なので、博物館内部には当時の印刷機(本物は恐れ多いので、写真はレプリカである)、さらに当時本当に使われた活字が残っている。当時の印刷工は1日に約2500ページもの印刷をこなしていたのだという。この博物館内部には世界最古の活字印刷機、合計10トンにも及ぶ活字が残されている。アラビア語の活字、印刷物などもあった。
クリストフ・プランタン(Christophe Plantin)は元々は製本業者であったが、酔った暴漢に襲われて負傷し、力仕事がこなせなくなったのを契機に印刷業に転向したものである。彼本人は全くの平民階級の出身者であったが、当時の商業の中心地アントワープに居を構えた事、印刷が当時最新のテクノロジーであった事、そして何よりも彼本人の勤勉さをもって大成功を収めた。彼の死後は工場は娘婿のヤン・モレトゥスに引き継がれ、継続すること300年に及んだという。名声もあって彼の交友関係も豪華であり、先に紹介した画家のルーベンス、そして地図の「メルカトル図法」で知られるゲラルドゥス・メルカトル(Gerardus Mercator)(この人物もベルギー人だったのである!)とも親交が深く、仕事でも大きく関わりを持っていた。ゆかりの品も博物館内部に多数展示されている。
Wikipedia「クリストフ・プランタン」
Wikipedia「ゲラルドゥス・メルカトル」
観光ガイドに載るような華やかな場所ではないが、当時の人達の「知の結晶」とでもいうべきものを見せられた思いである。皆様ベルギーに行くチャンスがあれば是非一見をお勧めしたい。

コメント
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