ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『闘病MEMO』1月8日(金)

2010-03-31 22:29:46 | 特発性間質性肺炎
1月8日 ・7時、赤城山が雲をかぶって遠望出来る。  昨夜は4回も排尿に起きる。  昼寝が過ぎるのか、寝苦しい毎日だ。  昨日は食欲旺盛。今日は?  便通有よし ・YDr.  血糖値測定を6回位にする。  リハビリの開始を検討。  食事様子次第。 (花のボールペン画) この頃の父は、自分でも書いているように、まさに食欲旺盛で 朝6時ごろ検温で起こされると、7時ごろに配られる蒸しタオルで体を拭き . . . 本文を読む

『闘病MEMO』1月7日(木)

2010-03-30 16:50:32 | 特発性間質性肺炎
1月7日 ・退院し家での生活をイメージすると、種々なる不安が沸いて来る。  1、酸素が外せないとなると、どのように使うか。  2、脚の具合はどうか、トイレ迄行けるか。  3、風呂は?  4、 何れにしても入院中にリハビリに努め、BESTで戻ろう。 ・新規に手当すると予想される品物  ・薄型TV  20万  ・機能付エアコン  20万  ・食卓・椅子  3万  ・和室の照明→LED 2万  ・掃除 . . . 本文を読む

『闘病MEMO』1月5日(火)

2010-03-29 19:30:51 | 特発性間質性肺炎
1月5日 3時半頃大ママ(母の呼称)とぴすけ。 部屋の今後について少し話が出る。 タップリ時間があるので、イメージ作りをしてみたい。 前提 1、コタツを無くす。 2、頭上のエアコンを外す。 3、TVを薄型にする。何処に置くか? 4、ミシン台をワゴン式のテーブルとして使う(□□の2人用) 5、来客をどうもてなすか。 6、リビングのエアコンを機能型に取換える。 7、手摺りの増設 8、清けつの維持 9、 . . . 本文を読む

『闘病MEMO』1月4日(月)

2010-03-28 23:10:51 | 特発性間質性肺炎
22年1月4日 日記を書いて置こうと思い立ったが、難しいことだ。 したがって 書ける時に書いておく。 年が明けて早や4日の朝、ベッドから赤城山らしきものが見える。 昨日からオムツの中のゴロゴロが外れ、大分楽になったが、 本質的にはオムツの構造から来る圧迫は変らない。 入院と云うか治療の主題である「肺炎」が、蔭になって痔が発症し排便には泣いた。 今は90%回復し、泣くことはない。 しかし、腰痛と云う . . . 本文を読む

『闘病MEMO』12月27日(日)

2010-03-27 20:54:50 | 特発性間質性肺炎
12月27日 夕べの苦しみがウソのようだ。 でも、食わねばならぬ出さねばならぬ。 又味わうのかあの辛さ。 ウンチングで消耗する。 ステロイドパルス療法が好影響を与えたとみえ、父は日に日に回復していくようであった。 それにしても、間質性肺炎の急性増悪で、一時かなり危険な状態にまでなり 病室をHCUに移されてからというものの、ベッドから離れることはなく 一般病棟に戻ってきてからも、その状態は相変わ . . . 本文を読む

『闘病MEMO』12月26日(土)

2010-03-25 23:22:13 | 特発性間質性肺炎
12月26日 クリスマスも終り26日 昨日の夕方から使った痔の薬が有効な気がする。 黒糖で煮込んだ角煮 ぴすけより 非常に寝苦しい。 酸素量3l/min.に絞られたが、体を動かすと息切れの感じがする。 今晩の当直さんヤサシイ。 尚、YDr.から肺炎はX線的には好調なるも、喀痰検査に問題を発見 一部、自費を要するとのこと。 (ボールペン画) 甥夫婦が来る。寺に行って呉れたとのこと。 20日の夜に . . . 本文を読む

『闘病MEMO』12月22日(火)

2010-03-24 18:23:02 | 特発性間質性肺炎
12月22日 糖尿病のチェック昼食時にあり。134とか。 Yドクター未だ何を食しても良しとご託宣あり。 夕食はソバ。ぴすけ エビ天とカボチャ絶品なり。 シリの始末は皆帰宅後、すぐに始り、明方までに4回。 冬至なり。 フンカツギ、フンコロガシニ バカニサレ 入院から10日が過ぎ、ステロイドパルス療法の効果があったらしく小康状態を得た父は 一時の食欲不振が嘘のように食べまくっていた。 私は、パート . . . 本文を読む

『闘病MEMO』12月19日(土)

2010-03-23 19:09:53 | 特発性間質性肺炎
12月19日 眼覚めよし。とにかく尻をスズメバチに刺されたようで物凄く痛い。 今日のディナーはカキフライ、エビフライ、ヒレカツ 云うことなし。 本日の担当看護士さん極めて親切なり。 お蔭で尻の痛み和らぐ。ヨシヨシ 夜は2回も出初式なり。 この数日、父の悩みといえば、本来の間質性肺炎による症状ではなく お尻の痛みがほとんどを占めていた。 食べなければ回復しないのは承知のうえで、食べると出る生理的 . . . 本文を読む

『闘病MEMO』12月18日(金)

2010-03-22 23:27:22 | 特発性間質性肺炎
12月18日 眼覚め爽快なり。 朝食、浅利の玉子とじ、昼治部煮風定食。 夕食穴子、はぜ、銀杏の天ぷら。涙が出て来る。 この頃の母と私の日課は、日中は今まで思うように行き届かなかった場所の掃除をし HCUの面会時間になると、父に会いに総合病院に行くことであった。 「おう!」と右手を挙げるのが私と父の挨拶で、母を父の傍に残して 私は繁華街の薬局やスーパーに、毎日1箱以上なくなるティッシュや 食事の . . . 本文を読む

『闘病MEMO』12月17日(木)

2010-03-21 23:51:49 | 特発性間質性肺炎
12月17日 明方4時半頃「出初式」となる。つづいて8時半頃2度目の出陣なり。 食堂出口が痛いと云ったら通ぜず、胃袋を押えられた。校門出口又は入口に訂正。 明方5゜5?頃地震あり。 ステロイドの点滴3日目なり。ステロイドを打つと少しボンヤリする感じなり。 夕食は、赤羽の焼鳥「トリイチ」のレバー、皮、ボンジリ(ボンボチ)なり。 これ又ケッコー 知人、19時頃見える。ププリエのマロングラッセなり。 皆 . . . 本文を読む