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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

横須賀その8

2014-09-08 23:40:36 | 日本国内旅行(横須賀2014)
軍港巡りから降り、そこからしばらくてくてく歩く。次に目指すのはどぶ板通りである。
Wikipedia「どぶ板通り」
今は写真の通り、綺麗に舗装された小綺麗な商店街であるが、かつては道の中央にドブがあって、それを海軍施設から手に入れた鉄板で覆っていたのだと言う。恐らくはもっと猥雑な雰囲気の空間であったのだろう。周囲の商店を見ると、日本語と英語を並記した表示が並ぶ。何と言ってもこの商店街からすぐ近くは米軍横須賀基地の出入り口なのである。夜になると米海軍の軍人が商店街にやってくるのではなかろうか。半分日本で半分アメリカとでもいう場所なのだろう。こちら「スカジャン」なる名物もあるのだそうで、興味のある方はどうぞ。
Wikipedia「スカジャン」
この商店街のすぐ近くには御地蔵さんもあった。延命地蔵尊という。このアメリカナイズな地区に純和風な空間である。手を合わせてきた。


横須賀その7

2014-09-08 23:04:58 | 日本国内旅行(横須賀2014)
一回外洋に出た観光船は再び港に向かう。船越地区といい、横須賀の本港の隣の港に入って行く。こちらにも停泊中の艦船が多い。上と下一番左写真は補給艦「ときわ」。
Wikipedia「ときわ(補給艦)」
もちろん周囲は自衛隊の船ばかりだが、自衛隊施設の他に民間の施設もある。下左から2・3枚目は日産自動車の追浜工場である。工場の前をよーく見ると、自動車がびっしり並んでいるのがおわかり頂けるのではないだろうか。あとは残りの写真を順番に。

左から4・5枚目:廃艦になった潜水艦。解体を待つばかりの状況である。海鳥が羽を休めている。
6枚目:掃海艇。金属に反応する機雷に対処するため、木造である。木造軍艦としては世界でも最大級なのだそうな。
7枚目:新井掘割水路。明治時代に掘り進められた水路で、船越地区と横須賀本港を結んでいる。
8枚目:水路を通る時、山の上を飛んでいた野鳥。
9枚目:横浜DeNAベイスターズの一軍の本拠地は横浜・関内駅の近くの横浜スタジアムであるが、2軍の本拠地球場はどこだか御存じであろうか?この軍港のすぐ隣なのである。かつて親会社が大洋漁業であったことから、その倉庫の跡地を本拠地球場としたのだ。観光船からもスコアボードなどが見えた。
Wikipedia「横浜DeNAベイスターズ総合練習場」
10枚目:水路を抜けて横須賀本港に戻ったところ。正面にダイエーが見える。

45分間ながら非常に面白かった。ちなみにアメリカ本土でもサンディエゴ(San Diego)には似たような軍港ツアーの船があるらしい(検索されたし)。本ツアーもガイドさんが分かりやすく話してくれるので、軍事に興味ない方でも単純に楽しめると思う。お勧めである。


横須賀その6

2014-09-07 23:31:40 | 日本国内旅行(横須賀2014)
軍港の奥から外洋に向けて船は進んで行くのだが、そこで奥に見えて来るのが米軍の空母である。上写真の「ジョージ・ワシントン」である。
Wikipedia「ジョージ・ワシントン(空母)」
巨大な空母であるが、軍事機密の部分も多い様で、陸側から全体が見える位置には決して繋留される事はないのだという。とは言っても横須賀出身の人に言わせると「その昔は小学生が空母内部に見学に招待されてたりしたんだよ」との事である。乗組員は3000人以上、艦の内部には各種の娯楽施設に加え、銀行のATMまで入っているのだそうで、長期の航海でも問題ない様になっている。そして現在米海軍が保有する空母の中で、アメリカ以外の国を母港とするのは「ジョージ・ワシントン」ただ1隻なのである。安全保障上、アメリカにとってもこの横須賀は大事な場所なのであろう。
観光船は港を抜けて、遂に外洋にでる。急に風が強くなってくる。外洋から遠くを見渡すと、遥か房総半島が見える。7㎞とは言ってもそれなりに遠く感じる。強い風にあおられて船から波のしぶきが飛び、そこに虹がかかっている(下一番右)。


横須賀その5

2014-09-07 22:06:13 | 日本国内旅行(横須賀2014)
観光船には予想外の人だかりである。出発前には長蛇の列であった。意外と?女性の姿も目立った。年配の男性の姿も多い。元自衛官の方などであろうか。
船が出発する。出発してから左側が横須賀駅側、右は半島側となる。実はこの半島がまるまる米軍基地となっていて、内部には2万人近い米軍関係者が暮らしているのだと言う。確かに街を歩いていても米人らしき人の姿をよく見かけた。
横須賀駅側に日本の海上自衛隊の船舶が停泊している。上写真は護衛艦「きりしま」。他の船も、番号を辿れば多分分かるものと思います。皆様ご検索あれ。
Wikipedia「きりしま(護衛艦)」


横須賀その4

2014-09-07 20:01:37 | 日本国内旅行(横須賀2014)
公園に沿っててくてく歩いていると、軍艦の姿が次々に現れる。後で知ったが上写真は米海軍のイージス駆逐艦「ジョン・S・マケイン」である。
Wikipedia「ジョン・S・マケイン」
入り江の一番奥にあるのがダイエー(ショッパーズプラザ横須賀)で、見るとその前に1隻の船が進んでいく。どうも観光船らしい。行ってみると「軍港めぐり」なる観光船で、しかもちょうどあと10分くらいで出港する事も分かった。45分程度で一周してくれるらしい。ものは試し。乗ってみることとした。


横須賀その3

2014-09-01 00:03:18 | 日本国内旅行(横須賀2014)
この海が見える海岸一帯は公園になっている。ヴェルニー公園という。
Wikipedia「ヴェルニー公園」
横須賀製鉄所を幕府が作った時に招へいしたフランス人技術者、レオンス・ヴェルニー(Francois Leonce Verny)を記念した公園である。
Wikipedia「レオンス・ヴェルニー」
幕末から明治にかけては日本が西欧列強に追いつくべく、多くの外国人が政府に招へいされた。いわゆる「お雇い外国人」である。有名どころでは医学者として来日、蒙古斑の発見や草津温泉の紹介で知られるベルツ(Erwin von Bälz)、鹿鳴館や岩崎久弥邸(現存する)を設計したコンドル(Josiah Conder)などであるが、ヴェルニーもその一人である。
Wikipedia「エルヴィン・フォン・ベルツ」
Wikipedia「ジョサイア・コンドル」
彼に依頼されたのは製鉄所・造船所の作成で、彼が持ち込んだ19世紀のスチームハンマーもここに残されている。江戸時代にフランスから来日して事業を成し遂げるのは容易では無かったであろう。現在も日本企業が開発途上国などで工場を開くと文化の違い、特に「現地には時間にルーズな人が多い」と現場の人が嘆く、という事例が多いようであるが、この資料館によるとフランス人技術者達も当時の日本人の時間に対するルーズさに辟易したとあり、あまり日本人も人の事を言えた義理ではない。なお彼が関わったため、日本の造船業は最初からメートル法を採用する事になった。
公園には小さな資料館(上写真)、あとバラ園がある。バラ園の中にヴェルニーの像と、彼を招へいした幕末の重臣、小栗忠順の胸像が並んで立っている。
Wikipedia「小栗忠順」


横須賀その2

2014-08-31 21:56:51 | 日本国内旅行(横須賀2014)
横須賀と言われると皆様最初のイメージは何だろうか?巷で売りだされているのは「海軍カレー」であろうか。そう、古くから海軍の街である事は有名である。電車でも横須賀駅に近づくと、あちこちに軍艦の姿が見えてくる。
Wikipedia「横須賀市」
古くからここは戦略的に要衝であった。地理的に東京湾を扼する位置にある事が最大の理由である。何と言っても、横須賀と対岸の房総半島との間は7km程度しか離れていないのだ。江戸時代にはすでに浦賀に奉行所がおかれ、幕末のペリー来航の舞台となっている(来航が浦賀、上陸地点は久里浜でどちらも現在の横須賀市内である)。幕末には横須賀製鉄所が作られ、後にこれが海軍の造船所に発達する。戦前には横須賀海軍工廠は日本の代表的な海軍工廠の一つとなり、特に日本の航空母艦の多く、例えば「飛龍」、「翔鶴」、「信濃」など--ちょっとマニアックであろうか--、を建造することとなった。
戦後は米軍の第7艦隊の本拠地となると共に、海上自衛隊の基地がおかれている。先の横須賀海軍カレーなるものも、艦内で栄養バランスの取れた食事を取らせるため、毎週金曜に具を沢山入れたカレーを作っていた(現在の海上自衛隊でもそうらしい)事に由来している。駅から降りると、すぐに海が広がりそこに軍艦が何隻も見えてくる。晴れた日だったせいか、海の色がとびぬけて青い。


横須賀その1

2014-08-30 20:16:14 | 日本国内旅行(横須賀2014)
時々「何だかよく分からないけど行ってしまった旅」というのがある。事前に計画した訳でもなく、思いついた時にそのままつい行ってしまったという訳である。今年の夏にも一か所訪れる事になった。横須賀である。
元々は職場に横須賀出身の方がいる事に端を発する。その方が日ごろから時間があるたびに、あれやこれやと自分に横須賀について講義をしてくれていたのだ。そしてたまたま時間が空いたところで、横須賀にフラっと行く気になったのである。
もともと横須賀線で鎌倉駅より先に乗るのも人生初体験である。鎌倉駅で沢山いた乗客もだいぶ降りていく。進むにつれて地形が山がちになる。途中の田浦駅では狭い山あいにホームがあるので、先頭車両がホームからはみ出してしまいドアが開かなくなる。横須賀駅到着は昼過ぎ。駅のホームから海と反対側を見ると、すぐに山が迫っている。