美術館のあと、フラフラ歩きつつサン・ピエトロ大聖堂(Basilica di San Pietro in Vaticano)に向かう。道すがら行商人をあちこちで見かけたが(どういう訳か皆版で押した様に同じボールのおもちゃを売っている)、この広場の中には行商人の姿は見えなかった。広い広場である。天気もちょうど晴れてくれて、広場の中心から見上げる青空は美しい。
大聖堂は16世紀の作で、高さ137mと巨大なものである。最初設計を担当したのはドナト・ブラマンテ(Donato Bramante)であるが、彼の死、戦争、設計主任交代(うち一人はラファエロ)を繰り返して計画は迷走を続ける。最終的に72歳のミケランジェロが登場し、彼の主導で建築は完成に至る訳であるが、この辺のドタバタ具合はウィキペディアを参照されたし。
Wikipedia「サン・ピエトロ大聖堂」
見事完成した現在、美しくかつ巨大な建物となった訳だが、この建物は同時に世界史に残る大事件を引き起こしている。免罪符発行と宗教改革である。
この、途方もない大建築を建てるために資金が足りなくなった教皇レオ10世は、免罪符を大規模に発行して資金を賄おうとするのである。これを買えば罪が許される、という訳である。神聖ローマ帝国(現ドイツ)では特に政治的思惑もあって大々的に販売が行われた。ヴィッテンベルグ(Wittenberg)で司祭をしていたマルティン・ルターがこれに疑問を感じ、やがて彼は現状に対する疑問点を列挙した紙を教会の門に貼り付けるという挙に出るのである。これがのちにドイツ全土を巻き込む大戦争をもたらすとは、この時彼本人も知る由もなかった。
大聖堂は16世紀の作で、高さ137mと巨大なものである。最初設計を担当したのはドナト・ブラマンテ(Donato Bramante)であるが、彼の死、戦争、設計主任交代(うち一人はラファエロ)を繰り返して計画は迷走を続ける。最終的に72歳のミケランジェロが登場し、彼の主導で建築は完成に至る訳であるが、この辺のドタバタ具合はウィキペディアを参照されたし。
Wikipedia「サン・ピエトロ大聖堂」
見事完成した現在、美しくかつ巨大な建物となった訳だが、この建物は同時に世界史に残る大事件を引き起こしている。免罪符発行と宗教改革である。
この、途方もない大建築を建てるために資金が足りなくなった教皇レオ10世は、免罪符を大規模に発行して資金を賄おうとするのである。これを買えば罪が許される、という訳である。神聖ローマ帝国(現ドイツ)では特に政治的思惑もあって大々的に販売が行われた。ヴィッテンベルグ(Wittenberg)で司祭をしていたマルティン・ルターがこれに疑問を感じ、やがて彼は現状に対する疑問点を列挙した紙を教会の門に貼り付けるという挙に出るのである。これがのちにドイツ全土を巻き込む大戦争をもたらすとは、この時彼本人も知る由もなかった。