『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

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続・社会的制裁について考える

2016-02-19 00:29:36 | 徒然


以前書いた『ぬすまれた宝物』の記事について、さらに考えてみよ~う

え?あんなに長く書いたのに、まだ書くの!?
ええ、まだ書くんです、根っからのまじめ人間なもんで

もし子供たちが、そこまで深い読み取りができず、ザックリ読んでザックリとメッセージを受け取った場合、な~んだ、悪いことしちゃっても、ごめんなさいって思って相手に許してもらえればそれでいいんだ~くらいに思っちゃったとしたら・・・それはちょっと怖い。
いやいや、ちょっと待って、世の中それじゃ済まないのよ、と話して聞かせる・・・


というご意見を個人的にいただきまして。またもや考えちゃったわけです。だって、考えるの面白いから

うんうん、確かに。間違ったメッセージが伝わっちゃってもまずいのかなあ。「悪いことは悪い。世の中それじゃあ済まない」確かにそう教えたくなる自分がいます。

でも、待てよ?最近ね、Facebookでこの記事をシェアする人が多くて、読んでてハッとしたんです↓

『「ペットボトルの水を見るだけでクスリを思い出す」覚せい剤依存症患者の日常と治療』

特に後半です、後半。「ダメ。ゼッタイ。」で排除される子ども、のところ。「正しい」が強調されていくと、追い詰められていく。本当はもっと大事なことがあるのにそれが見えなくなっていく気がするんです。気がするというかそれで私失敗してますからね~

うちの子たちがポケモンカードに夢中になっていた時期、兄弟間でカードを「盗み合う」ことが何回かありました。母としては焦りましたね~。友だちのも同じようにしたらどうしよう!って。で、その焦りから執拗に「黙って取るのは泥棒と一緒!」と叩き込んでしまいました。

今思えば、そもそもなぜ盗んだのがわかったかというと、嬉しそうに報告してくれたからです。
「これね~、○○(兄 or 弟)のなんだけど、取っちゃった♪お母さん、内緒だよ
なんて感じに。ワクワクって感じで、まさにデレック状態。僕のほうがこのカード好きなんだから、僕が持つにふさわしい、そんな感じだったんでしょうね。それを私は焦って頭ごなしに悪いこと!と言ってしまった。それからはウソついたり隠すようになりました。「正しい」ことを強調したあまりに、その子が「ダメな子」という印象をうえつけ(子どもの自己肯定感を低くし)、なおかつ隠し事をするようにさせてしまった。「正しさ」を主張してる母のほうがよっぽど悪社会的には正しいけどたちが悪いのは母である私のほう

『ぬすまれた宝物』でも、あの裁判の雰囲気がデレックに告白させない雰囲気を作ってたんですよね。デレックは正直に言おうと思ってたのに言えない雰囲気があった。本当はそこが一番の問題かな、と。

今の子どもたちってこういう環境にあるのかな、と。学校でもどこでも「正しい」ことを求められるから、なぜお友だちがそういうことをしてしまったのかということよりも、お友だちの気持ちに寄り添うよりも、「悪いこと!罰が必要!」ってみんなが裁判官になりがち。だから保身に走る。友だちを糾弾する。そこが息苦しい場所になる。

上の記事で依存症治療プログラムで「今朝クスリをやってしまった」と告白したら警察に通報するのではなく、称賛するといいます。全力で正直になることを肯定する、と。私たちは順序を間違えてはいけないんですね。まず肯定、受け入れる。悪いなんてたいていの人は本当はわかってるんですよね。分かってることを一生懸命「悪いことをした、あなたはダメだ、ダメだ」と強調するのは逆効果。と、自分に言い聞かせてます。長男が次男に乱暴すると、つい順序間違えちゃう母なので

『ぬすまれた宝物』でデレックが罰せられなかったことに子どもたちはほっとするんじゃないかなあ?そして、それでいいんじゃないかと私は思います。子どものほうが大人よりも本質を分かってる。大丈夫。あれ読んで「悪いことしてもへーきなんだあ」なんて子どもそうそういないと思う。それよりも許し合うあたたかさのほうをくみ取ってくれてると思います。子どもナメたらいけませんね




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