ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『おくのほそ道(全)』角川書店編

2011-04-23 23:47:45 | 

「月日は百代の過客にして、いきかふ年もまた旅人なり。」
この1文なら、古典には疎いと認める人も、どこかで聞いたことがあるのではないだろうか。
高校生の時、古典の時間にこの『おくのほそ道』の芭蕉庵での日記を読んで
素晴らしい言葉の扱いと絶妙のリズム感に、さすが教科書に載るだけのことはあると納得したものだ。
この1文を聞いただけでも、芭蕉のすごさを感じさせるには十分だが
友人のぽぴさんと千寿七福神めぐりをしたついでに、奥の細道矢立初めの地を訪れて以来
『おくのほそ道』を通して読んでみたいと考え、初心者の私に相応しいテキストはないかと探し
やっと見つけたのが角川ソフィア文庫の角川書店編『おくのほそ道(全)』である。
御丁寧にも、「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」と表紙に小さく書かれている
「ビギナーズ」と謳うだけあって、原文の前に現代語の通釈があり(この通釈は巧い
原文には振り仮名が振ってあり、音読の楽しみも味わえるようになっている。
コラムや解説、付録も充実しており、それらを読むことで
外の古典に精通していなくとも、『おくのほそ道』の奥深さを学ぶことができる。


それにしても、芭蕉という人物は数々の古典や和歌に精通し
それらをモチーフにしながら、自分の言葉に咀嚼し直して文章や俳句をを書いているのだが
その幅広い知識と、言葉を選び抜く審美眼は後にも先にも他に追随を許さないだろう。
『おくのほそ道』の旅で芭蕉が歩いた地は、東日本大震災の被災地も数多く含まれている。
そのなかでも、石巻を訪れた際の日記に生き生きとした当時の町の様子が書かれている。
「十二日、平泉と志し、姉歯の松・緒絶えの橋などを聞き伝えて、人跡まれに、雉兎蒭蕘の行きかふ道そことも分かず、つひに道踏みたがへて石の巻といふ港に出づ。(中略)海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竃の煙立ち続けたり。思ひかけずかかる所にも来たれるかなと(略)」
芭蕉にとって石巻を訪れたのは、平泉に向かっている途中で数々の歌枕を通過するうちに
思いもかけず「石の巻といふ港に」出てしまったのだ。
その「石の巻」は、入江には数百艘の運送船が停泊していて、民家はびっしりと建ち並び
民家の竃からは炊事の煙が立ち続けている、とても賑わっていた港町であった。
「思ひかけずかかる所にも来たれるかな」とは、芭蕉の率直な気持ちだろう。
石巻がこの度の震災の被害から再生し、再び港に賑わいを取り戻すことを願っている。


『おくのほそ道』は、芭蕉が練りに練って書き上げたものだろうが
芭蕉の緻密な構成力だけでその魅力が語られるものではない気がする。
どの言葉を選ぶのか、なぜその言葉を選んだかを考えることによって
芭蕉の生き方や俳諧に対する姿勢を垣間見ることができるからではないかと考えている。
芭蕉が俳諧に求めたものは、旅という決死の覚悟でしか得られない
何か「道」を求めるようなところがあったのではないかと思うのだ。
松尾芭蕉…、できることなら会ってみたい古人の1人だ。



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