皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

歪んだ共振

2010-10-21 19:59:01 | 身体
は身体に悪いと、つくづく思った。
心身を痛めるような日常というものは、得るモノが非常に少ない。

ワタシが受けた感覚に対しては、素直に従おう。
力が入っても、湾曲しても、周囲にとっても、ワタシにとっても、その結果はよろしくない方向に波及する。

アウトプットの仕方に変化を加える余地は大いにある、と思う。

己の「フツウ」の枠に固執するヒトとの関わりは、もううんざり。


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2 コメント

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Unknown (ぴーまん)
2010-10-22 11:27:26
わたし自身は、「うんざり」と感じる時点で、わたし自身が自分の中にある何かに固執しているんだわ(^^;ヤバイ。と、感じることが多々あります。
自分がうんざりを感じると同様、自分はどれだけのヒトをうんざりさせているのだろう?これまたヤバイ(--;とも感じます。
と、plutoさんをうんざりさせてしまったらごめんなさい。
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Unknown (pluto)
2010-10-23 22:55:00
>ぴーまんさん
こんばんは。
それを言われると、身体の内側が痛いなあ(苦笑
自分の持っている手札と、日々身につける創意と工夫で対応して、同種の「うんざり」が蓄積すると、ある種のやばいラインに行くんですね(ワタシの努力が足りない、は前提)。
「噛み合わない」、「不協和音」、「齟齬」というものは、お互いにエネルギーを消費する。それらを『立場』という関係性の上で、一方の「思惑」に合わせ続ける、というのはやはりどこかで爆発するだろうと。

これも視野や角度を変えると、だいぶ変化するとは思うのですが、既成の小さな社会に『適応』するということの中では、少なからず当たる壁みたいなものなのかな?

そういうので「ヒトが嫌い」とかいう方向には進みたくないので、模索中なんですけどね。
あああ、ここから先を書くとオカルトじみて、且つ長くなりそうですので、割愛。

ぴーまんさんのコメントに脱帽です。
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