皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

相似形

2009-06-07 00:31:15 | 檸檬語

※注意事項:この文章はワタシのことですので、何か問題箇所がある場合はワタシ自身が歪んでいると思って下さい。

相似とは非常によく似ている両者を表す際の言葉。

ユークリッド幾何学において、二つの図形 CC' が相似 (similar) であるとは、ユークリッドの運動(平行移動、原点を中心とする鏡映、原点を中心とする回転)および、原点を中心とする拡大・縮小を有限回組合せることにより、CC' を一致させられることをいう。すなわち、片方を拡大または縮小することで、もう一方と合同となるということである。このとき、CC' と表す。おおざっぱには「縮尺の違いを除いて同じ形」である事を指す。
<Wikipedia 『相似』 より引用>

ユークリッド幾何学とは、古代エジプトのギリシア系哲学者エウクレイデスの著書『原論』に由来するがここでは本筋からそれるので、端折ります。

*:CC' (CC' は相似の中には、CC' (合同)も含まれる)


中等教育では数学で三角形の相似としてまず学習する。
三角形の相似条件
1.3組の辺の比がすべて等しい(三辺比相等)。
2.2組の辺の比とその間の角がそれぞれ等しい(二辺比夾角相等)。
3.2組の角がそれぞれ等しい(二角相等)。

上記の様にある条件(要素)を一つでも満たす際に両者の関係は相似であることが証明される。
幾何学における種々の相似は全てこのように定義されており、これは数学領域に限らず、生物における相似というモノも存在する。
別種の生物間で、機能的・形態的に同じ役割を果たす構造が、それぞれ別の構造に由来して発達してきたことを相似 (analogy) と言い、そのような器官を相似器官と表現する。

例として、昆虫の翅と鳥類の翼は空を飛ぶという機能面では共通だが、昆虫の翅は外骨格の腹部背板が伸張してできた物であるのに対し、鳥類の翼は脊椎動物の前足が変形した物であり、その由来が別であるため相似である。
<Wikipedia 『相似』 より引用抜粋>
昆虫の
翅(はね)と鳥の翼は飛ぶという機能面では共通項ではあるが、「進化論的立場」に立って見た場合、より細密な諸機能として見た場合には由来も用途も大きく異なる。


ヒトに関する相似形も同様である。
発達障害児(広汎性発達障害に限ってみます)と被虐待児の機能面には共通項が多い。
ワタシの場合は被虐待児(長年隠してきたが認めざるをえない)であり、現代の指針分析・発達心理学的視点に立てば、両者の区別には非常に困難を極める。
ワタシのようなある意味特殊な立場の人間に関して言えば、被虐待≡障害でもある。もちろん虐待に関する捉え方はヒトそれぞれではあるが…

現在の成人当事者とされる方々の過去を遡っていくと、両親もしくは片親から受けたダメージというのは少なからず存在すると推測される。
自叙伝として書籍を出版している方の中には暗に片親の情報を伏せているヒト、両親との軋轢の過程を割愛しているヒトが多く見られるが、その部分を主観をなるべく排除して事実を積み重ねていくと、幼少時からの抑圧や軋轢を受けているというある種の傾向が浮き彫りにされることが、個人的に推察される。

ワタシは広汎性発達障害=被虐待の産物とまでは言及しないが、生化学的相似としての両者の機能面の困難さは同一である部分が多いと思っている。
このことは、3歳児検診などで発達障害の可能性を指摘される子と、幼少期の虐待によって形成された彼の心の闇が同類であると言っている訳では決してないが、生物の発達上の困難の各要素としては非常に類似性があると感じている。
その点において発達障害∽(相似)虐待の系譜は大いにあるだろうというのがワタシの現時点での考えである。

一部特例を除いて、親は子どもに対して善かれと思って日々彼らのことを考え行動する。それは言葉で表すと「子に対する愛情なり心配」であり、一生懸命最善の道を疲れた身体に鞭打って日々模索しているのだろうと思う。自分達の生活でもいっぱいいっぱいの年代で、「子に障害がある」と言われるのはパニクって当然だと思う。
一つの事実として、その子は今の社会や環境に不適応(アレルギーと言った方がいいのかな?)を起こしている訳であるから、まずはじっくり観察し、今その子にあった方法なり環境なり勉強なりを模索することが第一だと思う。
日常生活や心身が安定してはじめて、物事というものは進んでいく。
不安定な状況、場所、物事の押しつけはやはり抑圧であり、行きすぎると虐待と言わざるを得ないことも事実である。本人が長期的に過度のストレスを感じるような状況の押しつけは、やはり広義の虐待と言わざるをえない。保護者がよかれと思って行う行為も、その子の許容範囲を超えるモノである場合は過剰な負荷をかけてしまっているのは事実であると思う。


児童虐待に関しては、
・身体的虐待
児童の身体に外傷が生じ、または生じるおそれのある暴行を加えること。 例えば、一方的に暴力を振るう、食事を与えない、冬は戸外に締め出す、部屋に閉じ込める。

・性的虐待
児童に猥褻行為をすること、または児童を性的対象にさせたり、見せること。 例えば、子供への性的暴力。自らの性器を見せたり、性交を見せ付けたり、強要する。

・ネグレクト(育児放棄、監護放棄)
児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食、もしくは長時間の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。 例えば、病気になっても病院に受診させない、乳幼児を暑い日差しの当たる車内への放置、食事を与えない、下着など不潔なまま放置するなど。

・心理的虐待
児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。心理的外傷は、児童の健全な発育を阻害し、場合によっては心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの症状を生ぜしめるため禁じられている。 例えば、言葉による暴力、一方的な恫喝、無視や拒否、自尊心を踏みにじる。
<Wikipedia 『児童虐待』 より引用>

ワタシ個人に関して言えば上記全てを満たす環境で過ごしてきた経験を最近になって確信した。ワタシにとっては日常的であり、特異例であることを知らずに育った。
そのようなワタシの性根はねじ曲がっているのかも知れないが、残念ながら今なおその呪縛から逃れられず、苦しい思いをしている。
ワタシは先にも述べたように「広汎性発達障害=虐待の産物」という極論までは考えていないが、一種の相似形であると思っている(愛着形成に関することも関係性は少なからずあるとも思っている)。


自己相似図形における相似次元dは、次のように定義される。
自分自身がサイズ 1/n のミニチュア m 個から成り立っているとき、
d = lognm  である。

これは要するに、
・正方形は半分のサイズの正方形 4 個でできている -> 正方形は 2 次元
・立方体は半分のサイズの立方体 8 個でできている -> 立方体は 3 次元
自己相似図形に対して、その相似次元とフラクタル次元は一致する。 上の例で言えばたとえば、コッホ曲線は 1/3 のミニチュア 4 個でできているので、 そのフラクタル次元は log34 = 約1.26 となる。


ヒトは微視的にみると複雑な要素の集合体をしているが、これを部分的に拡大するとさらに細かい要素が見えてくるようになり、結果として拡大しても同じように複雑な要素の集合体である。これに対して、一般的な図形は、拡大するにしたがって、その細部は変化が少なくなり、なめらかな形状になっていく。

そして、ヒトの特徴を客観的に把握する場合、より小さいものさしで測れば測るほど、大きなものさしでは無視されていた微細な凹凸が測定されるようになり、その要素はより複雑となっていく。したがって、このようなヒトを構成する要素は無限であると考えられる。これは、実際問題としては、分子の大きさ程度よりも小さいものさしを用いることは不可能だが、理論的な極限としては測定値が無限大になるということである。


広汎性発達障害という諸概念を構成する各要素は言語として明示されているが、ヒトはそれだけでは構成されていない。そして微視的・巨視的視点により理論的極限としてのタイプは無限大になる。というのを数学的に示してみた。


ワタシが言いたいことは、やはり知識を吸収する時間があれば各人を観察する時間に割り当て、型に囚われることなく感じていくことが大切だという事に帰結するのだろう。
ワタシを含めた大人はしゃかりきになることなく、余裕を持って。
(言ってるワタシが余裕なんてムズカシイことできないのにえらそうなことを言ってるのはご勘弁くださいまし。)
ワタシの場合は、まずはワタシ自身を救う事からはじめないといけないというのは、明確な事実だったりする。



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4 コメント

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過剰に反応・・・ (はるぼん)
2009-06-07 22:57:17
あ~虐待という言葉には過剰に反応してしまうんです。。。
発達障害児と虐待児にはおっしゃるように共通な所が多々あるようですね。
「第四の発達障害」と言う本で知りました。
あと、漫画ですが私の心にずんと突き刺さったのは浦沢直樹さんの「MONSTER」です。
子どもの心をいじることの恐ろしさ・・・
その頃はやっていた他の虐待物の小説よりも痛かったです。

虐待の連鎖・・・
この存在を知ったのもその頃。
自分が子どもを持つことが恐かった時期です。

わたしは自分の子どものお陰で自分を見直す機会を与えられました。
自分のことを深く知ろうとするきっかけとなりました。
彼には感謝するしかない。
そして、彼がこれから咲きも生きづらさを感じること、彼の中の思い込みや捕らわれているものから、少しでも解放されるきっかけをつっくってあげられたらと思っています。
親に出来る事って、それくらいしか思い浮かびません。
そのためにもまずは自分・・・きちんと見つめたいです。
返信する
己を知ると連鎖は切れる (pluto)
2009-06-08 13:00:09
>はるぼんさん
こんにちは。
痛い内容ですみませんでした。
発達障害系の本は殆ど読んでないのですが、色んな方の話を繋ぎ合わせると、杉山先生の本は読んでみたいと思いますね。

浦沢直樹さんは勝手な解釈ですが、このあたりを感じた上で表現なさっていると思っています。
511キンダーハイム、ヴォルフガング・グリマーの記述、ナチスの障害児対応(優勢思想)etc...

虐待は連鎖すると主張するヒトもいるでしょうが、自分を知る者は連鎖の鎖を解き放つこともできると思っています。
明るい未来を摘まないように、ワタシのできることをするために自分を見つめ直してます。
返信する
だいじょうぶです~ (はるぼん)
2009-06-08 21:35:10
過剰に反応するだけで、痛みはないですから♪
と言うか考えずにいられない言葉・・・なんですよね~~~

plutoさん、ご指摘のように511キンダーハイム、グリマーのあたりの事です。
あの作品全体から漂うものも・・・かな?
テンマのフィアンセだった(顔は思い出すんだけど名前が忘れました・・・)女性が連載当初喋った「命は平等じゃないのよ」で、くらくらしてしまいました。思えばあれから引き込まれていったな~~~
優性思想の問題も知れば知るほど信じられなくなる。それこそ、その時々の常識をしっかり見つめないと・・・と強く思います。

虐待の連鎖について・・・
いいお言葉をありがとうございます!鎖は解き放つ事が出来るはずですね。

杉山先生のご本、ぜひ読んでみてください。
私はあの本は、かなり多くのお母さん方にとって痛い本だと思って読んだのですが・・・
痛みを感じる感じないはこれまた人それぞれなんだな~とも思いました。

ああいつにもまして支離滅裂でごめんなさい。

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グリマーは結構自分とダブります (pluto)
2009-06-12 18:13:30
>はるぼんさん
こんばんは。
エヴァ(テンマのフィアンセ)はそういや最後までその台詞は変えなかったですね。ワタシもアメリカに住んでたら、同じような事言ってるかも知れません。

杉山先生の本、図書館で予約してみました。
読んだらたぶん相当凹むんだろうなー、と。
痛みがなくて安心しました(書いてるワタシ自身が痛いので(苦笑)
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