紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

いたずら姉妹

2006-01-26 10:53:43 | 9・昔の風景
母は、よく洋服を手作りしてくれた。
左のトントンは、子ども用の洋服のファッション誌から抜け出したように素敵な格好。
それに引きかえ、私の格好は……。
上っぱり(スモック)までは許せる。(笑)
でも、その下はどうもねえ。ひどいんじゃないの。

とはいえ、いくらきれいな格好をさせても、無駄というもの。

一日が終わって、遊びから帰ってみると……。








あのきれいなアップリケのついたトントンの服。
一日たつと、この通り。
障子もビリビリだし。

17 コメント

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Unknown (良流娯)
2006-01-26 21:06:07
かわいいね。どことなくK君に似ている。特に小さいほうの写真。障子は骨もないみたいだね。
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あはは (こむぎ)
2006-01-26 21:20:36
かわいいねぇ~

紅蓮さん=男の子みたい!

昔は火鉢だったよね

この上で お餅を焼いたり・・・今 考えると

よくもまぁ~寒くはなかったのかしら?って・・

火鉢に手をかざして

「水ッパナ」出して 

みんな こんな時代もあったんだ~(笑)

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いい時! (トントン)
2006-01-26 21:53:44
ひとりアルバムをめくっている時は普通の写真だと思っていたけど、他人様の目にふれると思うと、ひどく、笑える!

小さい頃、母は服をよく作ってくれたのに、ある日突然・・どうして作らなくなったのだろうと、あなたは言っていたけど、この写真を見て分かった!「あきらめた」のよ。

障子の桟も、私の歯もぬけているけど、何の遠慮もなく、悪事の限りをた尽くしていたこの頃、もったいないほどの宝の山!いい時代だった。あの時代に感謝。
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良流娯さんへ (紅蓮)
2006-01-26 22:18:43
毎日毎日、いたずらに明け暮れ、忙しい子ども時代を送ってました。

障子の桟もないって、けっこうひどいよね。
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こむぎさんへ (紅蓮)
2006-01-26 22:20:41
火鉢? しちりん? すきま風吹いて、中毒も無縁。

昔、ろくな暖房もなくて、寒かった。東京は。しもやけとか赤切れとかできて。

ほっぺたを真っ赤にして、飛び回っていた頃です。
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かわいい~ (真蘭)
2006-01-26 22:22:02
懐かしい~!障子の破れ具合、後ろの柱の色、背比べの傷はあるのかしら?などと想像してしまいます。

生活は今より貧しかったけど、豊かだったな~、楽しかったな~、家族が寄り添っていて暖かかったな~と。
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トントンへ (紅蓮)
2006-01-26 22:25:29
昔はいつもお下がりばかり着せられていた私。

でも、このスモック素敵なのに、回ってこなかったよねえ。よほどひどくなっちゃったんだよね。きっと。

私なんて、スモックの上に、エプロンだよ~。

あっちのおばさんにも、こっちのおばさんにも怒られまくって、いつも逃げ回っていたよね。

まあ、でもいたずらしても何しても、自由にさせてもらっていた、良き子ども時代を過ごした私たちです。

ps)ほんとに、歯抜けてるね。



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真蘭さんへ (紅蓮)
2006-01-26 22:30:05
あるのよ♪ 柱の傷。

ちょっとずつ大きくなるのが嬉しかったあの頃。

でも、どの写真見ても、ほんと汚いというか、汚くなっちゃうんだなあ。汚すのが仕事と思っていたような。

今度、母が描いた理想の姉妹の写真ものせます。

あらら、どこのお嬢様というのが、たま~にあるんです。
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かわいいなぁ! (anikobe)
2006-01-27 11:39:33
スモックのアップリケ、洋服つくりの上手なお母さんですね。

子供は、皆、こんな感じで、ニコニコしてる時が多かった時代が懐かしいです。

火鉢に手をかざして、破れた障子は子供の元気な証拠でしょう。私のうちは、男の子は多かったので、障子破れどころか、桟まで、なくなっていたっけと、思い出しています。

とってもいい写真ですね。

写している人の愛情を感じます。
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anikobeさんへ (紅蓮)
2006-01-27 16:22:03
小学生の頃までは、いつも姉とおそろいの生地で、ちょっと形のちがう洋服を作ってもらっていました。

セーターも編み込み模様の、とてもすてきなのを編んでくれました。

今になってみると、よくあんなにこったものを作ってくれたものだなあと。

それなのに、姉も私もあっという間に汚してたんですよね。
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