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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

江戸川橋周辺その4

2016-05-30 00:28:32 | 日本国内旅行(東京・江戸川橋2016)
この文京区音羽に鳩山一郎は私邸を構えていたのである。地名から「音羽御殿」と称された。もちろん田中角栄が構えた「目白御殿」との対比である。総理大臣在任中、一郎は体調が万全ではなかったこともあり(就任前に脳梗塞を患っていた)、しばしばこの私邸が政治の舞台となった。現在は「鳩山会館」と称され、一般に公開されている。

政治家を評するのはあまり好きではないのだが(読者の方々も立場によって感じ方が全然違うであろうから)、鳩山一郎について簡単に。皆様も彼が某元総理大臣の祖父であることはご存じと思うが、この一郎の父もまた政治家である。東京府議会議員を務めていたのだ。一郎氏は市会議員を経て大正時代に衆議院議員となり、戦前の政界で活躍した。戦争中は軽井沢で隠遁生活を送っていたが、戦後復活、現在の自由民主党の形を作りあげたのは彼と緒方竹虎の力が大きい。
しかしながら戦後GHQから問題視されたのが「統帥権干犯問題」である。これは戦前の歴史を知る方であればご存じかも知れぬ。ロンドン軍縮条約で、日本海軍が軍艦を持てる数について、政府が列強との比率を決めて帰ってきたのが話の始まりである。これに軍が反発、天皇の最終的裁可(明治憲法では軍に関する事項の最終決定者は天皇であった)なしに勝手に条約に批准するとは何事か、と抗議をはじめ、最終的には時の首相浜口雄幸が東京駅で狙撃される騒ぎにまでなった。これ以降内閣は軍へのコントロールを失っていくこととなり、戦争を回避できなくなる重大な要因となった。
この時に鳩山一郎は野党として政府を攻撃する側に回っていたのである。結果的には政党政治が衰退する要因を自分で作ってしまったことになる。戦後この点をGHQにつかれ、公職追放となってしまった。
Wikipedia「ロンドン海軍軍縮会議」
最終的に追放が解けて総理大臣となったのは1954年の事であった。在任中はソ連との国交回復などが業績である。

鳩山会館について。門を入るとしばらく上り坂が続く。屋敷は坂を上り切ったところにある。


江戸川橋周辺その3

2016-05-29 23:57:32 | 日本国内旅行(東京・江戸川橋2016)
この近辺は「東京都文京区音羽」と称される。どうも江戸時代に大奥に仕えた奥女中の名前に由来するらしい。
Wikipedia「音羽」
都心部であるが、周囲には小さな飲食店やオフィスが立ち並び、静かな空間が広がる。車の通りも思ったほど多くはない。表通りから一歩奥を覗くと、急に狭い路地が現れ、そこに小さな神社があって丁寧に掃除する老人がいたりする。きっと開発が進む前は日本のどこにもあるような光景が広がっていたのであろう。

音羽について。このあたりは出版社や印刷業の多いところで、講談社や光文社、キングレコードの本社などがあるところである。また進学校として全国でもトップクラスの成績を誇る筑波大学附属中学校・高等学校もここからそう遠くない場所(住所は文京区大塚)にある。そして同中学・高校のOBで、かつてこの場所に豪邸を構えていた政治家がいた。かつて内閣総理大臣も務めた鳩山一郎である。
Wikipedia「講談社」
Wikipedia「鳩山一郎」

江戸川橋周辺その2

2016-05-29 20:34:07 | 日本国内旅行(東京・江戸川橋2016)
この地下鉄からすぐ進むと橋がある。この橋が名前の通り「江戸川橋」で、近くには江戸川公園がある。しかし下を流れる川の名前は「神田川」である。こちら、昔同じ川でありながら名称が異なったことに由来する。かつては神田川でありながらもこの近辺は江戸川と呼ばれていたので、東京都東部の江戸川とは別物である。上写真が橋から見た神田川である。
Wikipedia「神田川(東京都)」

江戸川公園には石碑が立っているが、こちらも古くて風情を感じさせる。横目に見ながら道路を直進する。


江戸川橋周辺その1

2016-05-29 19:58:40 | 日本国内旅行(東京・江戸川橋2016)
慌ただしく日々は過ぎる。たまには非日常というか、どこか出かけることは出来ないか?
ただ昨年に比べても今年は格段に忙しいしストレスフルな日々である。なかなかあまり遠出するのは難しそうだ。たまたまちょっと空いた日に出かけてみた。行き先は地下鉄の江戸川橋駅。地上に出ると高速道路の下である。
Wikipedia「江戸川橋駅」