皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

説明だけで消耗

2010-08-02 22:00:14 | 認知の歪み
社会っつうのはイレギュラーだらけだったりする。
普通こうするだろ、って思い込めば思い込むほど、ヒトは自分の作り上げた常識に縛られる。
ある程度規律のとれた社会なら、同類項の環境に慣れ親しんだら、それは強固な経験的蓄積となり、自分の考えの範疇にあることに安定を覚える。

ヒトはそもそも異なることを感じ、考え、経験し、学ぶ。公式を学べば学ほど、公式に乗っ取らない方法には、不安や恐れを感じる。
頭で解釈しないと進めないヒトにとって、言葉というモノを介して理解したことにすることは、一種の安定感を生み出すための一つの行為なのかも知れない。

それをコミュニケーションというならば、ヒトは共通の認識を持ったつもりになることで、個の力を集団の力にしているのだろう。
それもいいと思う。というか、それを身につけないと、サラリーを貰うヒトにはなれないのだろう、とつくづく感じる。

そういうモノを使えた上で、自己主張ができるヒトを『個性』と呼ぶのだろう。

それでは狭い、と感じるヒトは『およばない』ということかも知れない。

『多様性の容認』と『価値観の共有』は対立軸ではないのだが。

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