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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

御徒町その5

2018-06-03 14:26:33 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
駅に戻る。駅前を線路と直交する通りが「春日通り」である。これを西に向かって歩く。両脇にはラーメン屋、料理屋、カレー屋などなどが並び立つ。ちなみにこの通り沿いにあるインド・パキスタン料理「デリー」は有名店らしいが、今回は時間がなく入れずに終わっている(昼過ぎでもかなりの客の入りであった)。
やがて地名は「湯島」となる。徳川綱吉肝入りで建設された「湯島聖堂」などで知られる。大通りから外れ、細い道を入っていくと左手に大きな森があらわれる。
Wikipedia「湯島」


御徒町その4

2018-06-03 13:56:18 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
さて街の解説はこの辺にして。まずは腹ごなしである。御徒町駅から秋葉原方面に少し歩くと、ガード下に「ラーメン横丁」と称してラーメン屋さんが集まっている。「蒙古タンメン中本」「なんつっ亭」など名店ぞろいだが、ここは少し渋めの「チラナイサクラ」に入ってみた。ハマグリなどの魚介類の旨味が詰まった出汁のスープで、疲れている時には良い。皆さまにもお勧めである。店員は全員浴衣を着た女性であった。
Wikipedia「蒙古タンメン中本」
Wikipedia「なんつッ亭」


御徒町その3

2018-06-03 13:16:16 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
駅から降りて。すぐ脇を見ると有名なアメ横通りがある。昼間から人通りが多くにぎわっている。中でも外国人観光客の姿が目立つ。「ドラゴンボール」の「フリーザ」が大きく書かれたTシャツを着ている男性がおり、思わず見入ってしまったら隣の人との会話は中国語であった。
アメ横について。「アメ」の由来は「飴」と「アメリカ」の二つの説があるそうである。戦後に一面の焼け野原になってしまったこの地で、闇市が何時ともなく始まった。甘味不足の時代に芋飴を売りさばく人が多く、ここからアメ屋横丁と呼ばれ始めたのが一説、米軍の横流し品を売りさばいていたからというのがもう一説である。終戦直後は業者が官憲とトラブルを繰り返した地も、今では東京屈指の観光地となり、当のアメリカから観光客が見にくるのだから皮肉なものである。
Wikipedia「アメヤ横丁」

御徒町その2

2018-06-03 12:33:00 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
御徒町はご承知の通り「おかちまち」と読む。現在でも徒歩を「かち」と読むことがあるが、御徒町も由来は同じ。大名行列のとき、馬に乗らずに徒歩で列の先頭を歩く下級武士たち(徒士という)のことである。江戸時代に徒士たちがこの近辺に多く住んでいたことから名付けられた。ただ1960年代に街としての名称は消滅してしまったので、現在は住所として「御徒町」という町名は残っていない。
しかし江戸末期になると御多分にもれず下級武士たちの生活は困窮を極めることになった。糊口をしのぐために彼らが力を入れたのが内職で、特に有名なのが朝顔の栽培である。現在でも台東区には「入谷朝顔まつり」という江戸時代から続く有名な朝顔市があるが、こちらは元々は御徒町在住の下級武士たちが育てたものを売っていたのが起源だとか。
Wikipedia「徒士」
Wikipedia「入谷朝顔まつり」