父は昭和9(1934)年生まれ。
5年前から特発性間質性肺炎を患い、急性増悪のため平成21(2009)年12月11日に入院。
2か月余りの入院生活で一時は退院もみえてきていたが
緊張性両側性気胸のため、平成22(2010)年2月15日0時53分に他界した。
父の七七日忌を控えた3月27日(土)、1通の封書が実家に届いた。
父の病が特定疾患に認定され、特定疾患医療費受給者証が送られてきたのだった . . . 本文を読む
2月15日
「ありがとう。もういいよ。」
13日(土)に父に気胸が発症し、14日(日)は母と共に16時30分に父の元を出て
父がお気に入りだったブランドのパジャマを色違いで2着買い求め、実家に戻った。
明日にでも父が袖を通せるように洗濯をし、その日は夕飯を食べずに19時前に実家を出た。
たまたま仕事帰りのダーリンと大宮駅で落ち合うことができて、昨日・今日の大きな変化で
かなり消耗していた私を気 . . . 本文を読む
2月14日
「そうだな。またゼロからのスタートだな!」
13日(土)に、父に発症した気胸は、今後の治療に関して絶望的な意味を持っていた。
一般病室からHCUに変わったための「業務縮小」で、父の私物を実家に持って帰った私は
父が気胸を発症してからの経過とY医師の言葉を、母にありのまま伝えた。
かなり衝撃的な出来事ではあったが、母にとっては父が入院した際に病院から呼び出され
病状説明を受けた時の方 . . . 本文を読む
2月13日
・水虫の試料拝取
2月13日(土)は、14時に整形外科医からMRIの結果説明があるということで
私が同席する予定だったが、医師の都合で前日に早まり、母が父と共に説明を聞いたのだった。
そこで『闘病MEMO』の12日(金)にある「寸劇」のようなことが起こり
母からだけ話を聞いていた私は、父を叱ってやると息巻いて
13日にビーフジャーキーとチュッパチャプスを携えて、13時半ごろ父の元に . . . 本文を読む
2月12日
・MRIの結果報告を受ける。
矢張り狭窄で手術以外方策なし。
・親戚からTELを受けたとの事。
・便通有り。
寸劇
MRIの結果説明で病院から大ママ(母の呼称)にTEL.
今日なら3時~5時O.K. 繰延べても良い。
大ママ来る。
(母)「どうしよか」?
聞きにきたんじゃないのか
(父)「折角来たんだから聞いて行けば」
(母)「そうする」
(父)「ナースに返事した? . . . 本文を読む
2月10日
・大ママ(母の呼称)久し振りに来る。
・梅干、菜の花、芋柄(がら)、きゅうり、旨い。
・耳鼻科 耳垢取り少しスッキリ。高音域難聴か
耳鳴りの改善はムズカシイ~
・巻爪は水虫が原因
2月11日
・入院2ヶ月。
・リハビリでの歩行、O2低下70迄。ハゲシイ。
・今日は寒い。2枚重ね着する。
・和食のソバ楽しみ。
ソバ、イナリ2ケ、白玉小3ケ、旨かった。
2月10日(水)は、ダーリ . . . 本文を読む
2月9日
・義妹来院し、椎茸昆布旨し。
生活が大変のようだ。保育をしているとの事。
2月9日(火)は、それまでの寒さが嘘のように暖かくなり、陽射しはまるで春のようだった。
その日は午前中に、自宅に注文していたキッチンキャビネットが届く予定になっていたため
それを受け取ってから、洗濯してあった父の着替えを持って病院に向かった。
父と2人の時は、「傍若無人なパートナーを野放しにしているのは愛ゆえ . . . 本文を読む
2月8日
・食事がとれるようになって来た。今朝は完食。
・MRIで首回りを撮る。帰りに売店に寄り、のり、しじみ、ふき(の佃煮)を買う。同時に「みそ豆」を。これが旨い。
・便が出た「バナナ」2本。自分の子供みたいだ。
・リハビリが2日休んだ為か、ヒザ、コシに弱さを感じた。
・13日に腰のMRIがあるとのこと。これは済んでいる等調べた結果は済。情報の共有が進んでいると思っていたが、縦割になっているのか . . . 本文を読む
2月5日
・期待した下剤も未だ効果なし。
・気分としては食欲が出てきた感じがする。
・眠れるのは連続2h程度。
・今日整形の診療があるかも知れない。
2月7日
・便通を認めるも、指頭位なり。
・2度目の便は親指程度で良かった。
・快晴で少し雪の冠った山なみがキレイ。
・整形からの神経痛薬有効のようだ。
5日(金)は、母の嘔吐が一段落したため、実家に泊まれることになった。
父の病室に行くと、ち . . . 本文を読む