昼食後、市街を少し観光する。写真は旧総督邸(Knežev dvor)である。この都市はかつてラグーサ共和国という独立国家の首都であり、その元首がここに住んでいた。現在でもドブログニクのイタリア語呼称はRagusaである。ドブログニク、ラグーサ共和国についてウィキペディアを。
Wikipedia「ドブログニク」
ラグーサ共和国は14世紀から19世紀まで数百年に渡って存続し、海洋貿易で大いに栄えた。ヴェネツィア共和国とオスマントルコという強国の間に挟まれて独立を維持するのは大変であったが、巧みな外交術で全て切り抜けてきた。周辺地域で絶えなかった戦争に殆ど巻き込まれなかった事は特筆ものである。総督は選挙で選ばれたが、権力の独占を防ぐために任期は1カ月のみ、再選も禁止であったという。この体制で危険な国際情勢の中数百年間国家として存続できたのであるから、非常に興味深い政治体制を持った国であったと言えよう。ラグーサ共和国は最終的にナポレオンによって征服されて終焉、ナポレオン失脚後はオーストリア帝国に支配を引き継がれていった。
上写真は旧総督邸の外見。下は柱の彫刻とドアのノッカーである。内部はそれなりに見ごたえがあるが、冷房がないためちょっと暑い。乾燥しているためか、日陰に入れば日本よりは楽なのであるが。。。



Wikipedia「ドブログニク」
ラグーサ共和国は14世紀から19世紀まで数百年に渡って存続し、海洋貿易で大いに栄えた。ヴェネツィア共和国とオスマントルコという強国の間に挟まれて独立を維持するのは大変であったが、巧みな外交術で全て切り抜けてきた。周辺地域で絶えなかった戦争に殆ど巻き込まれなかった事は特筆ものである。総督は選挙で選ばれたが、権力の独占を防ぐために任期は1カ月のみ、再選も禁止であったという。この体制で危険な国際情勢の中数百年間国家として存続できたのであるから、非常に興味深い政治体制を持った国であったと言えよう。ラグーサ共和国は最終的にナポレオンによって征服されて終焉、ナポレオン失脚後はオーストリア帝国に支配を引き継がれていった。
上写真は旧総督邸の外見。下は柱の彫刻とドアのノッカーである。内部はそれなりに見ごたえがあるが、冷房がないためちょっと暑い。乾燥しているためか、日陰に入れば日本よりは楽なのであるが。。。


