人間ってうまくできてるなあ、と最近つくづく思います。
例えばヒトの持つ雰囲気や、この様に文章として表現した際に感じ取れるそのヒトの背景と観られる人間性など。
「字義通り」という言葉の表現では到底表せられない様々な感覚で、ひとつひとつの物事を視ていると思います。
声の抑揚・高低による微妙な違いや、文体の一定の法則を破るような特殊な言葉遣いの引用など、ヒトが感じる感覚は人それぞれでも異なりますし、自分自身の状態、体調、環境、時間経過と経験などによっても大きく捉え方が変わってくるような気がします。
ヒトが、対象となるヒト・モノなどの何に着目して感じ取っているかは千差万別で、様々な視かたがあるのだなあ、と感じる毎日です。
ヒトには根本的なところで持っている一定のリズムのようなものがあると思います。
うまく表現できないのですが、波動(周波数、波長、振幅、ベクトル)のようなものが存在し、目標や生き方、ヒトとのふれあい、など様々な要素によって常に変化していっているような気がします。
その波が、うまく共鳴しあえる関係のヒトであったり出来事であったりには、自分自身の心の波が心地よく反応し、共感が生まれる。
要素としては、単純に嗜好性や指向性(ベクトル)、体調や思考(波長)、価値観や本質(振幅)、そして時間・空間。
それらに“お互いのある一定の距離感”が加味されることで、波が増幅されたり、減衰されたりしている面があるように感じます。
昔は嫌いだったものも、時と共に自分の胸の中にスーッと入ってくるものもあれば、
今の状態では、やはり受け入れがたいモノも当然ある。
ヒトは快と不快があるなら、不快はできるだけ避けて通りたいのは当たり前の感覚だと思いますし、快には積極的に参加したいものです。
阿吽の呼吸、馬が合う、相方・・・
あべこべ、ちぐはぐ、割れ鍋に綴じ蓋、犬猿の仲・・・
生涯に渡って波長の合うヒトもいれば、どうしても合わない場合もある。
それを司る大きな要素として、自分の立ち位置があるように思います。
立ち位置がしっかりと根を下ろしているヒトは、周囲もリズムを掴みやすく、自分自身のリズムを刻むことが比較的容易だったりするかわりに、変化には対応しずらい面があったり、
位置が固定されていないヒトは、何度も音叉で調律する必要があり、骨が折れる面もあるが、環境に適応する能力が高かったりと、
それは様々なヒトがいて、今現在のありのままで、共鳴しあえるポジションに位置すればいいのだと思います。
ちょっとまとまりのない文面になりましたが、心地いい環境で、心地よく過ごせることは幸せなことだろうなと思っています。
読んで下さった方、ありがとうございました
能天気な私も胃が痛むこの頃・・・
なかなか人の世はたいへんですわ
自分の立ち位置がまずみんな中心やもんね。
360度客観的に見てるつもりでも人から見た自分はわからへんのよね~
年齢のせいにはしたらあきませんけど、ぶちっと切れることの多い今日この頃の私・・・
のんびりいかなあきませんね。
共鳴できひん方とは同じ土俵に上がるのをやめて深呼吸しなあきませんね・・・
これがまた、なかなかしんどい2。。。
こんばんは。
お元気になさってましたか?
世の中大変ですよね。
なんだかいちいちぶちっときてたら、脳みその中でぶちっといったことがありまして
なるべく人の土俵では相撲しないでおこうと、
自重気味です