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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

ドイツ旅行その6 ミュンヘン動物園

2012-10-22 23:25:44 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
さて、駅から下りて動物園に向かう。ガイドブックにも載っていないので、最初はどっちに行くのだろう?と軽く不安であったのだが、あまりその心配は無用であった。小学生の課外授業か何からしき集団がわらわらと皆同じ方向に歩いて行くのである。くっついて歩いて行くと10分程度で付いた。途中川を渡り、何やらアドベンチャーランドにでも向かう雰囲気である。
さて、ミュンヘン動物園である。どうも余り観光名所っぽくはないが、訪れるに値する場所である事は確かである。開園は1911年。上野動物園(1882年)にこそ及ばないが歴史のある動物園である。
Wikipedia「Hellabrunn Zoo」
付いて見ると入場券売り場は既に長蛇の列である。どうでもいいが気付いた事が一つ。ドイツ人、クレジットカード払いの人が少ないのである。スウェーデンはその辺の煙草屋さんでも悉く皆クレジットカード払いを徹底しているので、並んでいる人が皆現金払いをしているのを見ると妙な違和感を感じた。隣の国なのに。。。


ドイツ旅行その5 ミュンヘン地下鉄

2012-10-21 23:05:08 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
さて、今回は旧市街の観光では無く、最初に別の場所に向かう事にした。この為に乗ったのが地下鉄である。地下鉄について少し。
地下鉄の本数は多い。中心街であれば10分も待てば大体の地下鉄には乗れる。駅は大体バリアフリーであるが、ウィーンに比べると若干構内は分かりづらいかもしれない。上写真は少し古目の車両であるが、もっと新しい型の車両も走っている。ただ駅の構内に何とも言えない機械油の様な臭いがずっと漂っていて、これの原因が何なのかは今でも謎である。
運賃はゾーン内なら大体2.5ユーロ。今回の行き先は動物園で、Tierpark駅に向かう。到着すると、下右から2枚の様に動物の絵が構内のあちこちに描いてある。


ドイツ旅行その4

2012-10-21 22:18:59 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
旧市街を歩いて行くと、特に人通りが増えて来る。観光の中心地なのである。左手にタマネギ型の屋根を持つ塔を持つ建物が見える。フラウエン教会(Munich Frauenkirche)である。15世紀建設の教会でタマネギ型の屋根は本来は仮の屋根の筈だったのだが、好評だったためにそのまま残したという。
フラウエン教会
Wikipedia「Munich Frauenkirche」
ミュンヘンの続き。近現代に入り、ミュンヘンは多くの歴史事件の舞台となる。ヒトラーのミュンヘン一揆、第二次大戦直前のミュンヘン会談などの事件を御存じの方も多いであろう。第二次世界大戦では連合軍の爆撃の対象となり、合計71回に達する爆撃を受けて甚大な被害を受けた。またミュンヘン近郊のダッハウ(Dachau)にはナチスの強制収容所が建設され、悲劇の舞台となった。
戦後に市街は再建され、新しく発展を遂げる。特筆すべきは移民政策である。何と2007年現在ミュンヘンの全人口の約4分の1、30万人がドイツ国籍を有していないと言うのである。これは観光地だけ回っていると分からないが、中央駅周辺の路地に行くと実感できる。明らかに移民と思われる外見の人が多いし、周辺にも中華料理、あるいは中東やインド系の料理を饗するレストランが目に付くのである。元々ドイツは戦後のヨーロッパの中でも移民政策を積極的に薦めて来た国であり、ウィキペディアによると全ドイツ居住者のうち8.8%はドイツ市民権を有しておらず、その内訳はトルコ人が2.1%、イタリア人が0.6%、ポーランド人が0.5%との由。またドイツ市民権を持っている人も19%は移民のバックグラウンドを持っているそうである。ミュンヘンはどうも移民については「モデルケース」とされている様で、比較的移民政策が上手く進んでいる、という事になっている。
Wikipedia「ミュンヘン」
Wikipedia「Immigration to Germany」
ただこちらもスウェーデン同様、移民については素晴らしい事ばかりではない様である。これはドイツ人の同僚に聞いてもいささか口を濁す事が多い。色々と問題は尽きない様である。やはり考え方の異なる人と共に暮らすと言うのは楽では無い様である。
移民街のこと
この日は快晴になってくれ、散策が気持ち良かった。上は旧市街、下はフラウエン教会である。


ドイツ旅行その3

2012-10-20 18:57:04 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
ミュンヘン中央駅から下り、歩いて旧市街へと向かう。人通りも多く、賑やかな町である。ミュンヘンは周辺人口を合わせると人口140万人に達し、人口だけ見ればストックホルムと肩を並べる町である。
ミュンヘンの歴史について少し。ドイツ、バイエルン州(Bayern)の州都である。何でもベネディクト会が建てた修道院が町の始まりなのだそうで、修道僧が今でも町のモチーフになっている。下右に旧市街の門に見える修道僧のマークを示す。ドイツ第三の都市であり、ビールの祭典オクトーバーフェストなどでも世界的に有名である。
バイエルン州はカトリックと言う事もあり、ドイツ内部でも独特の文化を持つ地域である。いつぞや飛行機でミュンヘン出身というドイツ人と出会った事があったが、彼に「そう言えばミュンヘンってバイエルンでしたっけ?」と聞くと、「待ってました」とばかりに上機嫌になった。何やら歌をうなり始めたのである。あっけに取られて「どういう意味の歌ですか、それ?」と聞き返すと、「we are ourselves(我々は我々自身だ)」という意味なのだという。バイエルン地域では有名な歌なのだそうで、それだけ独立性の高い意識を持っているのであろう。言葉もそうで、ドイツ語の中でもバイエルン方言というのはかなり強烈な訛りの様である。ドイツ人の同僚(他地域出身)も「ちょっと聞けばすぐわかる」と言う。
我々は「ドイツ」と聞くと現在のドイツの国土をすぐ思い返してしまうが、実際はドイツが現在の形になったのは比較的最近である。世界史を学んだ方であれば、「普墺戦争」を覚えておられる方も多いと思う。プロイセンとオーストリアの戦争である。現在の感覚で言えば、あのドイツとあのオーストリアが戦争したのか、それならドイツが勝利するよなあ。。と思ってしまうがさにあらず。当時のドイツの地図は以下の通りである。
Wikipedia「Deutscher Bund」
しかもこのうち、バイエルン王国とザクセン王国(ドレスデンを首都とした王国)はオーストリア側に付いて参戦したのである。当初圧倒的にオーストリア有利と予想されたのもうなずける。もちろん戦争はプロイセンの勝利に終わり、ドイツはプロイセン中心で統一へと向かう。しかしバイエルン王国そのものは20世紀になっても存続しており、最終的に王国が消滅したのは1918年であった。まだ王国消滅から100年経っていないのである。
なお、英語表記ではバイエルンはババリア(Bavaria)とも表記される。余談であるがお菓子の「ババロア」は元々バイエルンの貴族のために考案されたため、その名があると言われている。


ドイツ旅行その2

2012-10-20 17:41:24 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
ミュンヘン空港は割と規模の小さい空港であるが、アーランダ空港と比べると建物の中は明るくて広い印象である。驚いたのは無料のコーヒーメーカーが置いてあったことで、コーヒー飲み放題である。経済の好調な国は違う。
空港を出ると。郊外電車(S-バーンという)で市内に向かう。中央駅まで1人10ユーロ也。郊外電車への入り口は意外と分かりにくい。地下に行かなくてはならないのであるが、この入口を見つけるのに結構苦労した。上写真がS-バーンの車両、下左写真が空港内のコーヒーメーカー、右が空港の建物を出たところである。


ドイツ旅行その1

2012-10-19 22:22:55 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
さて、陰鬱な季節になってしまったので旅行記を書いて見ようと思う。少し前にドイツを訪れたのである。行き先はミュンヘン(Munich)である。何と言ってもドイツとスウェーデンは海を挟んで隣同士である。ドイツ人の同僚も「金曜夕方に実家に戻って日曜夕方に帰ってくる」とかいう事を当然の様にやっている人もいる(その後に「私のちょっとした訪問のためにCO2を作り出してしまう事に罪悪感を感じてしまうわ」と続くところがドイツ人らしいのだが)。スウェーデンからなら、かなり手軽に訪れられる観光地であると思う。
飛行機は高度を落とし、ミュンヘン空港に向かう。一面に畑が広がる。スウェーデンよりは多少日差しは強そうだ。