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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

ドイツ旅行その45 ノイシュバンシュタイン城

2012-11-19 23:25:51 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
マリエン橋から引き返しノイシュバンシュタイン城に向かう、行く途中でホーエンシュヴァンガウ城が見える。こちらの景色もなかなか良い。
ノイシュバンシュタイン城へいよいよ入る。城内のアップダウンが激しいので注意である。日本語のオーディオガイドを持ち城内に入る。城内は美しいが、しかしその絵を見ていると何とも言えない気分になる。悉く騎士道物語の絵ばかりなのだ。それも理想の女性との悲恋の物語のオンパレードである。その女性もまた苦難に耐え忍んで愛する人との再会を待つ系の。。。想像するに、ルードヴィヒ2世は現実主義者の奥さんと結婚でもしていたら、もっとまともな人生を歩めたのではないかと思う。
城内には最新技術をちりばめてある。こんな山の上でもトイレは水洗、部屋を繋ぐ電話も備え付けてあり、19世紀なのにセントラルヒーティングシステムもある。凝りに凝った人工の洞窟などもある。元々ルードヴィヒ2世はワーグナーのオペラの大ファンであり、彼のオペラのセットを模したものが多いのだ。
君主がこの状況で国が危機にあれば、誰しもが不安を感じるのは自然の成り行きである。建設予定費は当初60万マルクだったのがいざ開始して見たら370万マルクに達したという。やがて王は精神異常という事にされて廃位され、湖で謎の水死を遂げる。精神異常の真偽についてはもはや知るすべもない。というのは主治医も一緒に何故か水死していたからだ。死後に建設も中止と相成り、やがて観光名所に転じて現在に至るのである。
階段が続く迷路を通り抜け出口に出る。見る価値があるのは確かである。下右はホーエンシュヴァンガウ城。



ドイツ旅行その43 マリエン橋

2012-11-18 21:10:56 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
バスで上に到着である。ここから歩きであるが、ここからが結構アップダウンがきつい。坂道を登って降りてで中々大変である。ここからの眺めもそれなりに良いのであるが。。。
坂道をちょっと城とは違った方向に曲がる。マリエン橋(Marienbrücke)である。ここからの城の写真が良く広告などに使われるのだ。上写真の通り、橋は狭い上にごった返している。
Wikipedia「マリエン橋」


ドイツ旅行その42 ノイシュバンシュタイン城

2012-11-18 20:20:27 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
ノイシュバンシュタイン城の入場であるが流石有名観光地、かなりの大混雑である。チケット売り場の行列の長い事長い事。普通に待てば何時間単位での待ち時間が必要ではないかと思う。こればかりはバスツアーに参加して良かったと思う。ガイドさんが先に行ってチケットを買っておいてくれるからだ。帰りの時間を指定されて、後はバスに乗って上の城を目指す事になる。下右にバスの写真を示す。このバスに乗るのも大行列であった。
しかし山の上である。お世辞にも交通の便の良い場所とは言えない。しかもこれを設計したのは軍事の専門家などではなく、舞台芸術の専門家であったと言うのだから呆れる。国が戦争に負けた直後に城を作っているのに軍事的には何も意味がない城なのだ。ちなみにほぼ同時代のアメリカ南北戦争では既に鋼鉄装甲の戦闘艦が海上で砲撃戦を繰り広げていた時代である。
下左2枚はホーエンシュヴァンガウ(Hohenschwangau)城で、ルードヴィヒ2世が少年時代を過ごした城である。こちらも中世風の城で、何やらこの近辺が遥か中世の世界に迷い込んだ様である。


ドイツ旅行その41 ノイシュバンシュタイン城

2012-11-18 17:45:34 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
バスでしばらく走ると、いよいよ山の斜面に城らしきものが見えてくる。ただこの時は改装中らしく、周囲に足場が組まれて全貌が見えなかったのは残念である。
さてさてノイシュバンシュタイン城である。
Wikipedia「ノイシュバンシュタイン城」
これだけ山奥にこれだけの規模の城を作ったのが大事業であった事は論をまたない。築城に当たっては当時の最新技術が投入され、築城費用は大幅に予定を上回っていった。繰り返すが、この段階でバイエルン王国は普墺戦争に敗北を喫し、プロイセン王国に賠償金を払わなくてはならない状況であったのだ。この段階でやるべき事がこう言う城を作る事だったかどうか、誰が考えても答は明らかであろう。


ドイツ旅行その40 オーバーアマガウ

2012-11-18 07:03:38 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
リンダーホーフ城を通り過ぎたあと、バスがトイレ休憩を取ったのがこちら、オーバーアマガウ(Oberammergau)の村である。アルプスの山中にある美しい村であるが、この日は天気が今一つで、アルプスの景色を担当とはちょっと行かなかった。
Wikipedia「Oberammergau」
ウィキペディアにもある通り、この村が本当に有名なのはキリストの受難劇が開催されるからなのだそうで、この劇は17世紀から連綿と続く由緒正しいものなのだそうである。ちなみに開催は10年に一度で、当然ながらこの日が受難劇の日などではなく、ただ静かな村があるばかりである。建物の壁には綺麗な壁画が描かれ、花が生けられていた。
またこれもウィキペディアにある通り、軍事面でもこの村は有名な様だ。戦時中にはメッサーシュミット社のジェットエンジン開発工場が設置されたりもしたそうで、現在はNATOの軍事教練学校があるそうである。もちろんこの村からは離れた位置にある様で、観光バスからはそれらしき景色が見えたりはしない。
トイレ休憩を含めてそれ程時間はなかった様に思う。またバスに乗り、いよいよノイシュバンシュタイン城である。



ドイツ旅行その39 リンダーホーフ城

2012-11-15 23:16:44 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
この城は唯一の完成した城であると同時に、ルードヴィヒ2世が最も好んで滞在した城でもある。しかし王の生活は「引きこもり」生活と読んで差し支えない状況であった様であり、人に会わずに食事出来る様に、食事を上の階まで自動で運ぶエレベーターまで備え付けたというのだから念がいっている。後年のルードヴィヒ2世は昼夜が逆転した生活を送っていたそうで、この山奥の中、豪華絢爛な部屋の中に身長190㎝近い巨体の王がたった一人で昼夜逆転の生活を送り続けている状態を想像すると、ちょっとグロテスクである。
宮殿内部は撮影禁止である。上写真の様に庭園の反対側に出ると宮殿の全貌が見えるので綺麗である。ちょっと写真を並べて見た。



ドイツ旅行その38 リンダーホーフ城

2012-11-14 23:14:57 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
ルードヴィヒ2世は合計3つの城の建造を試みたが、リンダーホーフ城だけが生前に完成した。山奥の谷間にひっそりとたたずむ城である。
Wikipedia「リンダーホーフ城」
城の建設にあたっては実際に王自身もヴェルサイユ宮殿を訪れたのだそうで、あちこちにフランス風のテイストが見られる。入口の天井にはブルボン家のモットーがラテン語で刻まれていたりするのである。周囲を山に囲まれた場所であり、何処となく隠れ家的な雰囲気の漂う場所である。小さな館であるが、近づくと彫刻は随分と凝っており、手が込んでいる事が良く分かる。


ドイツ旅行その37 ノイシュバンシュタイン城へ

2012-11-13 22:49:41 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
伝承によるとルートヴィヒ2世は若いころはそれなりに英明であったとも言う。しかしながら前述の通り普墺戦争でバイエルン王国はオーストリア側について敗北を喫してしまう。その後も政治は彼の理想通りにならなかった様で、彼は次第に現実世界に興味を失って行ってしまう。宮殿の部屋の中に「引きこもり」の様な状況になる。そして頭に好んで思い描いたのが騎士道物語であり、後にノイシュバンシュタイン城は騎士道物語、それも愛する理想の女性を守るため騎士道精神を貫いた麗しき騎士の物語の絵で溢れかえる事になる。実際の彼は女性を寄せ付けることなく生涯独身を通すのだが。。。。また実際の政治が思い通りにならないのの反映か、彼が心の底から心酔していたのがフランスのルイ14世で、宮殿や家具調度品でもルイを意識したものが多い。最も現実のルイは王の偉大さを人々に見せつけるために宮殿を豪華にしたのであって(宮殿には一般人を大量に招き入れていた)山奥の宮殿に一人引きこもって空想の世界に浸っているルートヴィヒ2世を見たら、一体何と言った事であろうか。
フランス旅行その27 ヴェルサイユ宮殿
バスは最初の目的地に到着する。リンダーホーフ城(Schloss Linderhof)である。

ドイツ旅行その36 ノイシュバンシュタイン城へ

2012-11-12 23:53:06 | 旅行(ドイツ・ミュンヘン2012)
駅からバスは出発して、高速道路を経てどんどん走って行く。平野部は次第に遠ざかり、山々が視界に現れる。それもなかなかの標高の山である。家はまばらになり、麓には畑があったり、家畜が離し飼いになっていたりする。
さて、ノイシュバンシュタイン城である。こちら、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルになっている事はご存知の方も多いであろう。おとぎ話の様な幻想的な城である。それではこの城が作られたのは一体いつか、御存じであろうか?こちら、建設開始は1869年なのである。そう、日本の明治維新とほぼ同時期だったのだ。バイエルンで中世風の幻想的な城が作られているまさにその時、すでに外の世界では鉄道網が作成され、海には蒸気船が走り回り、スエズ運河が難工事の末に開通していたのだ。何にもまして当時バイエルン王国はプロイセン王国の首相ビスマルクの悲願、ドイツ統一の渦中に巻き込まれ激動の真っただ中であった。どれだけ浮世離れした事が行われていたか分かるであろう。
何でこんな時期にこんな事業が行われたか?とくれば、この人物の存在を抜きには語れない。バイエルン国王、ルートヴィヒ2世(Ludwig II)である。
Wikipedia「ルートヴィヒ2世」