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『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

耳をすますクリスマス

2016-12-24 22:23:51 | 絵本


連日子どもたち関連の行事でバタバタ~。師走ですなあ
楽しいことが続く中、瞬間湯沸かし器的な長男が、久々に爆発したり、夫が意味不明にイラ立っていて、家庭内がギスギスな雰囲気になったり(笑)。そんなことがあって、ようやく自分のあり方というか心構えというか、人生の課題を思い出させられるわけです。面白いなあ。子どもや夫を通じて、忘れかけていた大切なことを思い出させられる。まるで、今年の総仕上げかのように!で、私が思い出せば、まあるく収まり、みんなルンルン♪。
次男はサンタさんへのクッキーをツリーに飾ってワクワク。かわいいかわいいメッセージ付き。でも、一番純粋にワクワクしているのが小5の長男だというね。朝イチでプレゼント見たいから、と早々に寝ました。

さて、イブの今日も地味な絵本(←いつも!?)のご紹介。
バーバラ・クーニーはたくさんのクリスマス絵本の絵を描いているのですが、その中でもマイナーだと思われるのがコチラ↓



『どうぶつたちのクリスマス』ノーマ・ファーバー文 バーバーラ・クーニー絵 
おおたあいと訳 日本キリスト教団出版局


静謐。心が静かなこんな時も大切にしたい
母の一周忌のときに、母の親友で信仰深いクリスチャンの方がプレゼントしてくださった絵本。
冬眠中の動物たちを星が次々に起こしていくんですね。“ベツレヘム!”と歌いながら。救い主の誕生に、動物たちは決して小躍りしたり、喜びの声をあげたりしません。ただただ、静かに星の歌に導かれて、イエスの元まで夜の大行進をするのです。何とも言えず厳かで美しい。そして、みんなですやすや眠っているイエスさまを見守りながら、静かに星の歌に聞き入る・・・。

子どもたち、退屈するかなと思いましたが、意外と好きです。特に三男あたりの幼児は繰り返しのリズムだけで気に入るよう。ちょっと『はなをくんくん』と共通するものがあるかもしれません。

そう、星の歌に“耳をすませる”んです。先月の文化セミナー“みみをすます”を思い出しました。耳をすませることがなくなってきた、現代人の私たち。
今晩は星のささやきに耳をすませたいと思います。みなさま、素敵なクリスマスを



児童文学cafeミニクリスマス会

2016-12-21 23:47:48 | 児童文学cafe&picnic


今日は児童文学cafeのミニクリスマス会@相棒MMちゃん邸。
うちでやろうとしたら、チビっ子たち来られるのイヤだ!と、上の子たち二人に猛烈に拒否されちゃいまして。でも、MM邸にしてホーントよかった!クリスマスオーナメントがどれもこれも素敵だし、素敵だし、素敵だし(大事なことなので3回言いました)。しかし、我が家と同じのも多いのに、あちらのほうがセンス輝くのはなぜかしらん(笑)?

12月って毎年怒涛のように過ぎて行って、クリスマス数日前になってから、「あ~、ヒンメリ作りたかった。雪結晶模様のモビール作りたかった~。ローズウィンドウも~」と毎年後悔している気がします。クリスマスはやっぱりとっても素敵なので、来年こそは11月から準備に入りたいな、って改めて今日思いました

ところで、児童文学とクリスマスってとおっても相性がいいですよね。古き良き児童文学の中には必ずといっていいほどクリスマスの場面があって、そこに出てくる食べ物がもうもう美味しそうで、幼い頃普段耳慣れない外国のメニュー(ミンスパイとか)に心躍らせていたものです

でも、私たちだって負けません!?みな「材料がないー!作る余裕がないー!」と言ってたわりには、あら?それなりに豪華。今日は忙しくて来れない人も多かったし、こじんまりでしたが、特別感でキラキラしていました



メニュー

★自家製リモンチェッロ(レモンリキュール)
★アジのリエット
★アマランサスのタラモ風
★色どり野菜のクリームチーズテリーヌ
★青ミニトマトのマリネ
★牡蠣のガーリックオリーブオイル
★ローストチキン
★里芋のミニコロッケ
★りんご酵母のラスク
★クリームチーズスモークサーモンバゲット

もうね、もうね、個人的にはリモンチェッロが大ヒット!原液を口に含むと、喉にジワッと広がる幸福感。しかも手作り!デザートも贅沢でしたよ~↓。



★りんごのコンポート(ジンジャーが効いてて美味!)
★雪の結晶模様のブラウニーケーキ“悪魔ケーキ”
★シュトーレン(贅沢栗の渋皮煮入り)

持ち寄りってなんて楽しいの~。バゲット以外はぜーーーんぶ手作り
ホロ酔いに勢い借りて、MMちゃんの素晴らしヴァイオリンに合わせて、ピアノを伴奏し、ノエル。とても、人に聞かせられるような演奏(私のはね)ではないけれど、これぞクリスマスっていう気分を味わえました。あ~、幸せ

クリスマスと児童文学テーマで楽しい企画を思いついちゃったので、来年に向けてロングタームで始動します♪
今日は食べるのと演奏メインで、本の話はあまりできなかったけれど、楽しかった~。MMちゃんありがとう!




葛藤と音楽と『聖夜』

2016-12-20 21:01:54 | 日本文学


毎年クリスマスが近づくと読みたくなる物語。この物語のおかげで自分の幼少期の記憶が鮮やかによみがえったから

幼い頃の、クリスマスの光景がふと頭に浮かんだ。・・・・・・ろうそくの炎で、ゆったりと回転する、金属の天使たち。・・・・・・クリスマス・キャロルが流れる中、俺は、いつまでもいつまでも、そのまわる天使たちを見つめていた。ろうそくが燃え尽きるまで、ただ眺めていた。見飽きることがなかった。・・・・・・揺らめくろうそくの炎。炎の光を受けて、きらきら輝く天使たち。まわるまわる天使たち。・・・・・・・すべて美しかった。神につながるものが、なにもかも美しかった。善きものは、すべてそこにあった。俺の心は言葉のない祈りに満ちていた。

これを読んだとき衝撃が走りました。あ!私も同じだった!なのになのにどうして、忘れていたんだろうって。大好きだったんです。ひたすら眺めていた。でも、壊れてしまったのかいつからか見なくなって、それっきりでした。

調べたらウィンドミルというそうです。スウェーデンのものなのですが、何十年もの間廃盤になっていて、その後復活したんだとか。どうりでしばらく見なかったわけです。もちろん、すぐに我が家に来てもらい、懐かしい再会。くるくる回るときにチリンチリンと優しく鳴るのがいいし、壁に影が映るのもまたいいんです

このウィンドミルが登場していた物語がコチラ↓



『聖夜 School and Music』佐藤多佳子著 文藝春秋刊 231頁 2010年

鎌倉の図書館だとYA(ヤングアダルト)や児童ではなく、一般のコーナーにありましたが、第57回青少年読書感想文全国コンクール課題図書(中学校の部)に選ばれたそう。音楽小説ってすごいなあって思います。実際に耳で聞くよりも、深く音楽が自分の中に入ってくるんですよね。


≪『聖夜 School and Music』あらすじ≫
18歳の少年鳴海一哉は幼い頃から教会のオルガンに慣れ親しんできた。そのオルガンは心のよりどころでもあると同時に、複雑な思いも抱く。それはオルガンがきっかけで、当時小5だった自分を捨て、ドイツ人のオルガニストとドイツへ行ってしまったピアニストの母を思い出すから。一哉は牧師である父と暮らしているが、信仰深く真面目な父からは乱れた感情を見ることがない。そこに反発を覚え、ロックに心奪われ、オルガン曲では難解なメシアンに格闘しながら取り組んでいく。そして、迎えるオルガン部のちょっと早い聖夜・・・。感動の音楽青春小説。


モデルになっているのは青学。楽器は違うけれど、私もミッションスクールで音楽系の部活だったので、懐かしくて、胸がキュッとなりました。

主人公の一哉は牧師の息子だけれど、彼自身はキリスト教を信仰していない。それでも初等部からミッションスクールにいる以上、宗教のど真ん中にいてやろうと思って、中等部では聖歌隊、高等部ではオルガン部と聖書研究会に入るんですね。で、先生に噛みつく(笑)。頭がきれるんだろうな。うちに情熱も秘めているけれど、表面に出てくるのは淡々とした冷めた印象。髪金髪にして、盛り場をたむろしたりするような分かりやすい反発じゃなくて、もっとこうスマートな反発な仕方。あ~、同級生だったら惚れちゃうかも。でも、こういうタイプと付き合うと幸せにはなれないんですよね

そんな一哉が小6の夏に何気なく見ていたテレビで、ロックバンドELPのキース・エマーソンに衝撃を受ける気持ち、分かる気がします。幼い頃から楽器は大切に扱うものだと心身にしみ込んでいる自分の前に現れたのが、オルガンを壊しながら、オルガンにナイフを突き立てる男だったんですもの。一哉は、それは自分にとって、必要な“破壊”であり、“変化”だったといいます。キースは一哉にとって、悪魔であろうが騎士であろうが、“解放者”であった、と。で、そのキースがあるバンドのキーボード奏者笹本さんによって、解放者でも破壊者でもなく、“自由な音楽家”なんだと教えられて、また一つ突き抜けて行く一哉。いいっ

この物語を読むと、闇って消し去るものではなくて、やっぱり必要なものだなあとしみじみ感じるんです。光だけでは生きていけなくて、やっぱり自分を解放させるための闇も必要で・・・それでバランスを取っていく。闇がないと光もない。オルガンと向き合うことで、自分が目を背けたい過去、自分自身と向き合っていく主人公。波乱万丈人生だけれど、ドロドロしていなくて、“真剣”に悩んではいるけれど、“深刻”ではないんですね。さらに、周りに反発心は抱くものの、自分の不幸を人のせいにしていないの。自分自身の気持ちだって、ちゃあんと分かってるの。そこが、いい。

ところで、この主人公は、母のことを許しているように見える、自分が至らなかったとする父親に煮え切らない思いをずっと抱いていて、信仰深く完璧な父の人間としての生々しい言葉をいつも聞きたいと思っていたんですね。一哉が夜遊びした一件で、父親と対峙する場面がこれまたいいんです!!!初めて父親の中の見栄や嫉妬、弱さを知る場面には涙、涙

そして、父との対峙を終え、またオルガンへと戻って来た一哉がバッハの音に心が震える場面には、私も一緒に心が震えました。このとき一哉には信仰がなくても、唐突に「神様」という言葉が浮かぶんですね、で、自分でもぎょっとする。信者になるとか、教会に通うとかそういうことではなくて、神というものが存在するならば、聞こえる、感じる、と。ただ、音として感じることのできる心の震え・・・それは祈りに似ている、と。

クリスマスコンサートを終えたあと、身を切るような北風の夜空の下、オルガン部員で突発的に歌い出す讃美歌111番。「神の御子は今宵しも」。私も入れて~(笑)!
美しい音に大いなる存在を感じる。美しい音を信じる。言葉によって音楽を感じさせてくれる、とてもいい物語です


『とびきりすてきなクリスマス』

2016-12-18 06:03:44 | アメリカ文学


『とびきりすてきなクリスマス』リー・キングマン作 バーバーラ・クーニー絵 山内玲子訳 
岩波書店 96頁・1949年(原書で)・小学校中級以上


これは、とびきりすてきな物語!!!
文字大きめの低学年向けの幼年童話みたいなの、大人が読むと物足りなく感じて、実は個人的にはあまり得意ではないんです。そんなわけで、この本も今まで読んでことがなくて、今回初めて手に取ってみました(クリスマスまであと少しで短時間で読めそう、という不純な動機から)。派手なストーリーではないです。でも、古典的な児童文学好きにはたまらない、心に残る、そんな一冊

≪『とびきりすてきなクリスマス』あらすじ≫
セッパラ家は子ども10人の大家族。10歳のエルッキがクリスマスが近づいてきてワクワクして家に戻ると様子が変です。船に乗って石を運ぶ仕事をしている長男のマッティが行方不明だとの知らせが・・・。悲しみにくれる家族。エルッキは家族みんなに喜んでもらおうと奔走します。

【ここがポイント】
・モノがあふれている時代だからこそ読みたい
・質素だけど豊かということがどういうことなのかが分かる
・家族が一緒に過ごすからこそ幸せなのだという基本に立ち返れる
・エルッキの創意工夫に前向きな力をもらえる
・バーバラ・クーニーの挿絵がとにかく素敵
・ぜひ読み聞かせで


このセッパラ家、アメリカに移民してきたフィンランド人の家族なんですね。なので、サウナの蒸し風呂に入ったり、ロウソクを窓辺に置いたり・・・マリー・ハムズンの『小さい牛追い』(ノルウェーが舞台)を思い起こさせます



大家族だから当然生活は質素なのですが、つつましやかなクリスマスプレゼントが本当に心がこもっていて、こちらまで温かい気持ちになってきます

ところが、お兄さんのマッティが行方不明との知らせに、お母さんはどことなく投げやりな感じになってきます。あの子がいないのにお祝いなんて気分じゃない(分かるわ~)。クリスマスの準備をつい「めんどう」と呟いてしまって、子どもたちは一瞬時が止まったかのように青ざめてしまいます。それを見て、ハッとお母さんは気を取り直し、マッティがいなくてもいいクリスマスにすることが、マッティが喜ぶことなんだ、と思い直すのです。

一方、エルッキもマッティの件で悲しいものの、どこか現実感がわかずに、マッティが持ち帰るはずのクリスマスプレゼントがないことのほうが実はガッカリだったり・・・子ども心をよく描いてるなあって思います。マッティだけが、みんなのほしがるプレゼントをいつも買ってきてくれていたのです。そこで、エルッキは本来マッティが買ってきてくれるはずだったプレゼントを兄弟に内緒で自分で作ろう!と思い立つのです。さあさあ、どんなものが出来上がるかな?マッティの工夫が楽しい

最後には、題名通りとびきりすてきなクリスマス(原題:THE BEST CHRISTMAS)が待ってます
幸せな気持ちになれる、私にとっても大事な物語になりました

『おじいちゃんが冬へ旅立つとき』

2016-12-17 07:00:03 | アメリカ文学


『おじいちゃんが冬へ旅立つとき』C.K.ストリート作 小野章訳 H.フレンク画 あかね書房
小学校中級以上・122頁・1979年(原書で)


今年は暖冬だと思っていましたが、朝晩はようやく冷え込むようになってきました。この辺はトンビが多いのですが、冬の寒空に大きな翼を広げて悠々と舞っている姿を見るのが好きです。そして、毎年冬になると、今年も冬を越せないお年寄りたちがいるのかなあ、って思いを馳せます。うちの母もそうだったのですが、冬を越せない病気の人とかって多いんですよね。多分、気力が削がれるというよりも、窓の外を眺めていたら、ああ自分も冬へと旅立とうと自然に思ってしまうのかな、と・・・。越せないというより、冬へと一緒に旅立ってしまうんですね。『おじいちゃんが冬へ旅立つとき』もそんな物語。

文字大きめで、小学校中級上ですが、なかなか骨太な作品。作者はチェロキー族出身だそうで、自然と一体となった人間の生き方を、インディアンの老人とその孫とのふれあいを通して静かに描いています。

最初の場面からして印象的です。
インディアンの中でも、もはや‟古いタイプ“に分類されてしまうような伝統的な頑固なおじいちゃん。幼い頃に父親を亡くした孫リトル・サンダーと、自分の娘エルク・ウーマンと一緒に暮らしています。そのタイファ老人が、地面に小枝の先でいくつか『聖なる記号』を書いていくんですね、ワシ、クマ、シカ、大ガメ・・・かき方に意味があり、覚えなければいけないのは、そのかき方だという。

「わしたちにはワシの記号がある。わしたちにとって、ワシはこの世に生をうけた兄弟だ。ワシは大きな夢をそだてる。誇りたかいワシは、自由な心をもつているから、空も風もこれをあがめる。きびしい
真実の存在だ。それがわしたちの記号のひとつだ。」


一方、その横に白人にとっての『聖なる記号』を書くのですが、それは・・・$。痛烈です

そんなタイファ老人、孫に馬を手に入れるためべく、誰も乗りこなせなかったじゃじゃ馬に乗るロデオに参戦し、見事その馬を獲得します。が、おじいちゃんの身体はボロボロに・・・。それから、おじいちゃんは孫を枕元に呼び寄せ、命を受け継ぐということについて静かに語ります。おじいちゃんが最後に見たかったもの、それは冬を越すために南にとんでいる野ガモたちの鳴き声でした。野ガモたちとともに冬に旅立つというおじいちゃん。冬への旅立ち(死)はわたしたちみなに与えられている贈り物なんだとおじいちゃんは言います。そう、贈り物なんです。そして、命は受け継がれていくんですよね。

「贈り物かあ・・・」冬空に鳥たちが飛び立つときのを見るとき、タイファ老人の言葉を思い起こすようになりました