毎年クリスマスが近づくと読みたくなる物語。この物語のおかげで自分の幼少期の記憶が鮮やかによみがえったから

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幼い頃の、クリスマスの光景がふと頭に浮かんだ。・・・・・・ろうそくの炎で、ゆったりと回転する、金属の天使たち。・・・・・・クリスマス・キャロルが流れる中、俺は、いつまでもいつまでも、そのまわる天使たちを見つめていた。ろうそくが燃え尽きるまで、ただ眺めていた。見飽きることがなかった。・・・・・・揺らめくろうそくの炎。炎の光を受けて、きらきら輝く天使たち。まわるまわる天使たち。・・・・・・・すべて美しかった。神につながるものが、なにもかも美しかった。善きものは、すべてそこにあった。俺の心は言葉のない祈りに満ちていた。
これを読んだとき衝撃が走りました。あ!私も同じだった!なのになのにどうして、忘れていたんだろうって

。大好きだったんです。ひたすら眺めていた。でも、壊れてしまったのかいつからか見なくなって、それっきりでした。
調べたらウィンドミルというそうです。スウェーデンのものなのですが、何十年もの間廃盤になっていて、その後復活したんだとか。どうりでしばらく見なかったわけです。もちろん、すぐに我が家に来てもらい、懐かしい再会

。くるくる回るときにチリンチリンと優しく鳴るのがいいし、壁に影が映るのもまたいいんです

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このウィンドミルが登場していた物語がコチラ↓
『聖夜 School and Music』佐藤多佳子著 文藝春秋刊 231頁 2010年
鎌倉の図書館だとYA(ヤングアダルト)や児童ではなく、一般のコーナーにありましたが、第57回青少年読書感想文全国コンクール課題図書(中学校の部)に選ばれたそう。音楽小説ってすごいなあって思います。実際に耳で聞くよりも、深く音楽が自分の中に入ってくるんですよね。
≪『聖夜 School and Music』あらすじ≫
18歳の少年鳴海一哉は幼い頃から教会のオルガンに慣れ親しんできた。そのオルガンは心のよりどころでもあると同時に、複雑な思いも抱く。それはオルガンがきっかけで、当時小5だった自分を捨て、ドイツ人のオルガニストとドイツへ行ってしまったピアニストの母を思い出すから。一哉は牧師である父と暮らしているが、信仰深く真面目な父からは乱れた感情を見ることがない。そこに反発を覚え、ロックに心奪われ、オルガン曲では難解なメシアンに格闘しながら取り組んでいく。そして、迎えるオルガン部のちょっと早い聖夜・・・。感動の音楽青春小説。
モデルになっているのは青学。楽器は違うけれど、私もミッションスクールで音楽系の部活だったので、懐かしくて、胸がキュッとなりました。
主人公の一哉は牧師の息子だけれど、彼自身はキリスト教を信仰していない。それでも初等部からミッションスクールにいる以上、宗教のど真ん中にいてやろうと思って、中等部では聖歌隊、高等部ではオルガン部と聖書研究会に入るんですね。で、先生に噛みつく(笑)。頭がきれるんだろうな。うちに情熱も秘めているけれど、表面に出てくるのは淡々とした冷めた印象。髪金髪にして、盛り場をたむろしたりするような分かりやすい反発じゃなくて、もっとこうスマートな反発な仕方。あ~、同級生だったら惚れちゃうかも

。でも、こういうタイプと付き合うと幸せにはなれないんですよね

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そんな一哉が小6の夏に何気なく見ていたテレビで、ロックバンドELPのキース・エマーソンに衝撃を受ける気持ち、分かる気がします。幼い頃から楽器は大切に扱うものだと心身にしみ込んでいる自分の前に現れたのが、オルガンを壊しながら、オルガンにナイフを突き立てる男だったんですもの

。一哉は、それは自分にとって、必要な“破壊”であり、“変化”だったといいます。キースは一哉にとって、悪魔であろうが騎士であろうが、“解放者”であった、と。で、そのキースがあるバンドのキーボード奏者笹本さんによって、解放者でも破壊者でもなく、“自由な音楽家”なんだと教えられて、また一つ突き抜けて行く一哉。いいっ

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この物語を読むと、闇って消し去るものではなくて、やっぱり必要なものだなあとしみじみ感じるんです。光だけでは生きていけなくて、やっぱり自分を解放させるための闇も必要で・・・それでバランスを取っていく。闇がないと光もない。オルガンと向き合うことで、自分が目を背けたい過去、自分自身と向き合っていく主人公。波乱万丈人生だけれど、ドロドロしていなくて、“真剣”に悩んではいるけれど、“深刻”ではないんですね。さらに、周りに反発心は抱くものの、自分の不幸を人のせいにしていないの。自分自身の気持ちだって、ちゃあんと分かってるの。そこが、いい。
ところで、この主人公は、母のことを許しているように見える、自分が至らなかったとする父親に煮え切らない思いをずっと抱いていて、信仰深く完璧な父の人間としての生々しい言葉をいつも聞きたいと思っていたんですね。一哉が夜遊びした一件で、父親と対峙する場面がこれまたいいんです!!!初めて父親の中の見栄や嫉妬、弱さを知る場面には涙、涙

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そして、父との対峙を終え、またオルガンへと戻って来た一哉がバッハの音に心が震える場面には、私も一緒に心が震えました。このとき一哉には信仰がなくても、唐突に「神様」という言葉が浮かぶんですね、で、自分でもぎょっとする。信者になるとか、教会に通うとかそういうことではなくて、神というものが存在するならば、聞こえる、感じる、と。ただ、音として感じることのできる心の震え・・・それは祈りに似ている、と。
クリスマスコンサートを終えたあと、身を切るような北風の夜空の下、オルガン部員で突発的に歌い出す讃美歌111番。「神の御子は今宵しも」。私も入れて~(笑)!
美しい音に大いなる存在を感じる。美しい音を信じる。言葉によって音楽を感じさせてくれる、とてもいい物語です

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